立岩真也・杉田俊介『相模原障害者殺傷事件-優生思想とヘイトクライム』



第1部は立岩氏が相模原障害者殺傷事件の後に
現代思想』2016年9月、10月、12月号に寄稿した文章の再掲。

第2部は杉田氏が同10月号に寄稿した文章の再掲と
書いた時の気持ちや、その後の思考について新たに書き下ろした
「内なる優生思想/ヘイト/ジェノサイド」。

そして最後に第3部が2人の対談、という構成。

2人の話は、実はあまり噛み合っていないんじゃないかという気がするんだけど、

それは、
立岩氏が学者としての仕事として何を言うべきか、という視点に留まっているのに対して、
杉田氏は、容疑者やヘイト・スピーチを吐く人たちと地続きの一人と自分を位置づけ、
その視点からそういう人たちにむけて何を言えるか、と問題を眺めているから、なのか。
もちろん、私がちゃんと読めていないから、なのかもしれないけど。

立岩氏が繰り返しているのは、
雑音に引きずられることなく、基本的なこと、当たり前のことを
きちんと主張することの必要なのだと思う。

周囲の好悪とは無関係に、殺すな、暮らせるようにせよ、
そもそも富も労働力も足りていて、分配の問題なのだから、
殺さなければ救えないほど世の中は悪くはない、ということ。

事件については特に詳細を知りたいとも思わないのは、
詳細がどうであれ、その基本は変わらないからでもあり、
またそれほどの憤りを感じているからでもあろうし、だから、
そんな一人の青年に対して事件前に「まじめに怒った」人はいたのか、という話に尽きる、
ということなのかな、と。

ぐじゃぐじゃ理屈をこねる前に、
率直に怒るべきことに対しては、まっすぐに怒れよ、ということなんだろう。

肯定なんか必要ない、否定すべきことをちゃんと否定すべきだ、と。

もちろん、そう単純ではない部分について、歴史の事実を記録しつつ、
例の文体でぐるぐると考え、そこから言えることを言っていくことを
ご自身の仕事ととらえておられるわけなのだけど、

分かりやすいことをこんなに分かりやすく言っているのである、と言いながら、同時に、
別の分かりやすさに話が回収されていくことに警戒しつつ話が進められるところが
例によって面白い。

第1部で、心に強くひっかかってきたのは以下の下り。

……身体に「インペアメント」がある、あるいはあることが想定されている「障害(disability)」よりも「非能力(disability)」の方が広い。むしろ後者の「障害」による線引きは、一部の人たちを取り出しいくらかを免責することにより、そしてその範囲にとどめることによって、この社会を維持していると言える。「障害学」も、そのことをわかっていないと、そのことに加担することにもなるだろう。
(p. 102)


第2部を含め、杉田氏の発言で印象的なのは「キメラ的存在」という言葉。

その意図するところは、対談での以下の下りに要約される。

……グローバリゼーション全盛の時代にあって、マジョリティとマイノリティの境界線に落っこちた、構造的には加害者であり同時に被害者のような、マジョリティのようなマイノリティのような、何かができるようなできないような、そうしたキメラ的存在……
(p. 196)


そうしたキメラ的存在の不安や鬱屈を通じて、
ヘイトデモやジェノサイドに加担する人たちと自分は地続きな存在だと捉え、
かつての障害者運動やウーマンズ・リブがやったように
自分の内なる優生思想を含めた弱さを認め、その弱さと向かい合うことを通して、
社会に向けて投げかけるべき言葉を見出していくことに
杉田氏は希望を見出そうとしている。

……自分のうちなる自己否定(タナトス)を手がかりにできないか、と考えてきた。能力主義的な自己否定と、資本主義的な自己否定と、男性としての自己否定と……それらが連立方程式的に、重層的に絡み合っている状態を捉え直し、解きほぐしていくこと。かつて青い芝やリブの人たちがそうしたように、それらが内側にあることをまず認め、それに対峙しながら、屈託や鬱積や弱さを言葉にしていきたい、と思った。そして、それを政治的・公共的な回路へ接続し、開きなおしていくこと。
(p. 175)


ただ、誰かの生に意味や意義があるか、という問いを
自分たちの生には平等に意味などない、と転じるところまではついていけるのだけど、
その先、意味はなくても自由でありうる、と自由に落としてしまうことには、

おそらくは「尊厳」とか「自律」など
余計な意味づけがされまくった表現を避けたかったのでは、と推測しつつも、
その「自由」はあまりに無邪気に使われてはいないか、
その「自由」には危うさはないのか、と問い返したい気がした。

もう一つ、杉田氏が内なる優生思想としてカミングアウト的に書いているのが
小学生の息子さんのホルモン療法のこと。

未熟児で生まれてSGA性低身長症という診断名がついている。
いじめまがいの言動に傷ついてくる息子に親として感じた悲しみを書いたうえで、
成長ホルモンの注射をすることを夫婦は選択した、という。

 たとえばこれには様々な批判もあるだろうが、僕らの子どもが女の子だったら、成長ホルモンは打っていなかっただろう。男の子の場合、体の小ささが大きなデメリットになるはずだ、そういう功利計算が親である僕らには働いたのだ。
(p. 164)


私にはこれは、この本の中で一番大きな衝撃だった。

正直なところを明かすと、読んだ時にまず感じたのは、
今の時代にまだそういうことをする親がいるのか? という率直な驚きだった。

アシュリー事件からこちら成長ホルモン療法について多少のことは読み齧ったし、
うかつだといえばうかつなのだけれど、

例えば、
スポーツ選手にしたいからと子どもに成長ホルモンを打つ米国の親の存在は知っていたし、
それを私は「科学とテクノで簡単解決バンザイ文化」の一部と位置づけてきたので、

逆に、
低身長症という「病気の治療」としてのホルモン療法は盲点になっていたのかもしれない。

身体が小さい、背が低い、ということに対して、
ホルモン注射で「治療」するという選択肢が私にはまるきり想定外だった。

ただ、女の子だったらやっていないと言うなら、これはやはり
治療ではなくエンハンスメントではないのか、という疑問がすぐに続くわけで、

そうだとしたら、
これは「アシュリー療法」と違うのか、違わないのか?

思い出したのは、アシュリー療法論争で出てきていた
背が高い女の子には低身長にするためにホルモン療法が流行った、という70年代の情報。

この女児へのホルモン療法が「昔のこと」としてインプットされていたことが
「今の時代に?」という驚きになったんだろうと思う。

私には杉田氏の息子さんへの成長ホルモン療法は
この70年代の女児へのホルモン療法と同質のものと思えてしまうところがあるのだけど、
背の高い女児であることは何の病気でもないのに対して、
杉田氏の息子さんは病名がついていることを考えると
同質とまでは言えないのかもしれない。

そして、次の瞬間に頭に浮かんだ手触りのザラザラした疑問は、

こんなに驚いてしまうのは、一つには、私の中に
「将来、競争社会で生きていく我が子」という想定がハナから皆無だったから――?

これは私にとって、ものすごく衝撃的な気づきだった。
それは私にとって一体どういうことなんだろう?

そういえば海の幼児期に、どういう職種だったか何しろ「専門家」の講演で、
見るからに重症の人と家族は開き直れるからラク、一番しんどいのは境界線の障害像の人と家族、
みたいなことを聞いたことがあった。

そういうことも一面の真実だとは思うし、
ここでもそれはある程度には関わってくるのだろうとも思うけど、
もちろん、そういう単純な問題だけで割り切れるわけでもなく、

もっと「当事者性」という問題に迫る複雑で微妙なものが
ここにはあるんじゃないだろうか。

「障害者介助を生業にしてきた」夫婦であって、
本書を読んでも障害者運動の理念に相当程度まで親和してものを言っていると思えて、
優生とは「線引きの暴力」だとまで言い切っている杉田氏にとって、
この選択(そこにはいくつもの線引きがある)は一体どういうことなんだろう?

そして、杉田氏がホルモン療法という選択について
まったく疑うこともなく「親の決断」と捉えていると見えるのは―ー?
(少なくともこれに関して、本人の意思や気持ちへの言及は一切ない)

“アシュリー療法”と同じく、
ここには障害者差別や女性差別や治療とエンハンスメントの境界や、
子どもの医療をめぐる意思決定の倫理問題や、親の決定権など、
「優生思想」という言葉でひっくくってしまうことのできない、
とても複雑な様々な問題が含まれているんじゃないのかなぁ。

もちろん杉田氏は、自分の中にあるそれらと向き合うことを引き受けようと、
この事実をカミングアウトしているわけなのだろうから、
今後これを「政治的・公共的な回路へ接続」していくのだろうけど、

杉田氏が、懐疑を伴いながらではあるにせよ、
エンハンスメントを「よき優生思想」(p.235)という言葉でくくってしまうことも含めて、
これについてはこれから考え続けてみたい。


その他、対談で指摘されている興味深い点についてメモしておくと、

○事件後の言説に、青い芝のラディカリズムへの回帰が目立ったことに対して、
 40年前と今とをつなぐものが「ごっそりと抜け落ちている」(杉田p. 184)。
 運動の思想や理論をいかに継承し更新していくか、という課題の指摘。

 その後の発言を辿ると、杉田氏が特に言いたいのは
「継承」よりも「更新」の方なのだろうと思う。


○立岩氏は、それに対して、70年代の青い芝に象徴される言説について
 うるわしく情緒的な方向に「たわんで」いきがちな言論空間に対して、
 抵抗する為に「時々帰ってもよい場所」だという言い方をしている(p. 188)


○ついでに立岩氏の「この子らを世の光に」と言わなきゃいけないのか、という指摘。
 それから「守る会」の3原則への疑問。(p. 198)

前半の指摘については、
立岩氏が青い芝について言うことは
糸賀一雄にもある程度まで当てはまるんじゃないかと思うのだけど、
後半の指摘については、私にも思うところが多々ある。

……そしてこの三原則は、1964年にできたその親の会がどういう道を行ったか、行かざるを得なかったかということに深く関わっている。
(p. 198)


○「施設」や「分断」については、
重症心身障害児者と家族の地域生活支援を仕事にしてきたという杉田氏が
事件後の言説で生まれている分断を「身体と知的 vs 精神」の構図で捉えていることに
ちょっと、びっくりした。

たぶん精神障害者を治安の対象と位置づけての対応を意識してのことだと思うのだけど、
私には、その問題については一致して「いかん」という意識があるんじゃないか、むしろ
分断が起きているのは「身体(一部の知的含む) vs 知的と重心」という構図と感じられるから。


○杉田氏は、重症児の親たちが施設を中から開いていく活動にも触れているし、
 「地域」に管理が入り込むリスクや、その「概念が簒奪され」ている懸念も表している。

そのことを含め、以下のあたりは、
事件後に私自身が考えてきたことにそっくり重なっている。

(施設で暮らしていたり地域で親もとで暮らしている人が)あちこちにいるときに、
それを否定しないロジックをどう作れるのだろう。他の人たちに対する抑圧にならないかたちで。
(p. 213)


そもそも「地域」という言葉でいいのか。昔ながらの「脱施設」と「脱家族」をいうだけでいいのか。
(p. 216)


○立岩氏の方は、話が「家族がみられないから施設に入れるしかない」になるなら、
家族も逃げたっていいし、本人も家族を捨てたり蹴っ飛ばせばいいのだ、と。

ただ、そこで、「身体」は介助がなければ死ぬかもしれないが、
入居差別がなければ「精神」の人は暮らせる、と言って終われるのがすごい。

いつのまにか自分で蹴っ飛ばせる障害者限定の話になっているし、
家族が逃げたり、「介助」あっても医療がなければ、重心児者は死にます。


○象徴的だと思ったのは、2人が揃って
 やまゆり園はいわゆる重心施設ではない、と指摘しつつ、そのことが、
 「コミュニケーションがとれる軽度の人だっていた」「それなのに施設だから
自分たちはコミュニケーションとれない重度者を想定した」
という問題として進んでいくこと。

そこには、それこそ「施設は重度者が入るもの」
「重度者なら施設もやむを得ない」という内なる線引きはないの?
コミュニケーションの可否で重度・軽度を線引きする、その感覚ってどうなの? 
みたいなあたりを、私はむしろツッコミたいと思ったんだけど。

もう一つ、とても重大な盲点がある。

医療的ケアネット理事長の杉本健郎医師は、逆に、
知的障害者施設の入所者が高齢化に伴って重心と同じ状態になっているにもかかわらず、
重心とは施設の職員配置や種別も違うために適切なケアが提供されていない深刻な問題が
事件後の議論からは完全に抜け落ちている、ととても大事な指摘をしていて、

これは私にとっても盲点だったので、
この指摘を知った時には愕然とした。

12月18日に京都で開かれた同ネットのシンポでは
神奈川からこられた同業者の方が会場から発言されて、
やまゆり園の実情はまさにそうだったが医療的ケアも頑張っていた、
という情報がもたらされてもいたし、

これ、よく考えてみたら
地域の知的障害者でも高齢化に伴って起きてくるアクチュアルな問題のはずなんだけど、

そうした知的と重心の直接的な関係者と、この2人の間では、
現実認識がここまでかけ離れているのか、とびっくりした。

結局、知的と重心については、本人たちの現実の姿や施設の実際が取り残されたまま、
いろんな立場の人が、それぞれ自分の主張したいことを主張しやすいように、
文脈によって多様な障害像を恣意的に出し入れしているんでは?

個々の本人と家族は、
そんな器用な手品なんて使えない現実を生きているんだけど。


○杉田氏が最後のあたりで語っている
「今回の事件はまだ入り口に過ぎない」とか
「これからもっとひどいことが起こる前兆」といった懸念は、
私にも共有されている。


○杉田氏が自分もキメラ的存在の一人だからこそ、内なる弱さと向かい合いながら
あらゆる線引きの暴力としての優生に抗うために何を言えるか、
を模索しようとしているのに対して、

立岩氏は、青い芝の論理では全部絶対反対になるので、
自分は優生思想絶対反対とは言い切れないが、安楽死法制化反対までは言おう、というふうに
自分の中でどこまでを認めるかの線引きは必要なのだと、
語っていて、

最後のところにきて、こういうズレ方で対談が終わっているのも、
最初からずっと感じ続けた2人の話の噛み合わなさを
象徴しているのかもしれない。


○立岩氏が「その線引きを考えるために踏まえておくべきファクト」が
剥がれ落ちて忘れ去られないように、記録・記憶しておくことの必要を言っていて、

それは安楽死や自殺幇助や「無益な治療」論の周辺でファクトを拾い集めながら
私自身が、こうしたファクトを押さえて初めて、この問題について
「感想」を超える何がしかの「意見」を持てるはずだと感じているのも
まさにそういうことなんだろうと思うし、それだけに、

それをしなければ、
「ずるずるってなって、べろっと剥がれてしまうこともある」と立岩氏が言っているのは、
ものすごくリアルに不気味な対談の最後の発言。


○同時に、立岩氏の「家族が逃げればいい。家族を蹴っ飛ばせばいい」という
「身体」と「精神」だけがイメージされた問題解決の周辺では、
いくつものファクトが最初から拾われないままになっていることも、どうしても考える。

この2人の話には、
高齢者で先行しながら進められていく社会保障の縮減というファクトは
ほとんど織り込まれていないように見えることも、ちょっと気になった。
(「グローバリゼーション全盛の時代」に織り込まれているってことなのかな)

私にとっては、
「地域移行」が社会保障縮減のアリバイとなって、
「ずるずるってなって、べろっと剥がれてしま」った結果の事象として、
医療的ケア児の支援なき地域への「退院支援」や「地域移行」推進があり、
知的障害児施設からの知的障害者の問答無用の追い出しがあるんでは、
(詳細はこちらのコメント欄とTBを参照)という気がしてならないんだけど。