インドで食い詰めた農夫300人、囚人130人が安楽死を希望

今週のバイオエッジのニュースレターの本文が、
インドで、愛する人を殺すのではなく自分が死ぬための「慈悲殺」として
安楽死を求める人たちの実態を紹介している。

Sunday, May 3, 2015

In 2007 an infection swept through the pomegranate trees of Hyderabad-Karnataka in India. Pomegrates are a profitable export crop into countries like Germany, Switzerland, France, and Canada. Farmers had borrowed heavily to invest in pomegranates and the disease brought them to their knees. Then came floods. The banks threatened to foreclose. Politicians promised relief and did nothing.

2007年、インドのHyderabad-Karnatakaで
輸出用作物であるざくろの樹に病気が広がり、
多額の投資をしていた農家は大きな痛手を蒙った。
その後、洪水の被害が重なると、銀行は差し押さえを言ってくるわ、
政治家は支援の約束ばかりで何もしてくれないわ、で、

Three hundred of these despairing farmers have a solution: they have petitioned the local governor for mercy killing, ie, euthanasia: "No yield, no money to repay the loans. The only option before us is to die," they say.

追い詰められた300人の農夫達は、
知事に対して慈悲殺(要は安楽死)を求めて請願書を出した。
「作物はできない、借金を払う金もない。我々に残された唯一の選択肢は死ぬことだけ」

On the other side of the country, in Jharkhand, 130 prisoners have also petitioned the local governor for mercy killing. They claim that they have spent 20 years in jail and have done their time but the authorities have done nothing. They are suffering from extreme mental trauma and say that death is better than the lives they are living now.

一方、Jharkhandでは、
130人の囚人が知事に対して慈悲殺を求める請願書を出した。
20年も収監されて刑期を終えているのに官憲からは放置され、
極度の精神的なトラウマに苦しんでおり、
こんな生活を送るくらいなら死んだ方がマシだ、と。

Such requests for “mercy killing” are relatively common in the Indian media, believe it or not. Perhaps they are genuine. Perhaps they are calculated to capture the media spotlight. But in any case, no one is going to die. Euthanasia is illegal.

インドのメディアでは、こうした「慈悲殺」の要望は珍しいことではないらしい。
そういう人たちは本気で慈悲殺を求めているのだろう。
あるいはメディアの注目を集めたいという計算なのだろうか。
が、いずれにせよ死ぬ人は出ない。安楽死が違法である以上は。

However, it’s easy to see how dangerous it could be for desperate people. Bureaucrats would rubberstamp their application for a lethal needle, for it would be easier to kill the petitioners than to give them jobs. If euthanasia were legal, people would die simply because they were luckless and poor.

しかし、追い詰められた人にとって、安楽死がいかにあやういかがよく分かる。
仕事を見つけてやるよりは安楽死希望者を殺してやる方がよほど簡単なのだから、
官僚は安楽死希望の申請書にはテキトーにハンコを押すことだろう。
安楽死が合法であれば、運が悪かったために貧しくなったというだけで
人は死ぬことになるのだ。

Is there a lesson for us in more developed countries? I think so. As a committee of the Scottish Parliament wrote in a thorough report this week about an assisted suicide bill (see below), “there is no way to guarantee the absence of coercion in the context of assisted suicide.”

インドよりも進んだ国である我々にも教訓になるだろうか。なると思う。
スコットランド議会が今週自殺幇助合法化法案について詳細な報告書の中で
以下のように書いている(これについてはBioEdgeに記事あり)。

「自殺幇助の過程で強要を確実に防ぐ術がない」

(翻訳はささっとやってみたものに過ぎないので、その点、ご了承ください)


Cookのニュースレターにリンクされた、農夫達の慈悲殺希望に関する元記事はこちら ↓
Debt-ridden pomegranate farmers plead for mercy killing
The Times of India, May 1, 2015


インドの農夫が
モンサント商法の犠牲となって次々に自殺に追い込まれている実態については、
06年に英語ニュースを読み始めた直後、インドの医療ツーリズムを調べた時に初めて知り、
06年11月の連載「世界の介護と医療の情報を読む」で
NYTの記事を参照して以下のように書いたことがある。

インドの農家も最近では国際競争に晒されるようになり、競争力をつけるには、アメリカから高価なバ イオテクの種や肥料などを買わなければならない。しかし、その一方でアメリカが自国の農家に巨額の助成を続けるので、綿の価格は下落。インドの零細な農家 が生き残るには高利貸から借金を重ねるしかなく、かんがい施設も災害保険も不備な中で、ひとたび娘の結婚や不作の年があれば完全なお手上げ状態だ。 2003年には17000人以上の農夫が自殺し、その後も続いている(NYTimes9月19日)。


その後、こうした事態の背景に何があるかについては
たまたま拾った情報のピースを順次はめ合わせていって、
そこから見える「大きな絵」を以下のエントリーで取りまとめてみた ↓
「アグリビジネス」の後ろにはワクチン推進と同じ構図が見える(2011/10/5)




こうした「背景」を考えると、
単にCookがいうように「追い詰められた人たちにとって安楽死という選択肢がいかに危ういか」よりも
更に根深いところに、この問題の本質的な構造があることが透けて見えてくるような気がする。

ちなみに、インドの親達が病気や障害のある子どもを養いきれなくて
子どもの慈悲殺を要望している、というニュースはこちら ↓
父親が知的障害のある3人の息子の慈悲殺を希望(インド)(2009/2/16)
インドの男性が貧血の息子の安楽死を希望:Cook「熟慮の末の自己決定ではなく絶望の叫び」(2013/6/2)



また、上記Cookのレターでの、囚人の安楽死希望についての元記事はこちら ↓
130 Jharkhand prisoners seek mercy killing
Movie Review, April 3, 2015


ベルギーでも、同様の要望が囚人から ↓
ベルギーの終身刑囚人の安楽死、中止。治療センターに移されることに(2015/1/17)