今度はチリの14歳がビデオで「嚢胞性線維症と闘うのに疲れたから死にたい」と大統領に訴え

チリの14歳の少女Valentina Maureiraさんが
嚢胞性線維症と闘うのに疲れたから死にたい、と
Facebookのビデオで病院のベッドから大統領に向けて訴えた。

I am asking to speak urgently to the president because I am tired of living with this disease, and she can authorize the injection to put me to sleep forever.

急ぎ大統領と話をさせて下さい。

なぜなら私はこの病気を抱えて生きるのがイヤになっていて、
大統領なら私を永遠に眠らせるための注射を認めることができるからです。


彼女のビデオはスペイン語圏で話題となり、
死ぬ権利議論が沸騰。

Michelle Bachelet大統領は2月28日土曜日に
保健大臣を伴ってMoureiraさんの病室を訪れた。

この間に、Maureiraさんの病状はわずかに上向いており、
父親は肺の移植に希望を持っている、と語った。

大統領は訪問に先立ち、
自殺幇助は違法である以上、彼女の望みをかなえることはできないと言明しており、

大統領のスポークスマンは「保健大臣が家族と常時連絡を取っていて、我々は
気持ちのサポートと、彼女が生きている状態の改善に向けた治療を提供します」

病院の小児科の責任者によると
Valentinaさんの状態は安定している、とのこと。

ValentinaさんはCF診断時には17歳まで生きると余命宣告されており
残りは3年半。




例えばブリタニー・メイナードさんの事件がなかったら、
あるいは、あの事件があんなに世界中で情緒的に共感的に報道されなかったら、

Valentinaさんもこんなメッセージ・ビデオを作って流すことそのものを
思いつくことがなかったのでは??

そう思うと、

ここで起こっていること自体が「すべり坂」だと私には見える。

14歳の終末期ではない難病の少女が
「もうこんな病気で生きるのはイヤ」というビデオを流して、
それが共感的に報道されて「死ぬ権利」議論を喚起するなら、

その次には、例えば、10歳の重症身体障害のある子どもが
同じことを言い始めるのかもしれない。

そもそも
カナダ最高裁の判決が示唆しているように
「終末期でなくても不治の病気や障害のある人にとって、
その状態が苦痛である」ならば、
「医師の力を借りて死ぬ」ことを「権利」と見なしうるのであれば、

なぜ、その権利には年齢による制約があるのか、
なぜ同じ状況にある子どもには認められない「権利」なのか、
という議論が出てくるのも必然のような気がする。


【4日追記】
Valentinaさんに関する詳細とCaplanのコメント ↓
http://www.nbcnews.com/health/health-news/chilean-girls-plea-spotlights-cystic-fibrosis-assisted-suicide-n316051