チラシ

兄の葬儀から2日。

朝起きて、わぁ、お天気が良くなりそうだ……と思うと、
にわかに自然の近くに身を置いてみたくなって、

久しぶりにお馴染みの県北の町まで「ひとりドライブ」に行ってきた。

さすがに山の緑は、もう「若葉の頃」の淡淡といたいけな風情を失い、
力をぐんぐんと漲らせつつあった。

人の人生で言えば、今がちょうど20代の頃にでも当たるのかもしれないなぁ……。

そんなことが頭をよぎる。

さわやかに乾いた風が吹きぬけて、里の景色は緑に輝いていた。

県北の町に着き、
スーパーの駐車場に車を停めてから、
車にあった雨傘を日傘代わりに、川の土手に上がって、だらだらと歩く。

いつ来ても、映画「おくりびと」を思い出す。
あの映画の中で主人公がチェロを引いていた場所に、ここはとてもよく似ている。

違うのは、映画のような橋がないことと
ここは2つの川が合流する地点になっていること。

なぜか分からないけど、私は昔から
川が合流して1つになる場所が大好きだ。

そういうところには、
ミステリーとか可能性とか、未知の世界への想像力を掻き立てる何かがあるような気がする。

合流する手前のところに、
平たく石を敷き詰めて段差を作ってあるので、
いつ来てもザバザバと大きな水音が絶え間なく響いているけど、

自然の音って、ほんとうに不思議だ。

音が「ある」と意識すれば確かに大きな川音なのに、
意識しなければ、しんとした静けさの中に紛れてしまう。

この前、この土手に上がって来たのは去年の春だった。
親友の車椅子を押して、雑草だらけの坂道を上がってきた。

「だいじょうぶだよ。ほら、いくよ」と決然と宣言して上がり始めたものの、
真ん中へんで、ちょっぴり後悔したのを覚えている。

土手をのんびり歩き、
立ち止まって、2人でしばらく川音を聞いた。

あの日もこんな、キラキラと日差しのまぶしい日だった。
来る途中、この川の下流では千本桜が見事な満開になっていた。

帰途も、まるで幼児のような一途さで桜に見入りながら、親友は言った。
「こういう美しいものを見ることができるから、なんとか生きていられる」

あの日は、もうずっと前のことのような気がするのに、
そうか、つい去年の春のことだったのか。

今年の桜は、
暗い部屋でベッドに沈み込んだまま渋る兄を
「町中が桜だらけでメチャきれいだよ。今朝の雨でも散ってないし、今日がゼッタイ最高潮。
こんなの今日しか見れないよ」と、強引に引っ張り出して、
広島市内の川沿いで、義姉の運転する車から見た。

朝からの雨が上がって、青空も見え始め、
たくさんの人が花見に繰り出していた。

遅いお弁当を広げる中年女性のグループや、何組もの親子連れや
スケッチをしている人や、ジョギングする人や、カメラを構えている人や、
みんなが思い思いのお花見をしていた。

あんなに渋っていたくせに、
助手席から雨上がりの桜並木に目を向けたまま、兄は言葉少なになり、
義姉が後続の車を気にする気配を見せると、「ゆっくり!」と切迫した声を上げた。

時折「ゆっくり」「ゆっくり行ってくれ」という以外なにも言わず、
桜と、思い思いに花見をしている人々の姿をじっと見ていた。

川面に向けて、たわわな枝を張り広げている木の下で、
川岸に下りる階段の最上段に座ったアベックが、たこ焼きを食べていた。

豪華な薄桃色を背に、
女の子が爪楊枝に刺したのを、男の子の大きく開けた口へと運ぼうとするところだった。

車がそばを通り過ぎた一瞬に、
その姿が、2つの弾けるような笑顔ごと、静止した「絵」として私の目に刻印された。

これから先、あの日の花見を思い出すたび、兄の「ゆっくり!」という声と共に、
あの若い2人の「絵」がよみがえることだろう。

そうか。
私、2年続けて「最後の桜」だったんだ……。

そうか……。
カヨちゃんが逝ったのは8月の末だったから、
まだ1年も経っていないんだ……。

そうか。

私はたった10ヶ月の間に、
親友と父と兄を亡くしたのか……。

それがどういうことなのか、
今の私には、よく分からない。

目の前には幅の広い大きな川が流れ、
聞こえてくるのはザバザバと川音のみ。

目を上げると、青く晴れ渡った大きな空の下、
川の向こう岸には、平坦な盆地がずううっと広がっている。

明るい陽に照らされた、しんと音も動きもない広大な世界――。

立ち止まって、あたりを見渡すと、
この広さ、遠さの中に自分を見失うような奇妙な感覚に襲われ、足元がぐらつく。

まるで宇宙空間のような、途方もない広さの中に身を置いて、
その世界の捉えどころのなさに目がくらんで、
自分という存在が確かに「ここにいる」という感覚を見失ったみたいに。

慌てて歩き出し、
去年の春に車椅子を押して行った通りをたどって土手を降りて、
人気のない、陽に晒されて眠ったような商店街を歩いた。

スーパーの駐車場に戻って車に傘を放り込み、
スーパーの向いにある、パンのおいしいカフェに入る。

カリカリに焼いた薄切りパンで作ったハンバーガーがおいしかった。

食べ終えて、紅茶を飲みながら、ふと見ると、
目の前の棚に何種類かのチラシが置いてある。

その中の赤いチラシに「おかあさんコーラス」という文字が見えた。

あれ……? もしかして?

立ち上がって2歩だけ足を出し、一枚を手にとってみると、
やっぱり、それはカヨちゃんが死ぬ間際まで情熱を注いでいたコーラスの
全国大会の中国支部の予選のチラシだった。

全国大会に行ってきたよ。ひまわり賞をとったよ。
そんな報告を何度聞かされたことだろう。

カヨちゃんが属していたコーラス・グループには
女の自立を痛みと共に歌い上げる自作曲があり、
「あの歌を歌うと、いっつもマミさんを思うんじゃ」と言ってくれたことがある。

一昨年の暮れにも、カヨちゃんは杖をつき、グループの発表会のステージに立った。
そしてフィナーレが近づくと、みんなと一緒に並んで歌いながら、
あるところで、なにかが思い切れたように、杖を抛った。

このうえなく幸せ、という顔をしていた。

赤いチラシには、出場団体の名前がずらりと並んでいて、
彼女が属していたグループの名前もあった。

カヨちゃんの出棺を美しいコーラスで見送ってくれた、あの人たちが
来月この町に来て、ステージに立つのだろう。

私は聴きに来ることはできないけど、
赤いチラシは丁寧に折ってバッグに入れた。

家を出るときから、ここへ来たら会えそうな気がしていたけど、
カヨちゃん、やっぱり、会えたね。

もうじき本格的な夏が来れば、
山が緑に燃えたぎるから、

あの爆発するような緑を見に、
またここへ来よう。

その頃には、どこか、
兄ちゃんに会える場所も見つかっているかもしれない。