【拡散希望】「尊厳死」法制化に反対する集会(大阪・東京)のご案内

●「尊厳死」法なんて要らない!尊厳ある生を全うしよう
~「尊厳死法いらない連絡会(仮称)」結成にむけて~

日時:7月5日(土)13時30分開始(開場13時15分) 
会場:難波市民学習センター 講堂(OCATビル4階) 
 地下鉄御堂筋線四つ橋線千日前線「なんば」駅下車すぐ、JR難波駅
http://www.osakademanabu.com/namba/?page_id=1436

講演:「市民から見た尊厳死法――日本の医療の在り方の路線変更であり、終末期だ
けの問題ではないのです」
講師:川口有美子さん
(ALS/MNDサポートセンターさくら会副理事長・『逝かない身体―ALS的日常を生き
る』著者)
参加費:500円(資料代)

主催:やめて!!家族同意だけの「脳死」臓器摘出!市民の会
連絡先:やめて!!家族同意だけの「脳死」臓器摘出!市民の会事務局
〒530-0047 大阪市北区西天満4-3-3星光ビル 冠木克彦法律事務所内
TEL:06-6315-1517
ホームページ:http://www.jca.apc.org/~yamete/

 「尊厳死」の法整備がすすめられようとしています。安倍政権が推し進める、医
療・介護・社会福祉切り捨て策のもとで、尊厳死法が成立すれば、「終末期」の人、
人工呼吸器を付けている人をはじめ、看護や介護を受けながら生きている人々に対し
て、生きる権利を奪うことにつながるのではないかと危惧します。私たちは、「脳
死」について考えていく中で、「尊厳死法」の問題についても考えはじめ、討論集会
などを企画し議論を深めてきました。
 「尊厳」死などと「美化」された死が、一体なんのために必要なのでしょうか。医
療も介護も「市場」化し、「人が生きて在ること」の豊かさを計ることのできない資
本主義的発想の、行き着いた結果ではないのかと思えます。私たちは、「生命の切り
捨て」の容認や受容が、あまりにも当たり前であるかのような流れをどうしても変え
ていきたいと、強く思います。
今回は、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と闘ったお母さまの看取りの記録『逝かない身
体』(医学書院)をはじめ、さまざまな著書をだされている川口有美子さんに講演を
お願いし、「尊厳死」の問題についてお話しをして頂くことにしました。
 また、尊厳死法整備に対して、国に私たちの声を届けていくために、関西を中心と
したゆるやかなネットワークを立ち上げていきたいと考えています。みなさまのアイ
ディアを集めてつないでいきましょう。ひとりひとりがかけがえのない生命を全うで
きる社会をつくるために、一緒に考えていきましょう。是非ご参加ください。



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●第6回市民講座の案内

講演Ⅰ「尊厳への問い」を問いなおす―「いのちの倫理」のために
講師:田中智彦さん(東京医科歯科大学教養部 准教授)

講演Ⅱ看護と尊厳―その人らしく生きることを支える―
講師:MOTOKOさん(看護師)

日時: 2014年7月12日(土) 13時30分~16時45分(開場13時)

会場: 豊島区勤労福祉会館4階(第3・第4会議室)
   住所:東京都豊島区西池袋2-37-4 
   TEL:03-3980-3131
   JR池袋駅(南口・西口 メトロポリタン口)徒歩7分
   地図 http://members.jcom.home.ne.jp/s_tamaya/kuro/ikebukuro.htm
共催
臓器移植法を問い直す市民ネットワーク>
 新宿区西早稲田1-9-19-207日消連気付 携帯080(6532)0916
 e-mail:abdcnet@gmail.com ブログ:http://blog.goo.ne.jp/abdnet
脳死・臓器移植に反対する市民会議>
 代表:篠原睦治  Tel:03(5624)6064

【講師プロフィール】
■田中智彦さん(東京医科歯科大学教養部、准教授)
1967年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科後期博士課程単位取得満期退学。早稲
田大学教育学部助手を経て2000年より現職。専門は哲学・政治思想。
著書に『生命倫理の源流――戦後日本社会とバイオエシックス』(共著、岩波書
店)、『いのちの選択――今、考えたい脳死・臓器移植』(共著、岩波書店)など。
訳書にチャールズ・テイラー『〈ほんもの〉という倫理――近代とその不安』(産業
図書)、同『自我の源泉――近代的アイデンティティの形成』(共訳、名古屋大学
版会)など。

講演によせて
「いのちの尊厳」であれ「人間の尊厳」であれ、私たちは多くの場合、「尊厳」をめ
ぐってはそれが「ある」のか「ない」のかといった問いかたで問題にする。そして、
そうした問いはたいていの場合、問われている対象が「尊厳」を認められるに「値す
る」存在なのか「値しない」存在なのかという、尊厳のいわば「資格要件」をめぐる
もう一つの問いとセットになっている。こうしたことはある意味、やむをえないこと
ではあるだろう。しかしまた、そうであるからといって、「尊厳」には別の問いの立
て方、語り方があるかもしれないことまで否定されるわけではない。ではそのような
別の問いのたて方、語り方があるとすれば、それはどのようなものになるのだろう
か。一つの試論を提示し、参考に供したいと思う。

■MOTOKOさん(看護師)
28年余り臨床看護を実践。主に救急・集中治療室で勤務。災害救護への参加、心肺蘇
生法の普及にかかわる。脳死臓器移植のドナーの方を看取った経験を機に「いのち」
「看取り」、「看護とは」等について考えている。

講演によせて
私は、脳死臓器移植のドナーとなる患者さんを看護した経験から、看護師が患者に尊
厳をもって関わるとはどういうことなのかについてお話したいと思います。大切な家
族の死を前にして残された時間は、患者と家族の為にあります。それは、亡くなって
いかれる悲しみを悲しむ時間でもあります。家族の承諾によって臓器提供のドナーと
なる患者さんとそのご家族にとっても、残された時間は共に生きる最後の時間です。
「看取り」とは、「残された生を共に生きること、やがて鼓動を止めて冷たくなって
いくいのちの傍で、見守り悲しむいとなみ」でもあります。
私にとって「尊厳」とは、「その人らしく生きることのかけがえのなさ」を自分から
も他人からも大切にされることによって尊厳が尊厳として守られていくものなので
す。自分が今あるままに生きていていいのだという自己肯定と、そうして生きるあり
のままのその人の生のかけがえのなさを周囲の人だけではなく社会の在り方として大
切にされること、このいわば内と外からの肯定によって、たった一人のその人の尊厳
が尊重されていくものなのだと思います。