人工呼吸器ユーザーが語る尊厳死法制化への懸念

12月17、18日と全国自立生活センター協議会(JIL)の
全国研修にお邪魔してきました。

そこで「死の自己決定権のゆくえ」というタイトルで
同名の拙著『死の自己決定権のゆくえ 尊厳死・「無益な治療」論・臓器移植』の内容を
ざっくり取りまとめたようなお話をさせていただいた後、

人工呼吸器ユーザーのネットワーク、呼ネットの
小田正利さんと海老原宏美さんを講師とする
尊厳死法制化を考える」というテーマでの
グループ・ディスカッションに参加させてもらいました。

ディスカッションの趣旨は、以下。

世の中の人は、「延命措置をしてまで生きていたくない」と考える人がほとんどだと思います。

病気や障害が進行して医療的ケアが徐々に必要になる人もいるし、事故で突然医療的ケアが必要な障害を負う人もいますが、元気なうちは、そういう状態になった自分を想像することは難しいし、なるべく考えたくない、という人も多いでしょう。

そこであえて今日は、そう思ってしまう理由・背景を考え、ディスカッションする時間を持ちたいと思います。

今日は、尊厳死の可否についてではなく、その「法制化」の可否について一緒に考えましょう。自分が尊厳死を選ぶかどうか、ではなく、この法律が成立したら、社会にどういう影響が出るのか、社会がどういう方向に向かっていくのか、自分の価値観は少し横に置いて、児玉さんのお話も踏まえ、客観的な視点も含めて、考えていきたいと思います。


グループ・ディスカッションの前後のお2人のお話がとても心に残ったので、
お願いしたところ、拙ブログで紹介させていただけることに。
(お2人とも、ありがとうございます)

まず、ディスカッション前の
小田さんのお話。

尊厳死法制化の条文には、「終末期の延命措置」という言葉が出てきています。

自分は、以前、「障害が進行して呼吸器を着けなければならない、という状態(終末期)になっても、呼吸器は着けない(延命措置はしない)でほしい」と、母親に口頭で伝えていた。

そして実際に呼吸不全を起こし、意識不明に陥り、病院では医師に「呼吸器を着けても意識が戻ることは無い(回復の見込みはない)だろう」と言われた。

自分が、口頭で尊厳死の意思を伝えていたにもかかわらず、母は「呼吸器を着けてほしい」と医師に頼み、呼吸器を着けたら、意識も戻っちゃったし、今ではこんなに動き回って元気に生きている。

もし、自分の時代に尊厳死法があり、自分が書面でリビングウィルを残していたら、多分母の意思よりも自分の意思が優先され、今頃自分はこの世にはいないことは確実だろう。

生き抜いてみないと、生きている価値は分からない。それを、多くの人に知ってほしい。

医療的ケアを受けてまで生きていきたくない、と思ってしまう傾向は非常に残念。


次に、ディスカッションの後の、
海老原さんのお話。

自分で意思を表示できない人については、現段階では何も言及されていませんが、法制化されたら、15歳以下の子の扱いとともに、きっと家族の同意などという項目が付け足されるのではないかと思います。

自分の生き方を決めるのは、もちろん自分です。呼ネットは、もちろんそこをもっとも尊重しています。

呼ネットが懸念していることは、この尊厳死法案が通ってしまうことで、生命維持装置を付けながら生きるよりも死を選ぶことが「尊厳のある行為である」という感覚が世の中に浸透し、生命維持装置を付けながら生きている人が、なんとなくぼんやりと、「生き延びるための悪あがきをしている人」「大量の税金を浪費してわがままを通している人」というように思われてしまわないか、ということなのです。

ただでさえ、重度障害者が24時間の介助サービスを使って地域生活を送ることに、疑問を持っている人はまだたくさんいます。そこへ、尊厳死法が成立したら、その勢いに、拍車がかかるのは確実でしょう。経管栄養や人工呼吸器をつけてまで生きていたくない、と思うのが、一般的な感覚です。でも、そんなオプションを付けても、楽しく?生活してる人もいるんだよー、という真実も知ったうえで、生きるか死ぬかの選択をしてほしいわけです。

「そういう状態になっても生きていきたい」という選択が安心してできるようになるためには、小田さんのような、人工呼吸器をつけて酒を飲みに出かけて、飲んだくれて終電を逃して、漫画喫茶で電気をもらいながら始発を待つような人が、街の中にうろうろしていて、ロールモデルとして人目についていくことが必要不可欠だと思います。

そのためには、医療的ケアを行う事業所が増え、介助を家族に依存しなくてもいい環境を作ること、困った時、悩んだ時に身近に相談できるピアが増えることが重要ですよね?

以前、この全国セミナーで、「呼吸器ユーザーの支援を行っているCILがどれくらいあるか」お聞きしましたが、10か所あったかなかったか。その後、増えていっていること、今後も増えていくことを切に希望しつつ、この講義を終わりたいと思います。
お疲れ様でした。


ちなみに、
呼ネットのHPはこちら ⇒ http://conetnet.web.fc2.com/

呼ネットが昨年7月に尊厳死法制化を考える議員連盟に提出した
尊厳死法制化反対の意見書」はこちら ⇒http://conetnet.web.fc2.com/document/20120712youbou.pdf


17日にいただいたパンフレットには、
以下のように書かれています。

【呼ネットとは】
 
人工呼吸器をつけたら…
一生病院から出られない!
二度と声が出せない!
 
自宅に戻ったら家族に介護の負担がのしかかる!
ベッドに寝たきりで過ごすしかない!
なんて思っていませんか?

人工呼吸器をつけていても、パソコン等を使って仕事をしている人もいます。
真夜中に友達と飲みに行ったりする人もいます。
飛行機に乗って慮国に出かける人も沢山います!

人工呼吸器をつけても、
正しい扱い、正確な情報や知識と技術があれば
地域生活が送れるのですよ!

それをもっと知ってほしくて、
そんな仲間を支援し増やしていきたくて、始めたネットワークです。

実際に人工呼吸器を使いながら活動する私たち当事者が
あなたの不安を少しでも解消するお手伝いをいたします☆

呼ネットは、
人工呼吸器を使っていても地域で当たり前に暮らせる社会を実現するために、
人工呼吸器使用者で立ち上げた団体です。
(事務局メンバーは人工呼吸器使用当事者です)


私は小田さんとはちょうど1年前に初めてお目にかかっていて、
その時のことは、こちらのエントリーにちょっとだけ ↓
「尊厳死」を考える3日間の旅 1(2012/12/6)

実を言うと、このとき私は生まれて初めて、
人工呼吸器ユーザーを含めた重症身体障害者といわれる人たちが
わんさと集まっている状況の中に身を置いた。

やっぱり
私が日ごろ馴染んでいる重症心身障害児者の世界とは、ずいぶん違う。

目を見張った。
正直、すごい異文化体験だった。

今回は2回目。

300人の当事者と支援者が集まっているのって
2回目の初心者には、やっぱり壮観だった。

それに、その人たちは例外なく
見るからに「支援者を連れて」いるのだった。

それで初めて、
近所のスーパーで介護保険利用のお年寄りを見かける時には
たいてい「ヘルパーがおばあさんを連れてきている」姿に見える、ということとに気づいた。

なんというか、やっぱり世の中には
おのれの目で見て、直接体験しなければ
頭だけではわからないことがあるんだ、と痛感するし、

だからこそ、海老原さんがおっしゃっているように、
こういう人たちがもっと世の中にうろうろしてロールモデルとして人目についていくこと、
そういうことが可能な世の中になることが大切なんだなぁ、と改めて。