「仕事」は不変であって不可侵

白状すると、
ここしばらくメゲていました。

理由はいろいろある。
似たような理由ばっかりだけれど。

メゲながら、
しばらく、メゲている自分と付き合うしかないな、と思っていた。

やっと少し気分が上向き始めた時に、
ちょっとだけ夫にグチってみた。

ちゃんと受け止めてもらえたおかげで
ちょっとだけグチって気が済んだので、
もうしばらくメゲている自分と向き合っているしかないな、と思った。

ただ、17日に福岡のちょっとした場でお話をする約束をしていて、
そのタイミングが時々ちょっとだけ気になった。

こういう気分でメゲている自分と付き合っている最中に
そういう場に出かけなければならなくて、そこでうまく行かなかったりすると、
余計にメゲて立ち直れないんじゃないか……みたいな不安が、時に頭をよぎった。

それでも、メゲている自分に耐えながら、じっと向き合っていたら、
福岡へ行く数日前に、突然ふっと目の前が開けるように気づいた瞬間があった。

「仕事」そのものは不変なんだ……って。

「仕事」って、
それを成した人以外には不可侵なものなんだ……って。


自分が成した「仕事」は、
それがどんなにささやかなものであったとしても、

たとえそれが自分にとっての「仕事」でしかなく、
他の誰にとっても「仕事」というほどのものではなかったとしても、

たとえ評価されることがなくても、
たとえ誰にどんなにボロカスに言われようとも、

はたまた、その「仕事」が
何らかの意味で正しかろうと
別の意味では間違っていようと、

生きている限り自分自身が営々と変り続けていくのと同じように、
その「仕事」の意味は刻々と移り変わり続けるのだろうし、

だからこそ、
自分がこのように生きてこれからも生きていくプロセスの一段階で
ささやかながら、なにがしかの「仕事」をなしたのだとしたら、

その時に自分が成した「仕事」は
その時に成した通りのありのままで、
それ以上でも以下でもなく、不変なんだ、
それ自体は決して変ることはないんだ、と。

そしたら、すうっとラクになれた。

それでも
一抹の心もとなさは付きまとっていたのだけれど、

福岡での2日間は、
理不尽な差別を日常的に経験しながら、
それでも闘い続けている人たちとの出会いに満ちて、
とても心穏やかで、満ち足りた時間だった。

そこで私もまた、
ささやかながら一つの「仕事」をする機会を与えられた。

そして、そのことをとても幸福だと、
素直に感じることができた。

だから、帰りの新幹線で、
行く前に初めて気づいた時よりも
もっと静かな気持ちで自分自身に再確認することができた。

人からどう言われようと
人からどう見られようと、

誰かがやったことは
その人自身がやったまま
誰にも変えられることのない「仕事」なんだ、

だから私も
それに対して誰に何を言われるかとか、
誰にどう思われるかなんて気にすることはなくて、

ただ自分自身がやろうと思うことを
その時々にやりながら、

その一つ一つを
自分が成した「仕事」と自分自身で捉えられるなら、
ただ、それでいいんだ、って。

だから、
目の前に与えられた仕事があるなら、
それを自分の「仕事」と思えるものにするべく、
それと取り組むことだけに専念していればいいんだ、って。