小林三旅『男一代菩薩道』
カバーの折り返しに書かれているのは
(アマゾンの「内容説明」もこれと同じ)
(アマゾンの「内容説明」もこれと同じ)
テレビのドキュメンタリー番組を制作するために
2004年から断続的に佐々井氏に密着取材してきた番組制作会社のディレクターの著。
2004年から断続的に佐々井氏に密着取材してきた番組制作会社のディレクターの著。
こういう人が地球上に存在することそのものを知らなかったので、
なんとも……ちょっと絶句する感じ。
なんとも……ちょっと絶句する感じ。
表紙の若い頃の佐々井氏の写真はまるで
屈強な野郎どもを引き連れて出入りに向かう、眼光鋭い“極道”だし。
屈強な野郎どもを引き連れて出入りに向かう、眼光鋭い“極道”だし。
表紙を開くと、
その人が一転、老いて丸っこい“お坊さん”に。
笑えば柔和だけれど、普段の顔つきには十分に“えぐみ”は残し漂わせつつ。
その人が一転、老いて丸っこい“お坊さん”に。
笑えば柔和だけれど、普段の顔つきには十分に“えぐみ”は残し漂わせつつ。
作業療法士としては異端児だろうし、
はっきりいって“胡乱な”匂いがふんぷんと漂っているし、
まるで思いつきだけで勝手に勢いで行動して、散々周囲を振り回して、
こんな人がそばに居たらどんなに迷惑だろうと想像しただけでゲンナリするし、
お金を含めて何もかもホント“いい加減”だったりもして、
正直、よくこんな“いい加減”で世の中を渡っていられるなぁと
呆れたりもハラハラもするんだけれど、
はっきりいって“胡乱な”匂いがふんぷんと漂っているし、
まるで思いつきだけで勝手に勢いで行動して、散々周囲を振り回して、
こんな人がそばに居たらどんなに迷惑だろうと想像しただけでゲンナリするし、
お金を含めて何もかもホント“いい加減”だったりもして、
正直、よくこんな“いい加減”で世の中を渡っていられるなぁと
呆れたりもハラハラもするんだけれど、
それでも足らないところを尻拭いしながら
ついてきてくれる人たちがぞろぞろと出てきてしまうから不思議。
ついてきてくれる人たちがぞろぞろと出てきてしまうから不思議。
いろんなことを言われながら、
仲間内からだって眉にツバつけられながら、
それでも金や手を出してくれる人に恵まれて、
いつのまにか、すごいものをすごい勢いで作り出していく。
そこには確かに世の中の何かを変えてしまうだけ「真実」があって、
その真実には杓子定規な官僚の見識を揺さぶってしまうほどの力があったりする。
仲間内からだって眉にツバつけられながら、
それでも金や手を出してくれる人に恵まれて、
いつのまにか、すごいものをすごい勢いで作り出していく。
そこには確かに世の中の何かを変えてしまうだけ「真実」があって、
その真実には杓子定規な官僚の見識を揺さぶってしまうほどの力があったりする。
その真実って、やっぱり「他者への思いのホンモノさ」なのかなぁ……
いや、たぶん、そんな生易しいことじゃないんだ、と思う。
いや、たぶん、そんな生易しいことじゃないんだ、と思う。
いくらホンモノでも、思いだけじゃないから、
こういう人たちは何かを起こし、何かを変えられるんだ、と。
こういう人たちは何かを起こし、何かを変えられるんだ、と。
自分は汚れることも傷つくこともないところで
格好のいい言葉を吐いているんじゃなくて、
泥水の中で苦しんでいる人たちのそばに行くために、
その泥水の中にためらうことなく、ずかずかと入っていく。
格好のいい言葉を吐いているんじゃなくて、
泥水の中で苦しんでいる人たちのそばに行くために、
その泥水の中にためらうことなく、ずかずかと入っていく。
この本を読んだだけでは、とらえどころのない、
地球規模の妖怪みたいな佐々井氏の人物像に、
感想はまだまだ言葉にならないけれど、
地球規模の妖怪みたいな佐々井氏の人物像に、
感想はまだまだ言葉にならないけれど、
テレビマンの著者の以下の述懐が印象的だった。