古本聡氏のコラム記事「アシュリーちゃん事件を知っていますか」に抗議した件について

土屋訪問介護事業所のHP内の「コラム」に、2019.11.17の日付で「アシュリーちゃん事件」を知っていますか?」というタイトルの記事が、前後編に分けて掲載されました。それぞれの文末に(2017年4月の記事より、再掲載)との追記があります。著者は古本聡氏。当該記事は全文をこのエントリーの末尾にコピペしています。

 

私がこの記事に偶発的に行き当たり、読んだのは1月27日でした。翌28日に土屋訪問介護事業所のHPに、以下の問い合わせを入れました。

 

 突然のご連絡で、失礼いたします。

 『アシュリー事件 メディカル・コントロールと新・優生思想の時代』(生活書院 2011)という本の著者の、児玉真美と申します。

 

 ひょんなことから土屋訪問介護事業所さんのサイトで古本聡さんの昨年11月のコラム「「アシュリーちゃん事件」を知っていますか?」前編・後編に行きあたり、拝読させていただきました。

 

 そして、ここに書かれているアシュリー事件をめぐる詳細情報の多くが、その解釈を含めて、拙著からそのまま使われているのではないか、場所によっては表現そのものまでが拙著から借用されたものではないか、との印象を持ちました。

 

 しかし、児玉については「後にこの事件について本を著された児玉真美さんも同様な指摘をなさっています」という言及が一か所あるのみで、文章の書き方としては全体に、古本さんご自身の調査によって得られた自前の情報に基づいたものとして書かれております。

 

 ありのままに申し上げれば「パクられた」と感じているわけです。なお、版元の方にも古本さんのコラム記事2本を読んでいただきましたところ、同じく「パクりですね」というご感想でした。

 

 まずは古本さんにご確認いただきたく、メールを書かせていただきました。お忙しいところ、また本来のお仕事とはかかわりのないことでお手を煩わせて恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

                                                                                                       児玉真美

 

数回のやりとりにより、土屋訪問介護事業所の運営母体であるユースタイルラボラトリー株式会社さんからは、業務委託や雇用契約などの関係がないので古本氏と連絡を取るつもりはない、当該記事は削除する、とのお返事とともに、古本氏のFBアドレスのお知らせがありました。

 

児玉はFBをやっていないため、拙著『アシュリー事件 メディカル・コントロールと新・優生思想の時代』の版元さんのご協力を得て、古本氏に連絡を取り、往復2度のやりとりがありました。2月20日に、私が古本氏にお送りしたお返事は以下。

 

古本聡さま

 

『アシュリー事件 メディカル・コントロールと新・優生思想の時代』の著者、児玉真美です。生活書院さまより転送にてお返事を拝受いたしました。

 

 古本さんは、問題をすり替えておられます。問題は「経緯」ではなく「内容」です。お書きになった文章は、「ある程度の予備知識」で書ける内容ではありません。

 

 「引いていないと言えば嘘になってしまいます」とは、「引用しただけである」というご趣旨でしょうか。「引用」とは、出典元を明示し、個々に当該ページを明らかにしたうえで、ご自身の文章と引用箇所が読者に明確に区別される表記によって、出典元から一字一句そのままに記載するものです。古本さんのお書きになった当該記事の中には、私の著書『アシュリー事件』からの「引用」は一か所もありません。

 

 また「児玉様の記事をネットで見ていない……と言えば嘘になってしまいます」とは、「ブログの記事は見たが、児玉の著書『アシュリー事件』は読んでいない」とおっしゃっているのでしょうか。お書きになった文章からは、『アシュリー事件』を読まれたことも、その内容をご自身の表現に置き換えたり、多少のアレンジをされたり、ところによっては児玉の表現そのままに使っておられることも、明らかですね。

 

 「受講生には、児玉様のことを著者として紹介させてもらっていました。同時に、私自身も児玉様とそう変わらない時期にあの事実を知ることができた、とも申しておりました」とは、どういう意味でしょうか。前半は意味不明ですが、後半から拝察するに、自分も同じくらいの時期に「あの事実」については知ることができていたのだから、児玉の著書の内容を自分自身が調べて知りえたことであるかのように装って書く資格がある、とお考えなのでしょうか。

 

 「あの事実」とは、具体的に何を何時どこまで知ることができたとおっしゃっているのか。アシュリー事件は長い期間にわたって展開したものです。ある「時期」に知りえた「あの事実(それがなんであるにせよ)」だけで、古本さんがお書きになった記事は書けません。

 

 私は『アシュリー事件』を書くに至るまでに4年間、ほとんど毎日多くの時間を費やして事件の経緯を追いかけ、資料を探し求めて読み、分析し、推理し、この事件が意味するものをめぐって思考する作業を続けました。古本さんがパクっていかれたのは、私の著書『アシュリー事件』の内容や個々の表現のみならず、その4年間に費やされた私の時間とエネルギーと思索と、そこに注ぎ込んだ私の思いのすべてです。

 

 その事実を正面から誠実に認めて、謝罪してくださることを求めます。ユースタイルラボラトリー株式会社さんには、まず古本さんからきちんと謝罪していただいたうえで当該記事を削除されるのが順番というものだろうと当方の考えをお伝えしましたが、先に削除されたことは残念です。削除の理由を説明する責任が、コラムの運営側にも著者にもおありだろうと思いますが。

 誠意あるお返事をお待ちしております。

                                                             児玉真美

 

 

これに対して、古本氏からは2月22日に、今なお拙著は読んでいないと主張しておられる点など、児玉から見れば不十分ではありますが、パクった事実を認めて、それなりに誠意を込めて謝罪するお返事がありました。

 

ユースタイルラボラトリー株式会社さんには上記やりとりの中で、古本氏からの謝罪があって後に当該記事を削除されるのが順番というものだろうとの当方の考えをお伝えしましたが、記事は著者である古本氏への断りもなく削除され、したがって、削除の理由は説明されておりません。

 

児玉としては、当該記事が掲載されていた土屋訪問介護事業所のコラムまたは古本氏ご自身のFBにて、事実関係を説明したうえで謝罪していただくように求めます。

 

以下、土屋訪問介護事業所のコラム欄に2019.11.17付で公開された「アシュリーちゃん事件を知っていますか」という記事の全文です(なお、当該記事については削除前にスクショにて保存しております)。

 

2019.11.17

アシュリーちゃん事件」を知っていますか?~前編~

古本聡

 

人間の歴史の中で、優生思想はいろいろな形態で実践されてきました。異分子・不要分子とされた人たちをコミュニティから放逐することや抹殺することから始まり、隔離して事実上いないことにする、はたまたその人たちの遺伝子継承・増殖を断ち切るための人工中絶、断種処置、出生後選別に至るまで、様々な方法が用いられてきましたし、それら全てが今もなお、隠蔽または公認された形で行われ続けています。それに加え、現代では、着床前・出生前診断による、より科学的で、それが故に冷徹で抗うことが難しい生命の選別も実施されるようになりました。そんな中、十数年前に起こったことではありますが、私をして「いつの間に世の中は、SFホラー映画を超越するほどに恐ろしい場所になってしまったのだろう…」、と驚愕せしめた出来事がありました。「アシュリーちゃん事件」(Ashley X case)です。

 

2004年のこと、アメリカの6歳になる重症重複障害(知的障害と脳性麻痺)の女児に、両親の希望である医療介入が行われました。それは、①エストロゲンという女性ホルモンの大量投与により最終身長を抑制する処置、②子宮摘出により生殖不能にするとともに、将来の生理と生理痛を防止する処置、③初期乳房芽の摘出で乳房の生育を制限する処置(将来、乳房が発達すれば、車いすのストラップ着用に際して邪魔になるだろうとの予測に加え、介護者がアシュリーを女性として意識しなくてもいいようにするため)です。また、エストロゲンによる成長抑制は、彼女の介護をこの先ずっと担っていく両親や親類の負担にならないようにすることが目的でした。これらの医療処置は全て、両親が考案し、医師に実施させたものだったのです。

 

このことが、処置を実行した医師らがこのことについて学術論文を発表したのちの2007年初めにロサンゼルス・タイムズ紙に掲載され大きな、そしてセンセーショナルなニュースになりました。同記事の中で、アシュリーの父親は「自分では何にもできない、寝たきりで頭の中は生後3カ月の赤ちゃんなのに、一人前の女性としてさらに成長していくなんて、私たちにとってはグロテスクだとしか思えなかったのです」と述べ、またアシュリーに施された一連の処置を「アシュリー・トリートメント」、または「ピローエンジェル(枕の天使)・トリートメント」と名付けたのです。

 

それに対して、世界中の障害者団体、人権擁護団体や女性解放活動団体などは猛抗議を行い、「人間の尊厳を踏みにじる許しがたい暴挙」、「人間を物理的に人為改造してはならない、変えるべきは社会の各種システムだ」、との非難声明を相次いで発表しました。

 

その一方で、両親を擁護し、さらに「アシュリー・トリートメント」の実施を支持する意見も多かったといいます。擁護派の主張や意見の中には、「人に人格があるかどうかを判断する時、ただ生物としてのヒトに生まれてきたということだけではなく、一定の理性や自己意識の存在を前提にしていなければならない」とするものもありました。この主張に基づけば、生後3~6ヶ月程度で知的発達が止まったと推定されるアシュリーについては、人間としての尊厳を認める必要はない、ということなのです。また、実際に障碍児・障碍者の介護・介助に当たっている家族や一部の看護師・介護士らからは、「看護・介護作業や業務の効率性、労力の軽減化」の観点から、およそ肯定的な反応が返ってきた、との話も報道機関により伝えられました。

 

この処置は、アシュリーが自分の現状に苦痛を感じたが故に、それを取り除くために実施された治療でもなく、人としての尊厳より介護環境(両親)を優先させた、治療とは程遠いものであったと言えることは確かな事実でしょう。だからこそ、これらの意見の根底には、「だって、どうせなにもわからない重症児じゃないか」、「どうせ大人になってもどうしようもない重度障碍者」、「どうせ社会に何も貢献することのない障碍児」、という暗黙の前提があるんだな、とあのロサンゼルス・タイムズ紙の記事を読んだとき私は思ったのでした。後にこの事件について本を著された児玉真美さんも同様な指摘をなさっています。特に、「アシュリー・トリートメント」のイニシアチブを取ったのが、アシュリーの実の両親であったこと、そして生命倫理を最も深く理解し遵守すべき医師が実施したことにぞっとし、強い憤りを感じました。人間はその歴史の中で様々な、想像をはるかに超えるほどの残忍さを見せつけてきましたし、その傾向はまだまだ強いということは、勿論分かっていました。が、それにしても、事実の内容が奇怪過ぎて「SFホラー映画を超越している・・・」、とあの時、戦慄さえ覚えたのを思い出します。

(後編に続く)

(2017年4月の記事より、再掲載)

 

【略歴】 昭和32年生まれ、脳性麻痺1種1級、6歳からの5年間余、旧ソ連の障がい児収容施設での生活を経験した最初で最後の日本人。早稲田大学商学部卒、大学院生だった25歳より英語とロシア語翻訳会社を経営。16年4月よりユースタイルカレッジにて障がい当事者としての講話を担当。

 

 

2019.11.24

アシュリーちゃん事件」を知っていますか?~後編~

古本聡

 

あれは、障碍者本人のQOL(生活の質)を守るため、と尤もらしい理屈を前面に出しつつ、その実、介護者のQOLを第一にして、一人の人間の肉体に改造を加えてまでもその人、そしてその人の生命をコントロールしようとする実に非人間的な仕業なのです。それこそグロテスクです。またこれは、「介護者の身にもなってみろ」などという感情論では決して語ってはならない問題です。そんな理屈がまかり通るのなら、介護者の負担軽減の為であれば障碍者には何をしてもいい、ということになってしまいます。さらに、重度障碍児が、アシュリーの父親が述べたように、そのままではグロテスクで生きる価値がないとするならば、健康な者しか生きられない社会になってしまうでしょう。これを社会として見たときに、障碍者の生きる権利を奪うことにつながっていきます。突き詰めて行くと、「重い障害を持つ者は殺してもかまわない」、という流れになってしまいます。実際、先天性なり後天性なりの障害を負ってしまったわが子を指して、この子はいっそ死んでしまった方が幸せだ」、と言ってしまう父親・母親もいるのですから。

 

周囲によって都合良く身体を改造されたアシュリーは現在19歳。今も両親のもとで暮らしているそうです。そして、アシュリーから開始された、この新しい優生思想の実践は、さらに広がりを見せていて、今では、アメリカのみならず全世界で、男女合わせて13例にも増えている、と報告されています。

 

人間は、それが棲む経済社会のよりスムーズな発展を図るため、全てをコントロールすることを目指してきました。人間の生命をも、です。アシュリーの件から始まり、親が子どもを自分の意のままにデザインしようとする、いわゆるデザインベビーの出現、内臓疾患を持つ兄弟姉妹への臓器提供のためにもうけられるドナーベビー、代理母問題など、最近ニュースで取り上げられるようになりましたが、それらも命をもコントロールしようとする志向の実践なのです。ものすごい勢いでテクノロジーが発達し、人間の肉体も能力も際限なくコントロールできるという考えが世界に広がりつつあります。そして、そこに貧富の差の拡大が加わり、それらテクノロジーが新たなマーケットと消費の場を作りだしていて、それがもう暴走し始めているのではないでしょうか。アシュリー事件にも言えるように、そこでは既に人間の尊厳について論じられることがなくなってきています。さらに、そこには、人間の命をコストで計ろうとする、市場論理そのものの考え方も透けて見えてきます。

 

私たちの国も、上記のような優生思想の動きと無関係ではありません。古来より日本では、慣習的な行為として生命の選別が行われてきました。誕生時の選別としては間引、中絶などが挙げられます。また、死期が近くなった人間を選別する、という面では「姥捨て」などが知られています。今なら「安楽死」や「尊厳死」に該当するものでしょうか。

 

日本にはさらに、今は「母体保護法」という、耳にソフトに響くように改名された優生保護法があります。名前は変わっても、この法律の思想まで変わったわけでは決してありません。つい20年ほど前まで、まさにこの法律に則って、女性の重度障碍者には子宮摘出手術、男性には去勢手術が、半ば公然と、しかもその人たちの親や介護者の同意と都合によって、半強制的とも言っていいほどのやり方で行われていたのです。現在も、隠蔽されるようになっただけで、さほど件数は減っていないのではないでしょうか。

 

現在においても、古くから民俗習慣的に受け継がれてきた日本の優生思想は根強く生き残っています。それどころか、遺伝子治療、遺伝子診断、出生前診断および着床前診断などの高度な医療テクノロジーによって、よりパワフルに、そして一般的により受け入れられ易いものになってきているような気がします。これら診断技術のそもそもの目的は、疾病の早期発見と早期治療にあり、決して中絶ではありません。しかしながら、大多数の場合、治療法がない、治療のコストが高いことなどから、妊娠中絶のお手軽な理由付けの道具として使われているのが現実です。

 

「異常」があるかどうかを知るために診断を受け、「異常」があると分かれば産まない、というプロセス。これは、つまり、命の選別であり、既存の障碍者や病人に対する差別を助長する行為でしかないのです。障碍者を産むべきではない、生まれるべきではない異常な存在と定義づけて、生まれた障碍者の人権を否定しようとするこの考え方は優生思想そのものなのです。単にテクノロジーの進歩により、差別の手段が変わっただけです。このように、優生思想は100年前と何ら変わってはいません。しぶとく残っています。それどころか、進化さえしているのです。

 

「重度障害のある人は、その他の人と同じ尊厳には値しない」、という考えを私たちに押し付けてくる新たな優生思想がじわじわと拡がるこの時代。そんな時代を象徴するものとしての「アシュリーちゃん事件」。これは、私たちには関係のない海の向こうの事件では決してありません。そして何より、アシュリーちゃん事件は、まだ終わっていないのです。

 

(2017年4月の記事より、再掲載)

 

【略歴】 昭和32年生まれ、脳性麻痺1種1級、6歳からの5年間余、旧ソ連の障がい児収容施設での生活を経験した最初で最後の日本人。早稲田大学商学部卒、大学院生だった25歳より英語とロシア語翻訳会社を経営。16年4月よりユースタイルカレッジにて障がい当事者としての講話を担当。

 

 

 

 

 

2つのブログの移行について

当ブログは、
Yahoo!ブログのサービス停止決定を受け、
2019年8月10日夜にこちらに移行したものです。
 
移行に伴い、一部の記事が失われてしまったようですが
どの記事かを確認するのは膨大な作業になるため、放置となりました。
コメント欄の消失とともに、大変残念です。
 
 
【10日夜追記】
只今より、当ブログの移行作業に取り掛かります。

移行先の予定は、はてなブログ
移行先ブログのタイトルは「海やアシュリーのいる風景」の予定です。

この先のブログ活動については、、
移行先にて「海やアシュリーのいる風景」を細々と続けるか、
移行した2つのブログはこのまま仕切り直して新たなブログを始めるか、
ブログ活動そのものを休止とするか、まだ決めかねておりますが、

いずれにせよ、これまでお世話になりましたことに
心より感謝申し上げます。

児玉真美

――――― 
以前にご報告しましたように、

Yahoo!ブログは12月をもってサービスを停止するとのことです。

他サービスへの移行を迫られており、

2013年秋までやっていた

はてなブログ「Ashley事件から生命倫理を考える」に移行しました。

書庫はそのままカテゴリー名となりましたが、
コメント欄はすべて消えてしまいました。

コメント欄でやりとりをさせていただいた方々には
本当に申し訳ありません。


こちらの「海やアシュリーのいる風景」も近いうちに
(おそらく)はてなブログに移行する予定にしており、

そちらもタイトルはこれまで通りに
「海やアシュリーのいる風景」となります。


こちらもコメント欄が消えてしまいます。

また、これまでの拙著
注に挙げてきたブログ内エントリーのURLが、すべて、
この移行をもって無意味となってしまいます。


これについては、なすすべがなく、
大変申し訳なく思っております。


なお、この度、生活書院から刊行になる次著、


注には
ブログ名・エントリー名・投稿年月日を記載しましたので、
移行先のブログでエントリー名にて検索していただければ、
追跡可能かと思います。


何かとご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。

これまで2つのブログで大変お世話になり、
ありがとうございました。

今後とも、よろしくお願いいたします。


「ご遺体」と「いのち」の捉え方の違い

図書館で借りて読んだので、文庫ではなくて平成27年刊行の単行本の方なのだけど、
以下の本を読んでいたら、ずっと疑問に思っていたことが説明されていた。

『葬送の仕事師たち』井上理津子著 新潮社

ずっと疑問に思っていたことというのは、米国を舞台にした映画でよく見る、
病院で家族を看取った人が、そのまま病院を後にするシーン。

え? 遺体はどうするの? 

そんなシーンを見るたびに、思っていた。

その疑問に答えてくれたのは、以下の下り。

アメリカでエンバーミングを学んでエンバーマーとして働いた経験のある
愛知県一宮市の株式会社「のいり」の社長さんが
米国と日本との遺体に対する家族の思い入れの違いについて語っている箇所。

「亡くなった人への『愛』はアメリカも日本も同じですが、ご遺体に対する執着が異なります。日本にはご遺体に寄り添うのが愛、みたいな感覚があるけれど、アメリカではご遺族は病院で手続きが終わるとさっさと帰宅し、次にご遺体に会うのは数日後の葬儀の日なんです。ご遺体を家に連れて帰る習慣もなければ、葬儀までの間に個人に会いに来る人もいません。カルチャーの違いだと思います」
(p.165)

次は、著者による地の文。

 なお、欧米には、骨上げの習慣がない。遺族は遺体を火葬場に運ぶと、帰宅する。遺体は、火葬場の都合の良い時間に火葬され、遺族は2~3日後に「灰」を受け取る。「遺骨」を和英辞典で引くと、「somebody's remains」「somebody's (funeral) ashes」。遺骨にこだわるのは、日本ならではのようだ。
(p.207)


このあたりの「カルチャーの違い」
70年代の日本の脳死議論を考えさせられる。

生命とも命とも違う「いのち」―-。

オレゴン州、PAS要件を緩和

このところ、オレゴン州でPASの要件緩和の議論が続いていましたが、

余命15日以内と見込まれる人については、要件が緩和されることに。

オレゴン州尊厳死法では、PASを希望する人は、
口頭でPASの希望を表明した後、15日を置いてから書面で要望し、
その後、48時間後に致死薬を手にすることができるのですが、

余命が15日以内と見込まれる人では、
口頭での要望後に書面にするまでに15日間を置く必要がないことになりました。

この動きを主導したのは、やはりC&Cのようですが、
セーフガードが十分でなくなる、という批判も。


【お知らせ】来月、次の拙著『殺す親 殺させられる親』が刊行になります

長いこと、書けずにいたのですが、

5年かかって書いた本が、来月、刊行の見通しとなりました。

『殺す親 殺させられる親
―重い障害のある人の親の立場で考える尊厳死・意思決定・地域移行』

生活書院から、2300円です。


5年もかかってしまった理由の一つが、
3年前に起こった相模原の津久井やまゆり園での事件でした。

事件後に、さまざまな思いを抱えつつ言葉にならないまま悶々としてきたのですが、
多くの人との出会いを経て、やっと言葉にすることができました。

どうぞよろしくお願いいたします。

Lambertさん、死去

生命維持停止から9日目。




【14日追記】
毎週土曜日に届くBioEdgeのニュースレターがこの件を取り上げて、
以下のように書いている。

Michel Houellebecq and Pope Francis are two names seldom found in the same sentence. Yet they are united in decrying the death of Vincent Lambert, the disabled French nurse who died this week after having his food and water removed.

Being the head of the Catholic Church, Pope Francis’s views are, and are supposed to be, predictable. But Houellebecq, France’s most acclaimed and controversial novelist, is hardly a spokesman for traditional values. His novels are grotesque, nihilistic, pornographic, vulgar, cynical, and misogynistic. But, with the unsparing honesty of a true artist, he sees exactly what was going on:

"Vincent Lambert was in no way prey to unbearable suffering, he was not suffering any pain at all (...) He was not even at the end of life. He lived in a particular mental state, the most honest of which would be to say that we know almost nothing …

As he points out, it is ironic that France’s minister for health is called the “Minister of Health and Solidarity”. Solidarity with whom?


ショーケンの「安楽死のイメージ」

3月26日に亡くなったショーケンは何人目かの「初恋の人」なので、
中学生時代を彩ってくれた人を偲びつつ読もうと思って、
(買おうかどうか迷ったのだけど、まずは図書館で読んでみて決めようと)
図書館にリクエストを出しておいたら、

なんとNHKの「いだてん」に高橋是清役で登場するという、
待ちに待った今日のこの日に「リクエストが届きました」のメール。

さっそくに図書館に走り、
初めて見る「いだてん」を挟んで一気読みした。

そして、その終わり近くになって、
思いがけない箇所に出くわした。

235ページ。小見出し安楽死のイメージ」

うっ……てな感じだった。小見出しを目にした瞬間。

読みたくないな……という感じも、ほのかにあった。
でも、まぁ大好きな人のことだから、読まないという選択肢はなく。

そしたら、ものすごい「安楽死」が書かれていた。

こういう「安楽死」を語った人は、これまでいなかったんじゃないだろうか。

なので、以下に。

 私の場合、今の段階ではもう手術という選択肢はなくなった。最期がいつになるか、明日なのか、それともずっと先なのか。それはまったくわからない。

不惑スクラム』の撮影に入る前の2018年6月、医師に私の余命を聞いた。

「一年半です」という答えが返ってきた。

 病を患ったことは、もちろん不愉快だし重く苦しいことだ。けれども、これもまた私の人生における難関だと考えている。悔いのない人生を送ることで難関を乗り越える。だから何がなんでも治そうとは思わない。病を抱えたままでいい。

 一日一日を大切に生きようと思った。「大切に生きる」というのは、必死で勉強することでもなければ、心を入れ替えて暮らすことでもない。

 ただ、一日をゆったりと過ごす。怠惰に暮らすわけでもなく、お迎えが来るのであれば、それに逆らわないということだ。

 私がずっと考えているのは「安楽死」だ。ここで言う安楽死とは、病院で苦しまずに安らかに息を引き取ることではない。

 体の苦痛のことを言うならば、結局それは自分にしかわからない。死を控えて私が苦しんでいるのを見守る人間は別の意味で苦しいのだろうが、私以上には私のことはわからない。

 私の言う安楽死とは、自分が逝くとき、逝った後のことを含めて不安に陥らず、心安らかなまま人生を閉じることを指している。

 世間は有名人の死に際し、最初はその業績をなつかしみ、たたえはする。けれども、やがて血縁や相続をめぐって取り沙汰し、没後の魂を汚すことさえある。スキャンダルの標的にされ続けてきた私の場合、そんな「その後」が容易に想像できる。

 それはどうしても避けたいと思った。これまで懸命に私を支えてくれた妻が苦労しないための準備をしておきたい。それが最後の務めだと思っている。

 残された人間が「最後は穏やかだった」「安心しきっていた」と温かな灯りを抱いて見送り、その灯りをともし続けてほしい。そのとき、私は初めて心置きなくこの世に別れを告げることができるだろう。
(p. 235-6:ゴチックはspitzibara)


ここにある「安楽死」のイメージは、
BBCのクルーを伴ってスイスへ行き、プライシク医師の幇助を受けて自殺したBinnerさんの死の
ちょうど対極にあるもののような気がする。

【Binnerさんの妻デボラさんの手記に関するエントリー】
スイスで医師幇助自殺遂げた夫に、妻の慙愧(英)(2018/11/18)
Deborah Binner ”YET HERE I AM One Woman’s Story of Life After Death”(2019/3/29)