マラリア問題を通して「帝国医療」の姿勢を問い直す論考


著者はナイジェリア、ラゴスの「いわゆるスラムと呼ばれる場所」で
以下のような視点に立ち、マラリアに対する住民の医療実践について研究している。

多くの研究や開発援助従事者は、住民にこの「適切な医療」をどのように提供するかに熱心である。そしてこの議論では、住民の取り組みが「適切な医療」にもとづいているかがポイントとなる。「適切な医療」を物差しにして人びとの生活を見ているのだ。

……(中略)……

政策策定者が住民の主体性を無視し、彼らを政策の「受益者」としてしか見ないがゆえに、住民の積極的なマラリア対策の方法を増進させないばかりか、それを見ようとすらしていないのではないかという疑問……


著者は2011年に研究目的でラゴスのマココ地区を訪れ、
研究の趣旨説明を行った際に地区のチーフから
マラリアなんてたいした問題ではない」と言われた経験から、
自分のマラリアに対する理解の再検討を迫られつつ、

住民のマラリアに対する処し方を調べていくにつれて
以下のような気づきを得ていく。

……近代医療が「正しい」ものであり、薬草を使うことが「間違い」であるとして人びとの医療実践を見ようとする視点それ自体の問題点に気づき始めた。

……チーフの言葉は、単なる政策の「受益者」や「マラリアで苦しむ人びと」として無意識のうちにアフリカの人びとを表象する私たちの傲慢さへの怒りでもあったのである。


注に「帝国医療」という言葉があり、
思わず「うぉー!」。

慈善資本主義を背景にしたグローバル・ヘルスなど
前のブログで追いかけたテーマの一つを振り返ると、
すごく腑に落ちる言葉。

注によると、
その植民地主義的「帝国医療」への批判的な研究が
歴史学や人類学できちんと行われているとのことなので、
安堵すると同時に、

この論考を読んでいると、
医療そのものが帝国主義的な姿勢を内包している、とも言えるんじゃないか、という気がしてきた。

例えば、以下の下りで
「現場」を「患者の生活」に置き換えてみたりすると。

医療に関する問題は人の生命にかかわるものであるため、政策課題として提起されたものを私たちは無条件に受け入れがちである。しかし、私が経験したチーフとのやり取りにおける「絶句」にあるように、「適切な医療」と「現場」の意見が乖離していることは、「現場」に行けば誰もが経験することである。そのとき、それが「正しい」か「間違い」かという視点から判断することをやめ、なぜそうした理解をしているのかをまず問うてはどうか。