マミの本棚

私の住んでいる町は
アメリカの西海岸のある町と姉妹都市の縁組をしていて、
16歳の夏に私は一ヶ月間、交換学生としてその町で過ごした。

以来40年間、
私には「アメリカのお母さん」がいる。

ずっと前には「アメリカのお父さん」もいたんだけれど、
2人が離婚したものだから、お母さんの方との縁だけが続くことになった。

2人が揃っていて「弟」も「妹」もいて、何度も訪ねて行ってた頃には
Papa-sanとMama-sanだったのが、

壮絶な離婚をしてMama-sanの人生で一番苦しい時期は
ちょうど私にとっても海が生まれて人生で一番苦しい時期に当たっていたものだから、
しばらく音信が途絶えて、

その後それぞれに命からがら苦しい時期を無事に生き延びて、再会した。

苦しかった時の話を2人で沢山して、それは女2人のサバイバルの話で、
それから Mama-san はごく自然に Mom になった。

Mom はその後、再婚して仕事も大成功して、この頃は誰彼なしに
コウノトリが間違えて別の人のところに運んだんだけど、
マミはもともと私の娘として生まれるはずだったのよ」と言っている。

私にとっても16歳の時に彼女と出会っていなかったら、
人生がまるで違ったものになっていただろうと思うくらい
大きな影響を受けたロール・モデルの女性だ。

女であっても人として生きる、ということを
私はこの人の生き方から教えられた。

1995年に子どもの本の翻訳デビューを果たした時、
自分の名前が表紙に印刷された初めての本を、私は Mom に送った。
 
海が生まれてからのことを
ずっと心配してくれていたMomはすごく喜んでくれた。

その後も、本が出るたびに送っては報告してきた。

9年ばかり開いたのだけれど、
2年前の9月に上梓した『アシュリー事件』を送ったら、
それがちょうどMom(10月生まれ)の誕生祝いみたいな形になって
たいそう喜んでくれた。

日本語を読めないくせに、読んでるフリをしている写真がプリントされた
Thank You カードが届いた。今でも我が家のリビングの出窓に飾ってある。

去年の『海のいる風景 重症心身障害のある子どもの親であるということ』も
出たのが9月だったので、バースデイ・カードをつけてお誕生祝いとして送った。

Momは「娘から届いた誕生祝を見て!」と
即座にFBに写真と娘自慢のコメントをアップした。

我が家の出窓では
『アシュリー事件』を読んでいるMomの隣に
新版『海のいる風景』を読んでいるMomが並んでいる。

3年連続はありえないな、と思っていたのだけれど、
思いがけない展開で8月の末に『死の自己決定権のゆくえ』が出たものだから
今年もお誕生日に新著を届けることができた。

Momはやっぱり即座に「娘がまた出版しました!」と、
さも自慢げにFBに写真をアップした。

そして、Thank Youカードが今日届いた。

今年のカードには、
いつもどおりに「読んでます」というフリの Mom の写真と
その他に、表紙のアップなど何枚かの写真がプリントされていた。

その中の2枚は
Mom が私の本を並べてくれているスペシャルな一角、“Mami-Shelf”の写真。

専門書で高価だとかの事情でAmazonのリンクで報告したものもあるので、
何冊か抜けて、計8冊が勢ぞろいしている。

1枚はちょっと引いたところからの Mami-Shelf の写真。
もう1枚は、並んで立っている8冊のアップ……うぇ??

ぶははっ。大爆笑してしまった。

なんせ
端っこの旧版『海のいる風景』だけはまともに立っているんだけど、
残りはみんな見事に逆立ちじゃん!!

太平洋の向こうの小さな町の一軒の家の戸棚の片隅には
スペシャルな「マミの本棚」がしつらえられている――。

そしてそこでは
1冊を除いて残りがみんな逆立ちして並んでいる――。

それはなんて愉快でステキなことなんだろうと思えて、
だから、その珍妙な光景の写真を見ながら大笑いしていたら、

この8冊の間に流れた年月と、
その間、こうして私をずっと思ってくれてた人がいるということが
しみじみと温かく心に沁みてきた。

本当は16の年からだから、もう40年になる。

最初の1冊よりもずっとずっと前、
海が生まれるよりもMomが離婚するよりも、ずっとずっと前からだ。

仕事をするとかしないとか、本を出すとか出さないという問題ではないけど、
私はこれからも私なりに人として生きていこうと思います、Mom。
16の年にあなたが教えてくれたように。

来年のお誕生日には間に合わないかもしれないけど、
次もちゃんと送るから、待っててください。

今度は翻訳だから、
Amazonで内容くらいはわかると思うしね。

ウーレットという名前の、あなたの国の法学者が書いた本です。