Brittany Maynardさん、自殺

まず、一つ書いておきたいこととして、
日本のメディアはこのケースを「安楽死」として報じており、

安楽死」と「尊厳死」は違うのだ、
尊厳死」とは「自然死」なのだ、と
誤った解説がされているようですが、

安楽死」は一般に
医師が致死薬を注射するなどして患者を死に至らしめる「積極的安楽死」と
生命維持や延命治療などを中止したり差し控えることによって
患者の死を早めたり招く「消極的安楽死」に分類され、

日本で法制化が言われている「尊厳死」は、「消極的安楽死です。

そして、ブリタニー・メイナードさんのケースはそのいずれでもなく、
自殺幇助の目的で医師が処方した致死薬を患者が自ら飲んで死ぬ「医師の幇助を受けた自殺」。

つまりブリタニーさんの死は「安楽死」ではなく「自殺」なのです。





Britttany Maynardさんは、11月1日に自宅で
家族、友人に囲まれて、致死薬を飲み、自殺されたとのこと。









重症障害を負い、救命拒否をしていた夫が急変した時に
妻がとっさに救命を選択し、その後、夫婦で生きることに喜びを感じる日常を過ごしている、
というNYTの報道が世界中に流れて、

その10日後に、突然に気持ちを翻して死ぬことを選択した高齢男性のケース。


去年の8月27日のこのエントリーで書いたことを
そのまま以下にコピペしてみる。

ショックだ……。

人の心はこんなにも揺れ動くのだ、ということが。

そして、
そんなにも揺れ動くものである人の心が
一方に大きく振れて、それを口にした時に、
一定の状態にある人では、こんなにも簡単にそれが実現されてしまうのだ、ということが。

2人の姿がNYTに報じられたのは7月17日だった。
その、わずか10日後の出来事だ。

さまざまに反響もあったろう。
その中には意に染まない、不愉快な反応だって見聞きしたことだろう。
いきなり全国的な(国際的にも)注目を浴び、戸惑いもあったろう。
そんな大きな出来事があって、その余波のさなかにある時には
健康な人間だって気持ちが不安定になるものだろうに。

介護者であるBattinさんの方だって、
そういう非日常が起こっているさなかのことなら、
日ごろよりもなおのこと心は揺らぎ動いているのだろうに。

この結果でもって
これもまた「自律の原理が尊重された事件」ということになるんだろうか。

(私なんか日本の片隅で地味な本を1冊出しただけで、
大変な気分の不安定に陥ってしまってるのに。

仮にも世界のNYTに大きな記事とビデオで出てしまったんだから、
そりゃ、どんな人だって平静ではいられないのが当たり前なんじゃないかなぁ。
そういう非日常でハイになった後には、必ず揺り戻しがくるような気がするし。
そういう非日常時の「もういい、死ぬ」を冷静な判断だと受け止めて
応えてしまって、本当にいいのかなぁ)