生権力・生政治・生資本についてのメモ
「生権力」については、
フーコーの「〈死なせるか生きるままにしておく〉という古い権力に代わって、
〈生きさせるか死の中に廃棄する〉という権力が現れた」という
有名(らしい)表現を含め、モヤモヤしたところに留まっていた。
フーコーの「〈死なせるか生きるままにしておく〉という古い権力に代わって、
〈生きさせるか死の中に廃棄する〉という権力が現れた」という
有名(らしい)表現を含め、モヤモヤしたところに留まっていた。
この度ひょんなことから
『科学技術社会論研究』第17号(特集―身体・生命・人間の資本論)という
モノを知らない素人は存在すら知らなかったジャーナルを手にし、
そこに収録された論文を読んでいたら、モヤモヤがかなりスッキリしてきたので、
個人的なメモとして、このエントリーに取りまとめておきたい。
『科学技術社会論研究』第17号(特集―身体・生命・人間の資本論)という
モノを知らない素人は存在すら知らなかったジャーナルを手にし、
そこに収録された論文を読んでいたら、モヤモヤがかなりスッキリしてきたので、
個人的なメモとして、このエントリーに取りまとめておきたい。
ちなみに、ネット上コトバンクでの「生権力」の説明は以下。
フランスのポストモダンの哲学者フーコーの用語。近代以前の権力は、ルールに従わなければ殺す(従うならば放っておく)というものだったが、近代の権力は、人々の生にむしろ積極的に介入しそれを管理し方向付けようとする。こうした特徴をもつ近代の権力を「生-権力」とフーコーは呼ぶ。具体的には2つの現れ方があり、1つは個々人の身体に働きかけて、それを規律正しく従順なものへ調教しようとする面である。学校や軍隊において働くこの種の権力は「規律権力」とも呼ばれる。もう1つは、統計的な調査等々にもとづいて住民の全体に働きかけ、健康や人口を全体として管理しようとする面である。こうしたフーコーの権力論は、近代になって個々人の自由が広く認められるようになったという一般的なイメージを覆し、近代を個々人を巧妙に支配管理する権力技術が発達してきた時代として捉えるものだった。またこれは、政治権力を奪取しさえすれば理想社会が到来すると見なす、マルクス主義的な権力観に対する根底的な批判でもあった。フーコーの権力論は、いまも社会学や社会運動に大きな影響を与えつづけているが、他方で、権力の正当性の基準を欠き、どういう法律や政策ならば正しいかを決定しえないという批判もある。
(西研 哲学者 / 2007年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」
(西研 哲学者 / 2007年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」
――そこで『科学技術社会論』第17号。
組換えDNA技術の登場と、
それに伴って研究者らがガイドラインを検討した1975年のアシロマ会議を
「生物学の歴史の中で、その学問的な成果を広く応用して工業化可能性を拓くことができる、
新たな時代が登場したと言える初めての科学史上の出来事」だった。
それに伴って研究者らがガイドラインを検討した1975年のアシロマ会議を
「生物学の歴史の中で、その学問的な成果を広く応用して工業化可能性を拓くことができる、
新たな時代が登場したと言える初めての科学史上の出来事」だった。
さらに、1990年代のヒトゲノムプロジェクトの始まりによって
生命科学技術の新たな領域の立ち上がりに伴うELSI問題群が意識されることになった。
(ELSI=Ethical, Legal and Social Issues)
生命科学技術の新たな領域の立ち上がりに伴うELSI問題群が意識されることになった。
(ELSI=Ethical, Legal and Social Issues)
しかし、生命科学技術と社会の問題を現実に即して捉えるなら
倫理という側面からだけ論じることには限界があり、
「既に存在している規則や習慣どの人の行為の背景にあって前提となっている
権力構造を描き出していく」ことなど、政治哲学的な問題構造の議論も必要。
倫理という側面からだけ論じることには限界があり、
「既に存在している規則や習慣どの人の行為の背景にあって前提となっている
権力構造を描き出していく」ことなど、政治哲学的な問題構造の議論も必要。
そこで、この特集においては、
「政政治」「生権力」「身体の商品化」「生命の資源化」「生資本biocapital」という
考え方を鍵として、この問題を考える、と。
「政政治」「生権力」「身体の商品化」「生命の資源化」「生資本biocapital」という
考え方を鍵として、この問題を考える、と。
②廣野喜幸(東京大学)の「人体の商品化と生権力」からメモ
近代以前の君主型の「死権力」に対比される新たな政治権力「生権力」の
4つの特徴が解説されている。
4つの特徴が解説されている。
第1の特徴とは以下。
これはリアルに説得力がある。
第2の特徴は、
「ゾーエー(命)が関与するのが死権力であり、ビオス(生活)が関わるのが生権力」
「ゾーエー(命)が関与するのが死権力であり、ビオス(生活)が関わるのが生権力」
気に入らなければ殺すけど、それ以外は放っておく君主型の死権力に対して、
生権力は、このように生きよ、と支配を及ぼしてくる、ということですね。
生権力は、このように生きよ、と支配を及ぼしてくる、ということですね。
……新種の権力は、さまざまな生き方の中である種の生き方を規範=パラダイム化し、そうした生き方へと人々を強要する作動機構を持つような存在なのである。(p. 25)
第1の特徴とセットになって、この「強要」は
身の回りの日常生活でも、ネットで見るニュースの中でも、リアルに目撃しているところ。
身の回りの日常生活でも、ネットで見るニュースの中でも、リアルに目撃しているところ。
……
生きている被造物としての人間の生命の潜在力をコントロールし、管理し、設計し、つくりなおし、調整することの可能性にこそかかわるのである。それこそが、私が示唆する「生そのもの」の政治なのである。(Rose 2007=2004、12-3) (p.43)
生きている被造物としての人間の生命の潜在力をコントロールし、管理し、設計し、つくりなおし、調整することの可能性にこそかかわるのである。それこそが、私が示唆する「生そのもの」の政治なのである。(Rose 2007=2004、12-3) (p.43)
つまり、なんらかの科学的な知見によって正当化されつつ行われる
いわゆる「命の線引き・選別」のことですね。
いわゆる「命の線引き・選別」のことですね。
ここで法的、倫理的な議論がその正当化の役割を担ってもいることは、
拙ブログでも考えてきた通り。
拙ブログでも考えてきた通り。
そして、第4の特徴は以下。
20世紀前半に、科学知によって生命が序列化され、
「低い階層の生命が高い階層の生命に寄与することを強制されるようになって」いき、
ナチスを念頭に置いたフーコー、アガンベン、エスポジトも政治の次元に焦点を合わせたが、
「低い階層の生命が高い階層の生命に寄与することを強制されるようになって」いき、
ナチスを念頭に置いたフーコー、アガンベン、エスポジトも政治の次元に焦点を合わせたが、
しかし、人体の商品化において複縦がささげられる先に位置するのは資本システムである。政治権力ではなく経済権力が台頭し、権力システムの主要アクターとなったのである。(p.27)
そうした生権力の様相を、臓器移植医療、尊厳死・安楽死を通して如実に分析したのが
小松美彦先生の著作なのだけれど、この特集では
生殖と医療システムの周辺での生権力のうごめきを指摘する論文が多く、興味深かった。
小松美彦先生の著作なのだけれど、この特集では
生殖と医療システムの周辺での生権力のうごめきを指摘する論文が多く、興味深かった。
それらの中から、「生権力」概念を理解するのに役立った辺りをメモとして。
③柳原良江(東京電理大学)「代理出産というビジネスー経緯・現状とそれを支える文化構造」
……一方「商業資本」が「常時永続化」するために想像する「価値」が浸透した社会では、需要は増え続ける一方であり、不足はますます深刻化する。(p. 87)
「生-資本」の圧力により代理出産が合法化されたのち現れるのは、これまで巧みに隠蔽されてきた、女性と子供に対する、あからさまな、そして時にはなりふり構わぬ商品化である。(p. 87)
ここらあたり、私が素人の稚拙な言葉ではあるけれど、
「意図的にばらまかれる“コントロール幻想”によって人々の欲望を新たに掘り起こしては
そこにマーケットが創出され、そのマーケット自体が消費されていく経済構造のカラクリ」
として捉えてきた事態そのものが、まさに「生権力」の露われだったのだなぁ、と再確認。
「意図的にばらまかれる“コントロール幻想”によって人々の欲望を新たに掘り起こしては
そこにマーケットが創出され、そのマーケット自体が消費されていく経済構造のカラクリ」
として捉えてきた事態そのものが、まさに「生権力」の露われだったのだなぁ、と再確認。
④山本由美子(大阪市立大学大学院)「胎児組織利用と子産みをめぐる統治性および生資本」
……今日の生権力における統治技法とは、妊婦に対して、自らの意志のもと身体ごとバイオ資本経済活動に参加する自由を保障したうえで、ある種の「救済」の価値づけを与えたのではないだろうか。胎児の質を選ぶのではなくみずからの人生のありようを選ぶ形で、選別的中絶を、個人のよりよい生の実現の中に包摂したのである。優生的な表象や概念をみじんも用いることなしに、人口管理だけでなく生資本の収集までも可能にしようとしている。これが今日にみる子産みの統治といえる。(p. 111)
他にも、以下の論文など、
自分なりに考えてきたことが専門的な言葉で論理的に説明されていく感じがして
大いに勉強にもなり、面白かった。
自分なりに考えてきたことが専門的な言葉で論理的に説明されていく感じがして
大いに勉強にもなり、面白かった。
「高齢者をめぐる生政治―医療費増加の責めを高齢者に帰する言説の分析」花岡龍毅
「『遺伝子検査』へのダブルスタンダードと不透明な未来」武藤香織
「診療記録の資源化―医療情報の電子化と次世代基盤法」佐々木香織
「人体の資源化と社会装置としての幹細胞バンク」見上公一
「『遺伝子検査』へのダブルスタンダードと不透明な未来」武藤香織
「診療記録の資源化―医療情報の電子化と次世代基盤法」佐々木香織
「人体の資源化と社会装置としての幹細胞バンク」見上公一
で、読後感としては、
「生権力」「生政治」「生資本」とは、
当ブログで様々に素人の稚拙な言葉で捕まえてきたもののことだったんだなぁ、と。
「生権力」「生政治」「生資本」とは、
当ブログで様々に素人の稚拙な言葉で捕まえてきたもののことだったんだなぁ、と。
「医学・医療の問題だったことが今では政治経済の問題になっている」