ケイタイ電話
ディスプレイに「カヨ携帯」。
あ、カヨちゃんじゃ!……と、飛びつく。
次の瞬間には気づいているし、
「もしもし」と出た時には、頭ではもう分かっているんだけれど、
それでも、男の声が聞こえてきた瞬間、やっぱりかすかな違和感があって、
その違和感を通して、やっと現実的に腑に落ちる。
「もしもし」と出た時には、頭ではもう分かっているんだけれど、
それでも、男の声が聞こえてきた瞬間、やっぱりかすかな違和感があって、
その違和感を通して、やっと現実的に腑に落ちる。
カヨちゃんは死んだ。もう、おらん。
ホスピスに入ってしばらくは
ケイタイで話ができていたんだけれど、
そのうちにカヨちゃんが電話に出られなくなってからは
電話すると、夫君が出て私の言うことをカヨちゃんに伝えては
カヨちゃんの返事を聞いて、こちらに伝えてくれる「伝言ゲーム」になり、
ケイタイで話ができていたんだけれど、
そのうちにカヨちゃんが電話に出られなくなってからは
電話すると、夫君が出て私の言うことをカヨちゃんに伝えては
カヨちゃんの返事を聞いて、こちらに伝えてくれる「伝言ゲーム」になり、
そのうちに、はかばかしくしゃべれなくなってからは
「明日、お昼前に行くね」とか「海が寝込んだんで、行けなくなった、ごめん」とか
私からの一方的な連絡メールになった。
「明日、お昼前に行くね」とか「海が寝込んだんで、行けなくなった、ごめん」とか
私からの一方的な連絡メールになった。
酸素マスクをつけた海のところへ、ミキサーにかけた納豆を持って通って、
やっとちょっと落ち着いてくれたので、
海のところの帰りにカヨちゃんのところへ回る余裕ができて、
やっとちょっと落ち着いてくれたので、
海のところの帰りにカヨちゃんのところへ回る余裕ができて、
「カヨちゃん、きたよ。しばらく来られんで、ごめんよ」と声をかけたら、
口のところに耳を持っていかないと聞き取れなくなった、か細い声で、
「き・ん・さ・ん・な」と言った。
「き・ん・さ・ん・な」と言った。
「なんで?」
「あ・ん・た・は、う・み・ちゃ・ん・の・と・こ・ろ・へ」。
「あ・ん・た・は、う・み・ちゃ・ん・の・と・こ・ろ・へ」。
一瞬、胸が詰まって、言葉が出なかった。
夫君の「伝言ゲーム」で私のメールはちゃんとカヨちゃんに届いていた。
ずいぶん前から目も開かないし、言葉も出にくくなってきたけど、
カヨちゃんは、ちゃんと、この体の中に、いる。
ずいぶん前から目も開かないし、言葉も出にくくなってきたけど、
カヨちゃんは、ちゃんと、この体の中に、いる。
こんな状態でも、海のことを案じてくれている。
(元気な時には自分のことしか頭にないヤツじゃったくせに)
(元気な時には自分のことしか頭にないヤツじゃったくせに)
「だいじょうぶ。海は落ち着いたよ。
今日も海のところへも行って、今はその帰り。
あんたのところへだって、くるわいね。
こんなに気になっとるのに。くるな言うても、くるわ」
今日も海のところへも行って、今はその帰り。
あんたのところへだって、くるわいね。
こんなに気になっとるのに。くるな言うても、くるわ」
カヨちゃんは安心したのか、それきり黙った。
カヨちゃんのケイタイは、そんなふうに
もう電話で話すことも、私のメールに返信が入ることもないままに
ちゃんと私たちの会話をつないでくれた。
もう電話で話すことも、私のメールに返信が入ることもないままに
ちゃんと私たちの会話をつないでくれた。
そして、出張先のホテルの真夜中に枕元のケイタイが鳴った時も
「カヨ携帯」というオレンジ色のディスプレイで、私は、
あの「伝言ゲーム」以来の夫君の声がこれから何を告げるのかを知った。
「カヨ携帯」というオレンジ色のディスプレイで、私は、
あの「伝言ゲーム」以来の夫君の声がこれから何を告げるのかを知った。
葬儀が終わって、その翌日、
カヨちゃんのケイタイからかかってきた電話で、
夫君の声は、丁寧な御礼の挨拶を述べた。
カヨちゃんのケイタイからかかってきた電話で、
夫君の声は、丁寧な御礼の挨拶を述べた。
それから、しばらく、
カヨちゃんがいかに自己チューだったか、というエピソードを
次々に語り合って、大笑いしながら盛り上がった。
カヨちゃんがいかに自己チューだったか、というエピソードを
次々に語り合って、大笑いしながら盛り上がった。
電話を切った時、
カヨちゃんが死んでも、
カヨちゃんのケイタイは生きているというのが
なんか、妙な感じだった。
カヨちゃんが死んでも、
カヨちゃんのケイタイは生きているというのが
なんか、妙な感じだった。
そしたら、その翌日、
思いがけない形でカヨちゃんから電話があった。
思いがけない形でカヨちゃんから電話があった。
我が家の設置電話につまらない事務連絡の留守電が入り、
それを消そうとしたら、ずいぶん留守電が溜まったままになっていたので、
一つ一つ消していたら、いきなりリビングに響いたのはカヨちゃんの大声。
それを消そうとしたら、ずいぶん留守電が溜まったままになっていたので、
一つ一つ消していたら、いきなりリビングに響いたのはカヨちゃんの大声。
「まみさん、きょうは、びょういんに、くるひ、じゃったかいね。
わたし、いまから、がいしゅつするんじゃけど……」
わたし、いまから、がいしゅつするんじゃけど……」
ちょっと、ひび割れた、ゆっくりと眠そうな話し方の、
つい数日前まで生きていて、今はもう死んでいるカヨちゃんの声。
つい数日前まで生きていて、今はもう死んでいるカヨちゃんの声。
その生々しさに、立ちすくんだ。
じわ~ん、とする。
じわ~ん、とする。
カヨちゃんが死んで、私にはなぜか「悲しい」という感情はないのだけど、
ただ時々、「ぐわっ」という感じで「寂しい」というのがやってくる。
ただ時々、「ぐわっ」という感じで「寂しい」というのがやってくる。
立ちすくんだまま、大きな声を聞いていたら、
その「寂しい」の親玉みたいなのが「どーん!」という感じでやってきた。
その「寂しい」の親玉みたいなのが「どーん!」という感じでやってきた。
……そういうのが、
友人の死から数日間の出来事。
友人の死から数日間の出来事。
それから後、今日まで、やっぱり悲しくはないんだけど、一日に何度か、
「カヨちゃん、あんた、今どこにおるん?」と
どこに向かってなんだか分からないまま、問いかけている。
「カヨちゃん、あんた、今どこにおるん?」と
どこに向かってなんだか分からないまま、問いかけている。
だって、四十九日までは、まだそこら辺におるんじゃろ?
そんなら、「おるよ」って信号なりと送れんか?
そんなら、「おるよ」って信号なりと送れんか?
体臭ふんぷんとした風になって吹き渡ってみせる、とか?
――なんか、そんな感じ。
そして昨日の晩、
またカヨちゃんの夫君から電話があった。
またカヨちゃんの夫君から電話があった。
カヨちゃんのケイタイは解約しましたので、
これから何か緊急の時には、こちらの番号にお願いします。
これから何か緊急の時には、こちらの番号にお願いします。
カヨちゃん、あんたのダンナも、まだ頭の中がホスピスにおるよ。
「緊急の時」なんか、もう起こりようがないのにね。
そういえば葬式の翌日の電話でも、
こんなに夫と友人がワルクチばっか言って、
こんなに夫と友人がワルクチばっか言って、
「今頃、怒っとるんじゃないかなぁ。
怒って、何か起こすんじゃないかなぁ」って、ダンナ、言うとったよ。
怒って、何か起こすんじゃないかなぁ」って、ダンナ、言うとったよ。
ありゃ、待っとるよ。
なんか、起こしたりーよ。
なんか、起こしたりーよ。
電灯ぱたぱた消してみたりとか。
いきなり部屋のドア、あけたり閉めたりとか。
いきなり部屋のドア、あけたり閉めたりとか。
でも、あんた、まだ、そこらへんにおるんじゃろ?
カヨちゃん、あんた、今どこにおる?