小林三旅『男一代菩薩道』


カバーの折り返しに書かれているのは
(アマゾンの「内容説明」もこれと同じ)

インド仏教の最高指導者、佐々井秀嶺は、
宗教家としての使命感と持ち前の義侠心から、
差別と貧困にあえぐ不可触民(アウトカースト)の
解放と仏教復興に人生を捧げた。
強大なヒンドゥー社会を向こうに回して、
40年間に渡り、命がけの闘争を繰り広げる
異形の荒法師の素顔が今明らかになる!


テレビのドキュメンタリー番組を制作するために
2004年から断続的に佐々井氏に密着取材してきた番組制作会社のディレクターの著。

こういう人が地球上に存在することそのものを知らなかったので、
なんとも……ちょっと絶句する感じ。

表紙の若い頃の佐々井氏の写真はまるで
屈強な野郎どもを引き連れて出入りに向かう、眼光鋭い“極道”だし。

表紙を開くと、
その人が一転、老いて丸っこい“お坊さん”に。
笑えば柔和だけれど、普段の顔つきには十分に“えぐみ”は残し漂わせつつ。

規模はずいぶん小さな話になるかもしれないけれど、
個人的に知っている妖怪みたいな作業療法士さんを思い出した。

作業療法士としては異端児だろうし、
はっきりいって“胡乱な”匂いがふんぷんと漂っているし、
まるで思いつきだけで勝手に勢いで行動して、散々周囲を振り回して、
こんな人がそばに居たらどんなに迷惑だろうと想像しただけでゲンナリするし、
お金を含めて何もかもホント“いい加減”だったりもして、
正直、よくこんな“いい加減”で世の中を渡っていられるなぁと
呆れたりもハラハラもするんだけれど、

それでも足らないところを尻拭いしながら
ついてきてくれる人たちがぞろぞろと出てきてしまうから不思議。

いろんなことを言われながら、
仲間内からだって眉にツバつけられながら、
それでも金や手を出してくれる人に恵まれて、
いつのまにか、すごいものをすごい勢いで作り出していく。
そこには確かに世の中の何かを変えてしまうだけ「真実」があって、
その真実には杓子定規な官僚の見識を揺さぶってしまうほどの力があったりする。

その真実って、やっぱり「他者への思いのホンモノさ」なのかなぁ……
いや、たぶん、そんな生易しいことじゃないんだ、と思う。

いくらホンモノでも、思いだけじゃないから、
こういう人たちは何かを起こし、何かを変えられるんだ、と。

自分は汚れることも傷つくこともないところで
格好のいい言葉を吐いているんじゃなくて、
泥水の中で苦しんでいる人たちのそばに行くために、
その泥水の中にためらうことなく、ずかずかと入っていく。

それは
こちらのエントリーのコメント欄でのkar*_*n28さんの言葉を借りると、
この人たちは隣人に「なった」人たちだということなのかもしれない。

この本を読んだだけでは、とらえどころのない、
地球規模の妖怪みたいな佐々井氏の人物像に、
感想はまだまだ言葉にならないけれど、

読みながら、なんとなく
マザー・テレサのことが何度も頭にちらついた。

テレビマンの著者の以下の述懐が印象的だった。

 もちろん仏教に改宗したからといって、それですべてが解決するわけではない。インド社会の構成員の大半がヒンドゥー教で成り立っている以上、これまでカースト制度の下で世襲的に担ってきた職業(家業)をすぐさま放棄するわけにはいかないはずだ。現実的にはバンギー(清掃人)やドビー(洗濯屋)は当面、バンギーやドビーであり続けるだろう。少なくとも社会全体がこうした意識改革を受け入れ、積極的に変ろうとするまでは。
 それでも、いわれなきカースト差別の責め苦から精神的に逃れられることは何にも増して大きい。彼らの姿を見れば、すぐにそのことは分かる。
(p.218