グリーフケアも意思決定支援も「かかわり」も、みんな「あなた」と「わたし 」の間に

直前エントリーのコメントを書いてから、
わざわざ前の職場にまで何度も来てもらえることとか、
余分な時間と労力をかけてもらえることだけを喜んでいるように受け止められてしまうと、
「仕事なんだから、そんなのやってられない、パンクするに決まっている」という
話になってしまうけど、そういうことじゃないんだけどなぁ……、と考えていて、
思い出したのが、

ずっと昔『OTジャーナル』に取材レポートの連載を書いていた時に出会った、
OTの川口淳一さんのこと。

このエントリーの後半でちょっと書いている人 ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/57080455.html

取材に行った当時、この人は
認知症の高齢者へのワークショップ形式のアプローチ(「演劇リハ」と呼ばれていた)で有名な人で、
あちこちに講演に呼ばれていて、そういう講演では、若いOTさんたちは
WSの形態や演劇要素の取り入れ方を学ぼうとしている様子だったのだけど、

取材に行って施設内でのお仕事を見せてもらっていたら、私には、
この人の作業療法のすごさ、その真髄というのは、そういうカタチじゃない、と思えた。

WSをやっている間はもちろん、
教師が授業をやっている時とかアーティストが演奏している間と同じ
緊張と集中を維持しておられるし、そこで駆使されているテクニックやノウハウだって
もちろん並じゃないすごさなのだけれど、

でも、そういうことだけじゃなくて、
施設内を動き回っている間中、リハ室でも食堂でも居室でも廊下でもどこでも、
目の前にいるお年寄りの一人ひとりに対して、「あなた」と「私」の関係性で向き合い、
その人と「今ここ」で「関わりきる」ということを
その人はしているのだなぁ、と私には見えた。

廊下で入所しているお年寄りの一人と行き合わせて、すれ違うほんのわずかな時間に、
川口先生は、その人に必ず声をかける。

誰にかけても無難に済むような、おざなりな言葉かけではなく、
その人だからこそかけたい言葉、その人を気にかけているからこそ出てくる言葉をかける。

つまり、それだけのわずかな時間に、この人は、OTとしての知識や観察眼だけではなく、
これこれこういうふうに生きてきて今ここにいる「わたし」の心のエネルギーを、
やはり今ここにいる「あなた」に傾注する、ということをしているのだ、と思った。

その人がどういう人生を歩んできた人で、どんな家族がいて、それぞれとの関係性がどうで、
いま何を楽しみ、何を悲しんでいるか、昨日どういう表情をしていたか、
今朝のリハの時間の様子がどうだったか、などなどを、もちろんプロとして念頭に、
でも、そういう「あなた」に対して「わたし」として関わりきろうとする時に、
「わたし」から「あなた」へと、おのずと出てくる言葉。
ごく自然で、一見ありきたりにも見えるような。
でも、相手がふっと笑顔で応じてしまうような。

例えば、私が療育園で以前よく耳にしていた言葉に
「業務が忙しくて、入所の人と『かかわりの時間』が持てない」という
スタッフの嘆きがあるんだけれど、

食事を介助したり、歯磨きをしたり、着替えをさせたり、お風呂に入れることは
「業務」なのか、と私はそれを聞くたびに引っかかる。

無言で食事介助をしたり、
スタッフ同士がその人の頭越しに世間話をしながら着替え(更衣、と言われる)を進めておきながら、
「忙しくて『かかわりの時間』が持てない」って、どういうこと? 

「かかわり」って、そういうものなの? と思う。

誰かの歯磨きをする時に、
「歯を磨く」という「業務」を「こなす」のではなくて、

目の前の「あなた」に自分の注意とエネルギーの全てを振り向けて、
「あなたの歯みがき」をしていれば、自ずとそこには「あなた」への言葉が出てくるはずだし、
「わたし」が言葉をかけ、本人に言葉はなくても、
そこで返ってくるもの、行き来するものがある。

それが「かかわり」なんじゃないんだろうか。

食事介助も歯磨きも着替えも寝返りをさせるのも抱き上げて異動させるのも、
無言のままなんて、ありえない。

「あなた」と向き合う「わたし」がいなくて
そこにあるのが「業務」と「業務をこなす専門職」だけだから、無言になる。

「かかわり」も「グリーフケア」も「患者中心」も「意思決定支援」も、
本当はみんな「あなた」と「わたし」の間にある。

たぶん「あなた」と「わたし」の間にしか、ありえないんじゃないかな。

「わたし」と「あなた」でもなくて。

           
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ちなみに、久しくご無沙汰していて、
これを書くので思い出して川口先生のブログに行ってみたら、
なんとブログを引越ししておられて、
新しいブログに行ってみたら、なんと、なんと、
障害者の世界にもワークを広げておられました。


私はこの人のブログを読むと、
日本にこういうOTさんがいて、こうして活躍してくださっていることに
いつも心の中で深く感謝する。