「どうせ死ぬ人」だから「枕で窒息」させても「殺したことにはならない」?

近く審議される予定のFalconer卿のPAS合法化法案に
Norman Lambケア大臣をはじめ多くの議員が支持を表明するなど、
議論が過熱している英国。

BBC
14年前にハンチントン病の息子Nigel Goodmanさんにヘロインを過剰投与し
殺人罪に問われたものの、その後、自殺幇助・教唆に罪状が変更され、
12ヶ月のconditional discharge(保釈?)となったHeather Prattenさんの
合法化への訴えを取り上げているのだけれど、

その記事の中で
罪状が自殺幇助・教唆に変更された理由の説明に
なんともびっくり仰天。

Initially she was charged with murder. But this was later reduced to aiding and abetting suicide, after a post-mortem examination revealed he was so close to death her actions made no difference.


死後解剖で、Nigelさんは余りにも死が近く迫っていたので
母親の行為による違いはなかったと判明したから……?

もちろん判決文を読んだわけではないので
判決そのものに何事かをいえるわけではないのだけれど、

このメディアの表現のええかげんさに、
死の自己決定権議論の危うさがモロに出ている、と思う。

この下り、要するに
「どうせ死ぬ人」なのだから
「誰かが手を下して殺したって、それは殺したことにはならない」。

でも、本当にそうだろうか?
そんな法解釈がありうるのだろうか。

……と思うけれど、
でも実際、これはモンタナのバクスター判決の際の審理過程でも登場した論理。




ちなみに、上記BBCのニュース記事から
Prattenさんの発言を抜いてみると、

「息子は歩くのも話すのも難しくなっていました」

「いっしょに横になって、彼の人生について語りあい、
それからいっしょに眠りにつきました」

そして、目が覚めた時に、枕で窒息させたのだという。

「私は息子を大変愛していましたから、だから私には
息子が何を望んでいるか分かっていました」

……ってことは、
母親が息子の意思を「推測」したのであって、
息子からの明示的な「自己決定」があったわけでもない……のに?

「どうせ死ぬ人」なら、
明示的な本人の意思表明がなくても、
枕で口を覆って窒息させても、
それは「殺害行為」ではなく「自殺幇助」??

それってヘンでしょー。

私にはこういう社会全体の感度の低下こそが
何よりも恐ろしい「死の自己決定権」議論の”すべり坂”だと思えてならないのだけど。