蕎麦デートの日、「強いものの無自覚」を振り返った

先週の小雨の日、
県北に住む60代のBFと
某こだわりの蕎麦屋へドライブした。

確かに美味しい蕎麦だったけど、
そこの女将が、たいそうなおしゃべりで、
そっちの方が蕎麦よりもよほどインパクトがあった。

必然的に、帰りの車の中でも
「それにしても、まー、よー、しゃべる人じゃったなー」
「切れ目なしですもんね。でも、あの年で、あのパワーもすごい」
「だいたい女性のほうが、元気がいいですね」
「あぁ、それはそうかも」
「だいたい女の人のほうが、よほどたくましい」

む……。

こういうことを言う男性は世の中に多い。

その場合、その「たくましい」には
「女というものは、ったくもって、厚かましく図太いから」とでも言いたそうな、
皮肉とか揶揄とか、時に冷笑すら続くのが常なので、

窓の外に視線を投げて
「そうですねぇ」と無難な相づちを打つ。

「女の人は……」

やんわりと聞き流すために、
かすかに身構えている自分を意識する。

「みんな、たくましくならざるを得ないんですよ。
こんな男中心の社会を、ずっと生き抜いてきたんだから」

へ……?

思わず、振り向いて、運転席にいる8歳年上の男性を
まじまじと見てしまった。

「世の中ずいぶん変わったと言われていますけど、そんなことはない。
まだまだ男に都合の良い社会のままですよ。
そのなかを女の人が生き抜くためには、
たくましくならないとやってくることができなかったでしょう」

その人は穏やかな口調のまま、ちゃんと前を向いて運転しながら
そんなことを言う。

そこから、今回の選挙公約にすら
女性差別の社会に戻そうという政治の動きがある、という話から、
その男中心の社会が、いかに女性に限らず弱い人たちを踏みつけにしているか、
という事例の数々へと話はするすると移っていったんだったと思うのだけれど、

で、そのどこかで
私はこのエントリーに書いたことを話したような記憶もあるのだけれど、

実はあんまり覚えていない。

それくらい、「女の人は……」の次に聞いた言葉が鮮烈だった。

もう何年も、
「強い側に身を置いている人の、自分の強さへの無自覚」について
グルグルと考え続けている。

人はいろんな関係性の中で強い側にも弱い側にも立つものだから、

どんな人でも、
例えば、障害者の人権とか様々な差別の問題について
高い意識を持って、運動や研究をしてきた人であっても、
親と子とか、夫と妻とか、男と女とか、教師と生徒/学生とか、
上司と部下とか、医師と患者/家族とか、地位のある人間とない人間とか、
自分が強い側に身を置いている関係性においては、
弱い側の「身になって」ものを眺めてみるということは
たぶん、やっぱり至難の業なんだろうなぁ、と思う。

私自身を含めて、誰だって、
自分が弱い立場に身を置いている時の悲哀には敏感でも、
自分が強い立場に身を置いている関係性の中では
自分の強さには鈍感なものだ。

そして、鈍感なまま、その鈍感をちらと省みることすらもなく、
まるでハエを払いのけたり蚊を叩き潰すほどの簡単さで、
目の前にいる、自分よりも弱いものの気持ちや言葉を
一瞬で黙殺し、粉砕してしまう。

そうしておいて、強いもの同士が、
弱い側に手を焼かされている「被害者」を演じては、
嬉しそうにその「悲哀」を共感しあってみたりする。

私がウーレットの『生命倫理学と障害学の対話』の原著を読んだ時に、
魅了され、日本で翻訳紹介できないかと即座に考えたのも、

生命倫理学や医療という「権威あるもの」「強いもの」が
障害学や障害者運動、障害のある患者や家族個々という「弱いもの」との関係性において
自らの強さと、それが必然的にもたらす「善意からの差別」「善意からの侵害」に対して
あまりにも無自覚であることについて、ずっと考えていたからだったのだと思う。

私自身が、『アシュリー事件』を書いたことを機に、
障害学や障害者運動と出会い、障害のある人の親であることの抑圧性に気づかされ、
少しずつ娘に対する自分の強者性を自覚し始めているからでもあったのだと思う。

だから、NYの検事職という、圧倒的に強い側に身を置いていたウーレットが
障害者運動からの激しい批判を浴びた時に、その声を強い者の論理ではじき返すのではなく、
「この人たちはなぜこんなことを言っているのか」をまずは知ってみようと、
障害学や障害者運動について誠実に学び始めたということに、
大きく心を揺さぶられたんだと思う。

そして、今、ここ、私の目の前にも、こんなにもさらっと
男中心の社会で生きざるをえない女の立場に立てる男性がいる――。

目を見張るような新鮮な驚きがあった。

頭では知ってはいたけれど、
その人が公務員としての現役時代に様々な差別の問題と取り組んでこられたことが、
単なる頭の中にある知識や事実の断片ではなく、
そのように誰かが生きた年月の厚みと重みとして感じられてくる。

人と出会うのは、やっぱり面白い。
(実はこの人と直接会うのは、この日が2回目)

ここしばらく、某所で、
圧倒的に強い側の無謀、無思慮、無神経、無関心にギリギリと歯軋りしながら、
それでも、圧倒的に弱い側がその犠牲になるのを黙って見ているわけにはいかないから、
あの手この手を繰り出しては、蟷螂の斧を手にドンキホーテをやり続けている。

それでも強い側は自分の圧倒的な強さに、まるきり無自覚なまま、
幼児性をむき出しにした「被害者」になりすまして、
正面から向かい合うことから逃げ続けているから、

久しぶりに県北まで車を転がしていこうと思い立ったのも
そういう憂いが溜まり溜まって、持ち重りしてきたのが背景だった。

小雨の里の風景の中をドライブしながら、
「女の人は、みんな男中心の社会を生き抜いてきた」と
さらっと言える口数の少ない男性と、ぽつりぽつり、たわいない話をしていると、

ちょっとだけ心が平たくなっていく。

目の前の難題に、打開策は見えないし、
本当のところ一体どうしたらいいのか、途方に暮れて、
ほとほと参っているのは変わらないのだけど、

でも、

今日帰ってからも、生きていこう。
自分なりに、ちゃんと生きていこう。

そんな思いが、いつのまにか、おなかの辺りに腰を据えていて、
それが、ほっこりと温かいから、今はとりあえず、

すぐ解決できなくてもいい。

ゆっくりでいい。
ゆっくり、ちゃんと、生きていこう。