「医師の視点」との「出会い」から「人が出会うということ」の可能性について考えてみる

前のエントリーに書いたように、
私が麻生幸三郎先生と初めて出会ったのは2014年6月の某日。
9月の重心学会のシンポに向けた打ち合わせの席だった。

高谷清先生とはかねて親しくしていただいているものの、他の先生方は初対面。

それだけでも気が張るのに加えて、
シンポのテーマが「利用者の権利・最善の利益と治療方針決定
~重症心身障害医療における家族・医療現場の思いとディレンマ~」だと知った時から、
私の頭には「来たぞ、日本にも『無益な治療』論がついに表面化してきたっ」と
警戒心が働いているものだから、極度の緊張状態で臨んだ。

ところが、
実際に打ち合わせの席で先生方のお話を聴いてみると、予想とまったく逆に、
先生方にとっては意思決定のジレンマの中心課題とは
「医師がやりたい医療を親がやらせてくれない」ことらしい。

え……???? 

警戒心で気負いこんでいた私は、肩透かしどころか
あまりの想定外の事態に、頭がとんでもなく混乱してしまった。

シンポで最初に発表されることになっている麻生幸三郎先生は
すでにPPTを準備しておられて、そこで取り上げられている事例は3つ。

そのうちの2つは、まさに
医師が必要だと考え提案している経管栄養の手術を家族が拒否した事例だった。

1例は、23年前の手術で大変な思いをした家族が、
もう手術はこりごりだといって拒否したために
本人はいまも食事のたびに窒息するほどの苦しみを味わい続けている。

もう1例は14歳の男児の事例で、手術をすれば救命できるのに
親が拒否して在宅で看取った、というケース。

どちらの事例も、衝撃だった。

麻生先生のPPTは、これらの事例や、
家族の中でも意見が異なる場合や身寄りがない場合など
様々な家族環境の人の医療について、決めざるを得ない現場の悩ましさを解説した後で、
複数関係者で結論を出して、それを文書に残して公開性を維持することや、
学会で事例を集積・検討して参考資料を作成することなどが提案されていた。
また諸外国の制度についても概観し、
最後にドイツの世話法が参照すべき事例として紹介されていた。

素直に「わ、すごい」と思った。
先生方は、単に抽象的な議論をしようというのではなく、
明らかに具体的な問題解決を模索しておられるのだし、

実際、どんな状況下でも決めざるを得ない現場の悩ましさを
先生方が口々に語られるのを聞いていると、まるで自分が
呼ばれたからといって一人前のつもりになって成熟したオトナたちの前に
のこのこ出てきた愚かなコドモ……みたいに感じられて、
忸怩たる思いになっていく。

それなのに、というか、それでもやっぱりというか、spitzibaraはspitzibaraでしかなく、
どこかの段階で水を向けられると、「あのー、ちょっとびっくりしているんですけど、
先生方にとって意思決定のジレンマって、
『医師がやりたい医療を親がやらせてくれない』という話なんですね。
私たち親からすると、逆に『親がやってほしいことをお医者さんがやってくれない』と、
ずっと感じてきたんですけど……」と、口が勝手にspitzをやる。

前のエントリーに書いたように、

「日本の『本人の最善の利益』は、その場にいる一番エラくて声の大きなお医者さんが
これが最善の利益だと言ったら、誰も反論せずそれで通ってしまう『最善の利益』」だの

「何が同意を要する侵襲度の高い医療かも同様に医療機関ごとに恣意的に決まってる」だの、

「日本の医療機関のIC文化はトップの医師のIC観が決めてバラつきが大きい」だの、

「施設側の都合や職員配置の都合が、親に向かっては『本人のため』と説明されてきた」だの、

「日本版POLSTが普及して、入所段階で緊急時の医療について意思確認がされていますけど、
日本では法的根拠もないのに、家族は出されたら法的根拠がある文書だと思い、
書かないと入所させてもらえないと考えてチェックを入れてしまう、それに、
入所時にどういう緊急事態が起こりうるかなんてわからないし、わからないなら
決めないでおく自由や権利だってあるはずなのに、あれでは決めることの強要ではないですか」
などなど、

今から振り返っても、冷や汗が出るほどの言いたい放題を繰り広げてしまった。

それでも先生方は、
最初から最後まで紳士的に付き合ってくださった。

で、最後の辺りで、
「先生方のおっしゃっていることもご事情もよく分かるんですけど、
でも医療について誰がどのように決めるかという意思決定の問題が
単に医療機関が困っている問題を解決するための手続き論になってもらっても
親としては困るんです……」とspitzがズケッと言ってしまった時にも、

「確かにそういう一面はあるかもしれない」と
率直に受け止めてくださった。

でも、先生方にしても、
「spitzibaraさんの言っていることは理解できないでもないのだけど、
外部の当直医の協力を仰がなければならないことなど諸般の事情から、
医療現場としては、何も決めておかないわけにはいかない」。

打ち合わせの席が、まさにシンポのテーマの「ディレンマ」を、
そのまま浮き彫りにするような場になった。

やっぱり溝は深く、大きい。

私にとっては、
「医師が立っている場所からは意思決定のジレンマはこのように見える」と、
生々しい現実の「映像」を丁寧に描いて見せてもらったような体験であり、
その生々しさが、なにより衝撃だった。

それは、例えば、それがビデオ作品だったとしたら、イヤも応もなく共感し、
そこで言われていることに全面的に同意してしまうくらいの
説得力のある「映像」だった。

困るのは、親である私が立っている場所にも
これまで体験してきたもの、見てきたものが
独立した「映像」として成立していること。

両者の「作品世界」は互いにあまりにも遠く隔たっていて、
隔たったままに、それぞれに説得力のある世界を描いて自己完結している。

そればかりか、前者の世界では
「重症児者の命を救おうとする医師」VS
「医師の提案する医学的正解を拒否して、あたら助かる我が子を見殺しにする親」
という私にとっては衝撃の構図が、でも私から見てすら、
まぎれもない現実のように思えた。

そのことに私は驚愕し、
打ち合わせから帰って来ても、こだわり続け、惑乱し続けた。

惑乱するのは、私自身にも覚えがないわけではないからだ。

ちょうど、その1年ほど前、海の状態が悪くなって、医師から、
「この先さらに悪くなるようだったら、転院も考えないといけないかもしれません」
というお話が出たことがあった。

その時、
ずっと昔に海が総合病院の外科に転院した時の体験がトラウマになっている私は、
いきなり思いがけず、その病院の名前がまたも「転院先」として飛び出したことに
パニックをきたした。

前回の体験がわっと頭に奔流のような勢いで次々によみがえってきて、
前回の転院で私たち親子がどんな体験をしたかを、一つひとつ、
猛烈な勢いで、まくし立てないでいられなかった。

幸い、その直後から投与が始まったステロイドで海は急速に回復に向かい、
「転院」の話はそのまま立ち消えになって終わったので、

私の中では、その時のことは
暫定的な「転院の打診」はあったけど「実際に検討する必要はないままになった」
というエピソードとして記憶されている。

ところが、その後、スタッフの間ではその時のことが
「医師が転院を提案したのに、海さんのお母さんがその場で拒否した」という話として
伝わっていることを知り、ものすごく仰天した。

私には「その場で転院を決断しろと求められた」覚えもなければ
「転院はしません」と「拒否」した覚えもないのに。

あの時、私は、過去のトラウマ体験が一気によみがえってパニックし、
「その場ですぐには対応できなかった」だけだったのに。

(医師は知らないだろうけど、実際、あの日のうちに私は、
海を幼児期から知っている看護師さんとじっくり話をして、
私なりに「ステロイドが効かなかったら転院もやむなし」と考えるに至っていた)

それが「親が転院を拒否した」という話になってしまっていることはショックだったし、
そのことに、ずっと釈然としない思いを抱えてきた。

一方には、今後も海に同じような状況が起こりうるとしたら、
自分のトラウマに左右されずに判断できるよう、心の整理をしておかなければ、
という思いも、あの日からずっと引きずっていて、あの場におられた医師に、
一度きちんと話を聞いておきたいとも考えてもいた。

シンポの打ち合わせの席で「医師の提案を親が拒否する」という話を繰り返し聞いて帰り、
いよいよ自分の発表の準備をしようと麻生先生のPPT資料を読み返していると、

じゃぁ、私も1年前のあの時、麻生先生の事例にあった親と同じく、
「医師が提案する『正解』を拒否して、あたら助かる命を見捨てた親」だったの……?

惑乱する私の頭は、グルグルと同じつぶやきへと繰り返し戻ってくる。
じゃぁ、やっぱり「あたら助かる命を見捨てる」のは、親……なの……?

私は麻生先生の次に発表することになっていて、
PPTの改訂版を送ってもらうなどメールのやりとりがあったので、
その中で、「この2つの事例の家族の決断は、親である私にも理解できない」と
惑乱状態のまま書いた。苦し紛れだったのかもしれない。

麻生先生からは思いがけない返事が返ってきた。

資料に挙げられているのは最終的な文書の文言に過ぎず、
実際のやりとりはもっと複雑なものだったと、私の誤解を指摘された後で、
「ご家族はよほど手術に懲りてみえたのでしょう」。

「難しい課題で、正解はないのかもしれない」とも書かれていた。

がーん、と衝撃があった。

医師のほうが、同じ親である私よりもよほど共感的だということに。

「その人」や「事情」を具体的に知らない私自身の決め付けの残酷さに。

1年前に「医師が提示した転院という正解を拒否した」と
思いがけない誤解を受けたことに手ひどく傷ついている私自身が、
他の親の決断については、「正解」があると、どこかで前提していたことに。

手術体験のトラウマという同じ痛みを抱えた親でありながら、
表面的な「手術の拒否」だけに目を奪われて、その背景にあるはずの
その人の痛みや葛藤に想像力を働かせようともせず、
平然と「正しくない」「私には理解できない」と断罪してかかっていた自分に。

私自身が同じ痛みを知る親のはずなのに……。

ふっと、海が生まれてからの長い年月の中から、
よみがえってくる声があった。

「こんなに幼い子どもを施設に入れるなんて、ひどい親だね」
「自分が好きなように働きたいから、子どもを施設に捨てたんでしょ」
「親は本人の意思を無視して勝手に施設に入れるから、障害者の一番の敵だ」
「子どもを施設に追いやっておいて、親が自己実現しているじゃないか」

そうした断罪の指を突きつけられるたび、
私はその指に一瞬で心を切り裂かれる。

その瞬間、あまりの痛みに声も出せない。
だから、その場できちんと事情や思いを説明できたことなど、一度もない。

でも、仮にその場で痛みに耐えて冷静にものをいう力が私に残っていたとしたら、
その「事情」をきちんと説明することができただろうか。

そんなこと、できるはずがない。

「重い障害のある子どもが生まれました」、「親は施設に入れました」という
2つの「事実」だけしか見ようとしない人に、
いったい何を言えばいいというのだろう。

何を言えるというのだろう。

だから、多くの親はうつむいて口を閉ざしたまま、
誰に言われるまでもなく自分のうちに抱えている罪悪感を
さらに懐に深くしまいこむことを繰り返してきたのではないか。

それと同じように、
「医師はこういう説明をしました」、「そして、親はこういう意思決定をしました」
という「事実」の羅列からは、本当のことなど何も見えはしない。

「親がどういう選択をしたか」という結果としての事実だけを問題にして
それが「正しくない」と決め付けてかかる人には、
なぜ、その親がそういう選択をせざるをえなかったのか、
その選択までにあった親の惑乱や葛藤や痛みなど、
いとも簡単に見えなくなってしまうのだ。

同じ親である私ですら、そうだったように――。

「あたら助かる命を見捨てるのは親なのか」という問いに縛られていた私にとって、
麻生先生の「よほど手術に懲りてみえたのでしょう」という言葉、
そして「正解などないのかもしれない」という洞察は、
親の立場に向けた「理解の言葉」だった。

1年前の私を含め、親に対する「赦しの言葉」でもあった。

その赦しの言葉を得た時、
私の中で、ゆるりとほぐれるものがあった。

そして、それを感じた瞬間、
「あたら助かる命を見捨てるのは親なのか」という問いが、
頭の中で「なぜ」へと、くるりと反転した。

なぜ、重い障害のある子どもを持つ親は、
医師からも障害者運動からも「正しくない」と見える選択をしてしまうのだろう?

その背後には、親たちの、どのような体験や痛みや思いがあるのだろう?
親にとって「決める」ことは、なぜこんなに痛く、難しいのだろう? 

シンポで発表すべき内容を掴みきれずに苦しんでいたけれど、
やっと突破口が見えた、という手ごたえがあった。

それまで、私は、シンポで自分が成すべきことを
「医師に対峙し、医師に向かって訴え、主張すること」とイメージしていたのだと思う。

「向こう」に対して放たれていた硬くこわばった対立的な視線が、
親の立場への「理解」と「赦し」を得たことによって、ほぐされ、
その瞬間に、親としての「自分の内面」へと、くるりと反転した。

ゆるりとほぐされたものの中から、
シンポでの発表原稿の最初の数行が、するっと形になった。

登壇の順番はまず麻生先生。その次が私だ。

麻生先生のお話を伺って、ちょっと胸がいっぱいになっています。
先生方のジレンマも分かる。ご家族のジレンマも分かる。
そこにあるギャップがとても切ないです。

麻生先生が施設長の立場で率直なホンネをお話しくださいましたので、
私の役割は親の思いをなるべくありのままにお話しし、
そのギャップを埋められる可能性をさぐることかな、と思います。


人と人とが「出会う」というのは、本当にすごいことだ、と思う。

ただ「初めて顔を合わせる」とか「知り合う」というのではなく、
誰かと誰かが出会い、誠実に相手と向き合おうとする時に、
何か、お互いの中にある「本当のもの」のカケラがそこに行き交う。
そういうことが、時に起こるんじゃないだろうか。

その時、その状況においてだけ、その人たちの間でだけ起こりうる、
不思議な気づきや変化が、その瞬間にもたらされる。

そういう「出会い」――。

私はあのシンポの打ち合わせの席で、初めて
「医師の側から医療をめぐる意思決定という問題を見ると物事がどう見えるのか」を知り、
ものすごい衝撃を受けた。

それは私があの時初めて、
「医師の視点」と出会ったということなのだと思う。

そんな出会いをした以上、もう
私はそれをまったく知らなかった時と同じようには
医療について考えることはできない。

それは必ずしも「お医者さんの立場が理解できるようになった」とか
「それまでの考えがたちどころに変わった」ということではないし、

麻生先生が緊急時の意思確認の様式について言われたように
相手の言うとおりにできるかどうかという問題でもない。

気づいたということ、知ったということが大事なんだと思う。

そこにさらに麻生先生との「出会い」が続いたことで、
私は自分自身の中にある複雑な思いや痛みと向かい合う必要に気づかされた。

思いがけない「理解」と「赦し」を得たことが、
それと取り組む勇気になった。

気づくということは、誰にとっても痛みを伴うことだ。

だから、誰かと正面から向かい合うことを拒絶し、
出会うことから逃げ続けていれば、気づくことの痛みからも逃れていられる。

けれど、
「出会い」から気づき、その痛みの中でぐるぐると煩悶していると、
ある時ふっと自分の中で何かがくるりと反転する。
そして、風が雲をぬぐうように、目の前にすうっと新しい風景が開けていく。

そんな体験が、これまでも、いくつもあった。

それは、いつも、とても気持ちのよい、清々しい瞬間だった。

その瞬間をもたらしてくれた、あの人この人との出会いを思うと、
やっぱり「出会い」は「始まり」であり「希望」なんだ、と知る。

医療職と親も、障害者運動と親も、そしてもちろん本人と親も、
もっともっと本気で「出会って」みるべきなんじゃないだろうか。

めっちゃ痛いから、ちょっとずつ、
出会うたびに、また距離を置き、時間をかけて傷を癒しつつ、にはなるんだろうけれど、

でも、それが、たぶん麻生先生の論文に書かれていた
「対話の糸が切れないようにする継続的な努力」なんじゃないだろうか。