考えてみたこと

「医師の視点」との「出会い」から「人が出会うということ」の可能性について考えてみる

前のエントリーに書いたように、 私が麻生幸三郎先生と初めて出会ったのは2014年6月の某日。 9月の重心学会のシンポに向けた打ち合わせの席だった。 高谷清先生とはかねて親しくしていただいているものの、他の先生方は初対面。 それだけでも気が張るのに加…

麻生幸三郎論文「インフォームド・コンセントと権利擁護」から「出会い」と「対話」の希望について 2

(前のエントリーからの続きです) ③ 「対話の糸が切れないようにする継続的な努力」 「Ⅱ.家族の代行」の項目で、 「家族の考えが本人を医療で護る方向とは異なる」場合に、 本人の利益を家族が代弁しているのかに疑問を呈したあと、 以下のように書かれて…

麻生幸三郎論文「インフォームド・コンセントと権利擁護」から「出会い」と「対話」の希望について  1

2014年秋に重症心身障害学会のシンポでご一緒させていただいた、 愛知県心身障害者コロニーこばと学園学園長の麻生幸三郎医師の論文。 『小児内科』Vol.47 NO. 12、2015-12 の特集 重症心身障害2-全身合併症・併発症、療育・社会支援に、 [重症障害に対す…

グリーフケアも意思決定支援も「かかわり」も、みんな「あなた」と「わたし 」の間に

直前エントリーのコメントを書いてから、 わざわざ前の職場にまで何度も来てもらえることとか、 余分な時間と労力をかけてもらえることだけを喜んでいるように受け止められてしまうと、 「仕事なんだから、そんなのやってられない、パンクするに決まっている…

グリーフ・ケアと医療をめぐる意思決定について、ぐるぐるしてみた

こちらのエントリーのコメント欄でのやりとりに触発されて、 yaguchiさんがおっしゃっているグリーフケアより、 もう一つ手前の段階のことかも、ちょっと別のことかも、という気はしつつも、 自分自身の考えを整理するためのメモとして。 例えば、何かをキッ…

蕎麦デートの日、「強いものの無自覚」を振り返った

先週の小雨の日、 県北に住む60代のBFと 某こだわりの蕎麦屋へドライブした。 確かに美味しい蕎麦だったけど、 そこの女将が、たいそうなおしゃべりで、 そっちの方が蕎麦よりもよほどインパクトがあった。 必然的に、帰りの車の中でも 「それにしても、まー…

中絶をめぐる「女性の決定権」論議から「母に殺させるな」の先へ

約一ヶ月前に某所で出生前遺伝子診断についての議論に加わり、 その際にも、中絶が「女性の決定権」なのだとすると、 じゃぁ「胎児の生存権」は否定されるじゃないか、という話が出て、 利光恵子さんの『受精卵診断と出生前診断―その導入をめぐる争いの現代…

「人はアドボケイトか専門家のどちらかでしかありえないか」Dick Sobseyの法廷体験から考える

ちょっとした必要があって、 アシュリー事件でめぐり合ってから 前のブログでもずいぶんお世話になったDick Sobsey氏のサイトを 久しぶりに覗きにいった。 http://www.ualberta.ca/~initativ/Dick_Sobsey.html Sobsey氏は カナダ、アルベルタ大学の教育心理…

「仕事」は不変であって不可侵

白状すると、 ここしばらくメゲていました。 理由はいろいろある。 似たような理由ばっかりだけれど。 メゲながら、 しばらく、メゲている自分と付き合うしかないな、と思っていた。 やっと少し気分が上向き始めた時に、 ちょっとだけ夫にグチってみた。 ち…

「人格」と「尊厳」をめぐる偶然

この数日、たいへん興味深い「偶然」が続いていて、 その偶然が私の頭の中で「糸をつむぐ」ような感じに 人が考えていることを繋ぎ、まとめていくような印象でもあるので書いておこうと思って。 まずは、ここしばらく私自身が考えていることを 10日に以下の…

パラトランジットは「不平等な制度」という認識も

『介護保険情報』の連載「世界の介護と医療の情報を読む」の 2011年10月の回で、こんな文章を書いたのだけど、 障害者に交通アクセスを保障するパラ・トランジット(米国) ジョセフ・シャピロの 『哀れみはいらない 全米障害者運動の軌跡』(現代書館)を読…

「そこで何が語られているか」ではなくて、「そこで語られていないことは何か」が問題

アシュリー事件との出会いからの来し方を振り返って、 その間に学んだ、とても大切なことの一つだと思うのは、 大事なのは 「そこで何が語られているか」ではなくて 「そこで語られていないことは何か」の方だということ。 「そこで語られていること」に目を…