おうち炉端

訳あって、北の海産物が届いたので、
久しぶりに夫婦2人で「おうち炉端」を開催することになった。

我が家ではもう8年ほども前、
娘が養護学校の高等部を卒業した頃に
母親が長いヘビースモーカーの歴史になんとか終止符を打ったものだから、
そうだ、これからは親子3人で少しばかり酒をたしなむことにしませう……と思い、

そんなことを考えていると、近所のホームセンターで目に付いて、
さっそく買いこんで帰ったのが、イワタニの「炉ばた大将」
(リンクはウチにあるものの何世代も後の改良型。
ウチのは基本形だけに、もっとぐっと「炉ばた」っぽいのだ)

これが大ヒットだった。

ちょうどインターネットで「お取り寄せ」にハマっていた頃でもあって、
いろいろ買っては、いろいろ焼いて楽しんだ。

海にはとろみをつけたワインとか、
酒の代わりに「炉ばた」で炙った酒かすを食べさせたりもしつつ、

海は細かくすれば何でも食べられていた頃には「カニ」と聞けば目を輝かせていたし、
当時はネットでいくらでもいいものが安く手に入ったので、
「炉ばた大将」はホットプレートなんかより何倍も活躍した。

ここ数年、なめらかなもの以外は食べにくくなってきたので、
カニの身をつぶしたり、とろみ出汁で伸ばしたりと
工夫しては食べさせてみるものの、

以前のようにバクバク食べたいとイメージしてしまう本人の「無念」や
つい、口に入れてやってムセれば激しく自分が責められる親の後悔の念などが
海のカニを食べる喜びを上回ってしまうことが多くなってきて、
いつのまにか「炉ばた大将」は流しの下にしまいこまれたままになっていた。

昨日はそれを本当に久しぶりに引っ張り出してきた。

訳あって(週末、北の某所で食べきれずに冷凍お持ち帰りになったもの)、
ごく少量ずつ届いた3大ガニのうち、小ぶりな毛ガニ2杯は
やっぱり週末に海にどうかして食べさせてやりたくて残し、
その他のカニと、網からはみ出すほどのマスを焼いてみることに。

お酒は、大事にとってあった年末の到来ものがある。

そこで我が家の「おうち炉端」の定番食材を買いにゆく。

イマイチ体調がよくないので、
絶対に欠かせない白ネギと厚揚げ、それから
おとーさんの好きな「えりんぎ」くらいで
今日のところは手を打つ。

この直火焼きの白ネギと厚揚げを食すためにこそ
我が家には県北の町の「ふきのとう味噌」が常備されているんである。

おとーさんの帰宅で、いよいよ開店。

宿の「食べきれなかったカニは冷凍でお預かりします」が
一夜明けてみると、それは宿の向かいの海産物店で「お預かり」となっていて、、
まぁ、いっしょに送ってもらえれば確かに便利なわけだし、と笑いつつ、
色だけに魅せられて買ってしまった巨大なマスの一夜干は
こっちの体調不良もあってイマイチおいしくはなかったけれど、

部屋中にもうもうと煙を上げつつ、
網いっぱいの魚が焼けていく様は圧巻だったし、
カニも炙るとうまみがぐっと増して、ちょっとしたシアワセに浸る。

「おうち炉端」、ほんと久しぶりだよね~。
海が何でも食べられた頃には、すごい活躍しとったのにね~。

「お。これ、うまそうに焼けとるよ」と、おとーさん。

勧められるままに、
白い肌にじゅわっとうまそうな汁をたっぷり滲ませたエリンギを箸でつまんだ瞬間、

なぜだろう。

突然の病を得て、胃を失ったばかりの人のことが
ずっと頭にあるからだろうか。

ふいに、体感してしまった。

こういうことが、いつか必ず
「二度と手の届かないもの」になる時がくるんだ……という冷厳な事実を。

カニが届いたよと言って、
流しの下からいそいそと「炉ばた大将」を引っ張り出してくるようなこと。

スーパーで「おうち炉端」にはおとーさんの好きなこれがないとね、と
籠にエリンギを放り込むようなこと。

「ほら、焼けたよ」と網の上でこっちに寄せてもらったエリンギを
「サンキュ」と言って箸でつまみあげるようなこと。

夫婦2人で、または親子3人で、
こうしていっしょに物を食べること。

「おいしいね」と言って「おいしいね」と返してくれる人がいること。

なんでもない、こういう時間が、
いつか必ず、どういう形でか、「二度と手の届かないもの」になる日が来る。

海がもう前のように何でもバクバク食べられないように。
義母が老齢で歯の治療ができず、もう柔らかいものしか食べられないように。
また、ある日突然に病を得て、あっという間に胃を失ってしまった人のように。
そして、大切な人をいろんな形で失った、世の中の多くの人のように。

一瞬、わんわん泣き出したいような気分にとらわれた。

胸がキリキリと痛くて、底なし沼に沈んでいくように寂しくて、
耐え難いほどにやるせない瞬間だった。

きっと、こういう瞬間を何度も迎えながら、
人は老いて、大切な人を失い、そして自分も死んでいくんだ……と、初めて
ほんのちょっとだけ、知った。