「ご遺体」と「いのち」の捉え方の違い

図書館で借りて読んだので、文庫ではなくて平成27年刊行の単行本の方なのだけど、
以下の本を読んでいたら、ずっと疑問に思っていたことが説明されていた。

『葬送の仕事師たち』井上理津子著 新潮社

ずっと疑問に思っていたことというのは、米国を舞台にした映画でよく見る、
病院で家族を看取った人が、そのまま病院を後にするシーン。

え? 遺体はどうするの? 

そんなシーンを見るたびに、思っていた。

その疑問に答えてくれたのは、以下の下り。

アメリカでエンバーミングを学んでエンバーマーとして働いた経験のある
愛知県一宮市の株式会社「のいり」の社長さんが
米国と日本との遺体に対する家族の思い入れの違いについて語っている箇所。

「亡くなった人への『愛』はアメリカも日本も同じですが、ご遺体に対する執着が異なります。日本にはご遺体に寄り添うのが愛、みたいな感覚があるけれど、アメリカではご遺族は病院で手続きが終わるとさっさと帰宅し、次にご遺体に会うのは数日後の葬儀の日なんです。ご遺体を家に連れて帰る習慣もなければ、葬儀までの間に個人に会いに来る人もいません。カルチャーの違いだと思います」
(p.165)

次は、著者による地の文。

 なお、欧米には、骨上げの習慣がない。遺族は遺体を火葬場に運ぶと、帰宅する。遺体は、火葬場の都合の良い時間に火葬され、遺族は2~3日後に「灰」を受け取る。「遺骨」を和英辞典で引くと、「somebody's remains」「somebody's (funeral) ashes」。遺骨にこだわるのは、日本ならではのようだ。
(p.207)


このあたりの「カルチャーの違い」
70年代の日本の脳死議論を考えさせられる。

生命とも命とも違う「いのち」―-。