「生ききることができなければ、死ぬに死にきれないのに」

末期がんの友人と美術館へ行った。

彼女の車いすを押して
どこか異様でもある「小さな工芸品の世界」を見て回った後、

美術館の向かい側の喫茶室までの坂を
車いす初心者マークの彼女が「無理だ」というのを、

「26年間車椅子を押してきた私が行けるいうて言うんじゃけぇ、信じんさい」

「でも私は海ちゃんより重たいよ」

「そりゃそうじゃけど、そのぶん海の車いすはあれこれくっついとって重たい。
アンタの車いすは軽いけん、差し引きしたら大丈夫よ」

「でも……」

「じゃぁ、あんた、まだ左足は踏ん張れるんじゃけ、その足で手伝いんさい。
 2人でそうやって力を合わせたら行ける。ええ? 行くよ!」

本当は私もちょっと不安だったんだけれど、
やってみたら、案外に簡単に上がって行けた。

喫茶室の向こうに何本も
ほとんど満開の桜の木が見えた。

温かい飲み物を飲みながら
「死ぬ」という言葉を使わずに
「死ぬ」ことについて2人で語り合った。

これから未知の体験のあれこれを
一つずつ超えていかなければならない、
でも、まだ楽しいことも、ときめきもあるし、
自分は幸せだとも感じるから、それを大切に、
だけどもちろんフォーエヴァーじゃないんだから、
一つずつきちんと超えていきたいと思っているんだ、と
彼女があっぱれな覚悟を語り、


海のことを考えたら、
私が先だったら、何が何でも絶対に海の時には迎えに来てやる、
海があんまり辛そうだったら、お母さんがすぐに助けに来てやると決めているんだ、
もし海の方が先だったら、私は海がいるところに行けるんだし、
海のした経験を私もたどるんだから、それなら怖くないと思うんだ。

その医師の研究によると、
どうも親子とか夫婦という近い人じゃなくて、
その一つ外の距離の人が「お迎え」にくるものらしいから、
アンタが先だったら私の時には来てね、

この年齢だと、どっちが先になるかなんてわかりゃしないから
もし私が先になったらアンタの時には迎えに来るから。

そんな話をした。

6年ほど前に彼女ががんを告知され、
初めての手術を受けて怯えていた頃、
「あんたは死なんよ。私にはわかる。あんたはまだ死なん」と
私は電話で話すたび、会うたびに呪文のように繰り返した。

何が何でもそれを言い続けようと決めていたし、
実際、私には彼女が余命宣告通りに死ぬいう感じが全くしなかった。

けれど、彼女にがんが再発・転移してからは
私はそれを言えなくなった。

言えなくなったことが時々、心の負担でもあった。それだけに、
こうして死ぬことについて静かに語り合えている時間は
とうとうそういう時が来たのか、と寂しくもありつつ
しみじみと豊かにも感じられた。

彼女は昨日、緩和ケア病棟の医師に紹介されたという。

担当医も、緩和ケア医も、
みんなが「痛みは取ります」と言ってくれる、という。

まるで覚悟していろとでもいうかのように、
これから自分の身に起こることを逐一説明してもくれる、という。

それから彼女は
とても静かな口調で、ものすごいことを言った。

でもね。
そういうことじゃないんだ。

腹水が溜まりますよって言われるんだけど、
でもね、腹水が溜まって大きなおなかをした患者さんは
「そりゃ、しんどいわよ」と言いながら、笑ってた。

痛みを取ってもらうことよりも大事なことがあるのに、
それをお医者さんは誰も分かっていない。

死ぬことは、生きるってことなんだよ。

生き切ることができなければ、
死ぬに死にきれないのに。