ウーレット『生命倫理学と障害学の対話』(批判的)再読メモ: 第8章

これまでのシリーズ・エントリーで批判的に振り返ってきたように、
個々のケースをめぐる議論の細部については、
原著初読の時から多々の疑問や不満を抱えていた私が、

それでもこの本を日本で紹介したい、と考えたのは、

総体としてこの本が説いている、
メッセージに強く賛同したため。

その辺りを最終第8章から拾っておきたい。

まず、ウーレットは、生命倫理学という学問の本来の役割について、
以下のように捉えている。

医療をめぐる意思決定に関わるすべての関係者のあいだに信頼関係を育み、客観的に検証可能なデータに依拠するように勧め、明確でオープンなコミュニケーションを培うこと……
(p.305)


生命倫理学はもともと、広く行き渡っている医療的慣行を徹底的に批判するという形で、医学・医療の外側から[医療に]口を出す学問分野として始まった。
(p. 318)


「それにもかかわらず」と、後者の引用箇所は以下のように続く、

それにもかかわらず、今や生命倫理学は、医学校や病院、病棟に深く埋め込まれて(embedded)いる。生命倫理学者が臨床家であったり、臨床家が倫理学者であったりする例が少なくないのだ。
(p. 318)


この下りには、
生命倫理学と医学のこうした同盟関係
今や、医療の文化が染み込んでしまっている生命倫理学者たち
などのフレーズが続き、

そして、

生命倫理学と医学のあいだに同盟関係が存在するという事実の重要性と、それが医学の正統性に挑む生命倫理学者たちの意欲[の欠落]に及ぼす影響を認識、自覚することによって、生命倫理学者たちには、正統的な医学の考え方が、障害をもった人生の価値を貶めがちであるような多くの事例について、新しい視点が与えられるかもしれない。
(p. 318)

また、

 ラリー・マカフィーの事例のように、社会制度が障害を生み出しているという現実をより徹底的に理解することで、[障害をもつ]個人にとっての本当の問題とは必ずしも身体的な障害を持っているという不幸ではなく、障害を生み出す社会構造、すなわちそのなかでは意味のある人生を送る可能性が閉ざされてしまうような社会構造から逃れたいという要求なのだということが、生命倫理学者たちにもわかるようになるだろう。こうした盲点の可能性を認識し、以前は見逃していたデータの熟考を保障するための行動を起こすことが、生命倫理学者たちが[障害者コミュニティとの]和解へ向かう次のステップになる。
(p. 317 ゴチックはspitzibara)


……私の経験では、生命倫理学者の多くはこのような怒りの話法にたいへん反発を覚え、そのことがまた障害者コミュニティの視点を生命倫理の論争における正当で重要な一部として認めないという態度を正当化する結果になった。しかし、こうした怒りの話法を越えて、[障害者コミュニティ]視点を支える彼らの当事者としての一連の知見は、熟考する価値のあるものだ。この視点が要求するのは、障害を持った人々が自分たち自身の人生の価値について知るようになった真実を尊重すること、障害について医学が与える理解よりも幅広い理解をもつことである。
(p. 312 ゴチックはspitzibara)


医療の世界も、そこに「埋め込まれた」生命倫理学も、
「生活(LIFE)の中にその一部として医療がある」という当事者の視点と体験から学び、
自らの「医療の中に生活(LIFE)がある」という感覚だけでは
視野に捕捉しきれていない範囲があることに気づき、その「盲点」を「認識」せよ、
という呼びかけなのだと思う。

(つまりspitzibaraの言葉でいう「懐中電灯」であることの自覚、ですね)

そして、その主張の他にもう一つ、
私がこの本をどうしても翻訳・紹介したいと考えた大きな理由がある。

それは、シリーズ2本目のエントリーで書いたように、
障害者たちの「怒りの話法」の背景に、
彼らがどこまでも蔑ろにされてきた体験からの深い傷つきをウーレットが見抜いていること。

生命倫理学と医療という「専門家」の世界が、
障害当事者やマイナーな学問領域としての障害学の声や知見を
高踏的な専門性とアカデミズムの高みから見下ろして、相手にせずにきたこと。

それによって人格や尊厳を傷つけられてきた人々が
それらの世界のあまりの「届かなさ」に焦れながら、
なおも、今度こそ届かせずにおかない、と挑んでこうとする時、
そこに、蓄積された傷つきとフラストレーションが
むしろ痛みや悲しみであるはずのものを「怒りの話法」へと転じてしまうこと。

今度はそれが
「ほらみろ、あんな攻撃的で冷静を欠いた奴らと議論なんかできるか」と
さらに、もともとの軽侮の正当化に使われてしまうこと。

そして、高みに留まる側はさらに「相手にしない」という軽侮の姿勢を強固にし、
またも「届かない」まま踏みつけられた側はさらに人としての尊厳を傷つけられ、
フラストレーションを重ねること。

それは、本当は
世の中のありとあらゆる差別の根っこに潜んでいる構図であり、
世の中のいたるところで強い側が弱い側をアリンコのように簡単に踏みにじりながら、
そのことに無感覚、無自覚なまま、傷ついた人たちの反応をさらに差別の理由に転じては、
繰り返している構図でもあるのだ、と思う。

つまり信田さよ子が言うように、
権力とは「状況の定義権」なのであり、

勝村久司がいうように、医療事故の被害者は
被害そのものの辛さ以上に、被害が被害であったことを認めてもらえない辛さ、
「人間としての尊厳を回復できない」と感じさせられることに苦しんでいる

私自身が個人的にこの同じ問題に苦しんできたから、
何年も、この問題をぐるぐると考え続けてきた。
考えながら、私にも様々な医療職や研究者との「出会い」があった。

そして、このごろは、
やはり人と人として「出会う」以外に道はないのかもしれない、ということを考えている。



ウーレット自身が、「出会い」から学び、変わることのできた人だ。

第8章の「結論」の冒頭、
自分が障害者運動や障害学について学び始めた動機は、
彼らからの「攻撃から生命倫理学を守ること」だったと述べている。

多くの学者仲間からは
障害者問題に手を染めても箔はつかないし、
損をするばかりだからやめておけ、と忠告された、という。

それでも10年間の研究を経て、
彼女が問題を見る目はまるきり変わった。

第2段落に書かれていることを3つに分けて抜いてみたい。

 今の私は、違った見方をするようになっている。障害者コミュニティの専門家たちの言うことに耳を傾け、彼らの学術的な著作を読み、論争となる点について彼らと議論することによって私は、自分が受けた大学及び大学院の教育にもかかわらず、自分が障害の問題についてはいかに無知であったかということを思い知らされた。


「専門職」は、
専門性が高い知識を持つ自分は何でも分かっている「蛍光灯」だと、どこかで思い込んでいる。

専門性とは「狭く深い」からこそ意味があるはずなのに、
おうおうにして「専門家」は自分の「狭さ」を「広さ」とカン違いする。

ウーレットは自分が障害の問題については「懐中電灯」だと、気づいたのだと思う。

私の認識をもっと変えたのは、障害をもっている友人たちや同僚たち、学生たちと食事を共にし、ワインを飲みながら恋愛や子育てやその他人生一般についてゆっくり語り合う時間を重ねたことである。お互いに自分をさらけ出して語り合うことは、すべてを変えてしまうほど意義深い経験だ。


「互いに自分をさらけ出して語り合」うというのは
安全な「専門家の土俵」の高みに留まったまま、
相手を「治療」や「教育」や「支援」や「研究」の「対象」と見下ろしていたのではできないことだ。

それは互いに対等な人として相手と「出会う」ということだから。

それは、自分を守ってくれる「専門職の権威」をいう衣を脱ぎ、
自分が属している「土俵」から降りていく勇気、
弱点を抱えた一人の人としての自分を晒す勇気を求められることだけれど、

でもウーレットは、
専門職の側こそが率先してそれをやるべきだ、と言っているのだと思う。

なぜなら、

今や私は、一つの学問としての生命倫理学には、障害とともに生きる人生の現実について障害者コミュニティの専門家たちから学ぶものがたくさんある、と強く確信している。
(p. 348)


だから、それを体験的に学んだ彼女は、この本で主張する。

専門性やアカデミズムの権威の陰に隠れて
自らは無傷でい続けようとすることをやめ、
これまで「対象」としてきた障害当事者と人として「出会い」、
そこから学び、自らを問い直す姿勢を獲得することによって、
「当事者と対等に向かい合い、共に悩み、考える」姿勢の涵養に向かい、
「LIFEを支える医療」と「障害に配慮した生命倫理学」へと飛躍を目指せ、と。


           =====

最後に一つだけ、
簡単に指摘しておきたいウーレットの議論の限界として、

彼女にとっての「障害」とは、
基本的には「身体障害」に留まっているように思えること。