ケアラーの「体験知」、病院スタッフは尊重を

昨日のメモにリンクを取りまとめた英国のExpert Patients Program(EPP)の関連で、
6月16日のメモで拾ったこの記事がとても重要だと思えてきたので。

タイトルはズバリ、
「病院スタッフはケアラーのスキルと知識を認識すべし」

副題は
「ケアラーにはNHSスタッフには提供できない知識と体験知がある。
にもかかわらず、病院のプロセスでケアラーに意見が求められることはない」

これは、療育園以外の医療機関での娘の医療をめぐる体験で
私自身、常に感じてきたこと。

著者は、多発性硬化症のパートナーを介護している男性。

(これも私が娘の腸ねん転の時に痛感したことそのものズバリなんだけど、)
大きな教育病院に入院すると、そこのスタッフは急性期症状にだけ注意を集中する。
だけど、急性期症状がどこかで起きているからと言って、
彼女のMSの慢性症状がその間なくなってくれるわけじゃない。

なので、介護者としては、
急性期の治療にばかり向いている目が見えていない問題を指摘せざるを得なくなる。

例えば、この男性の場合だと
パートナーのじょくそうがとても気になる。

そこで、もろもろの検討をする際に、そのチームの中に
ずっと関わってきた地域のじょくそう専門ナースを加えてほしい、と要望する。
けれど、病院というところは自己完結の世界で、
外部者のヘルプなど無用というのがお定まり。

(娘の総合病院外科病棟入院では、
私の気がかりは、けいれんコントロールとリハビリだった)

それに、だいたい他の病院での経過には興味もない。
転院時の患者情報にだって、せいぜい数か月分の記録内容しか盛り込まれていないから、

ケアラーから見れば、そんなのは十分ではない。
だから、自ずと口を挟まないではいられなくなる。

(そして「小うるさい(あるいは傲慢な)家族だ」と
白眼視を浴びることになる)


Where hospital consultants are specialists, carers are generalists, dealing with all the nit-picking details. When my partner is out of hospital, I am the main point of contact for GPs, district nurses, social services, care agency, dentist, podiatrist, pharmacist, nutritionist, physiotherapist, speech and language therapist, occupational therapist, MS nurse, tissue viability nurse and others. I'm the person who keeps track of what they have all recommended and makes it happen, the one who ensures that nurses and care workers position Victoria's legs as the physiotherapist has recommended. When the consultant recommends a change of medication, I make sure the pharmacist puts it in the dosette box.

病院の医師がスペシャリストであるとしたら、ケアラーは細かい詳細をすべて担当しているジェネラリスト。パートナーが入院していない時には、GP、地域ナース、社会サービス、介護事業所、歯医者、足の専門医、薬剤師、栄養士、PT、ST、OT、MSナース、じょくそう専門ナースその他と連絡窓口は私がやっている。それら専門家が勧めてくれることを記録して、実際にやっているのも私だし、ナースや介護士がヴィクトリアの脚をPTが支持した通りにポジショニングしてくれるようにチェックするのも私だ。医師が薬の変更を指示するなら、薬剤師がその変更をしてくれるように確認するのも私だ。

I accompany my partner to appointments with everyone from hospital consultants to hairdressers. I know what she likes to wear, how she needs to be positioned in her wheelchair and how she likes her hair brushed. Carers have a level of expertise that is not provided by any hospital staff. And yet there is no automatic mechanism for including us in the hospital process. I get listened to courteously enough by nurses and, when I can get hold of them, consultants; sometimes I make a difference. But I have to make the approach; I get no sense that anyone would feel anything was missing if my voice went unheard.

病院の医師の診察から美容院まで、私はどこにでもパートナーに付き添っていく。彼女のお気に入りの服が何か、車椅子ではどういうポジショニングが必要か、髪の毛はどんな梳き方をするのがいいか、みんな分かっている。ケアラーには、NHSスタッフには提供することの出来ない一定レベルの体験知(expertise)がある。それなのに、われわれケアラーを病院のプロセスに含めるための自動的なメカニズムというものが存在しない。看護師は十分な敬意を持ってこっちの言うことを聞いてくれるし、捕まえることさえできれば、医師だって聞いてくれる。そういう時に、事態を変えることが出来ることもある。が、その動きは私から起こさなければならない。たぶん、私が声をあげることができなかったとしても、誰も何か欠けているものがあるとは感じないんじゃないだろうか。




英国では
知的障害者チャリティのメンキャップが医療における知的障害者差別の問題と取り組み、
2007年に画期的な報告書、Death by indifference を刊行していますが、 ↓



このメンキャップの報告書を機に
事例の調査を行った医療オンブズマンの報告書では、
以下のように指摘されてもいます。

特に医療職がもっと積極的であったら、
患者を最もよく知っている家族や介護者からの情報やアドバイスに従っていたら、
患者個々のニーズにもっと応じる医療を行っていたら、
と悔やまれる事例もたくさんあった。


家族や介護者を、患者を最もよく知っている大事な情報源と捉え、
その声に耳を傾けることが、患者への最善の治療につながる。

私も、そう思います。