これまでに書いたもの
こちらでspitzibaraのブログに初めて来てくださる方もあると思うので、
自己紹介に代えて、これまでに書いてきたものを――。
(順次、追記しております)
自己紹介に代えて、これまでに書いてきたものを――。
(順次、追記しております)
・ウェブ・マガジン「地域医療ジャーナル」(2015年7月から)
・ブログ 「Ashley事件から生命倫理を考える」 (2007年5月から2013年)
・書籍 『私は私らしい障害児の親でいい』
・論文 「ある母親にとっての『親亡き後』問題」
雑誌「障害者問題研究」2017年11月第45巻第3号 特集:高齢期の障害者家族と生活の諸問題
(ぶどう社 1998)
・書籍 『新版 海のいる風景 重症重複障害のある子どもの親であるということ』
(生活書院 2012)
・論考 「母親が『私』を語る言葉を取り戻すということ」 ・論文 「ある母親にとっての『親亡き後』問題」
雑誌「障害者問題研究」2017年11月第45巻第3号 特集:高齢期の障害者家族と生活の諸問題
・論考 「アシュリー事件から考える障害、医療、介護、人権そして『愛』」
・書籍 『アシュリー事件 ― メディカル・コントロールと新・優生思想の時代』
・論考 「安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること」
・書籍 『死の自己決定権のゆくえ ― 尊厳死・「無益な治療」論・臓器移植』
・論考'''「『どうせ高齢者』意識が終末期ケアにもたらすもの―英国のLCP報告書を読む」
(シノドス 2014年1月10日)
・書籍 『アシュリー事件 ― メディカル・コントロールと新・優生思想の時代』
(生活書院 2011)
・論考 「『ポスト・ヒポクラテス医療」が向かう先」 ・論考 「安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること」
・書籍 『死の自己決定権のゆくえ ― 尊厳死・「無益な治療」論・臓器移植』
(大月書店 2013)
・論考 「共鳴する『どうせ』で、いのちの選別をしないために」 ・論考'''「『どうせ高齢者』意識が終末期ケアにもたらすもの―英国のLCP報告書を読む」
(シノドス 2014年1月10日)
・論考「事件が『ついに』起こる前に『すでに』起こっていたこと」
・論考「グローバルに進む命の選別と切り捨て~「大きな絵」の中で「意思決定」を考える~」
雑誌『医療ソーシャルワーク』第67号 (2019年3月)
・論考「グローバルに進む命の選別と切り捨て~「大きな絵」の中で「意思決定」を考える~」
雑誌『医療ソーシャルワーク』第67号 (2019年3月)
・児童書あれこれ