第40回重症心身障害学会のシンポで発言させていただきました

9月26日、27日と京都テルサで開催された
第40回 重症心身障害学会の第2日目のシンポ3
「利用者の権利・最善の利益と治療方針決定
~重症心身障害医療における家族・医療現場の思いとディレンマ~」において
利用者の保護者の立場でシンポジストとして発言する機会をいただきました。

座長は、
びわこ学園医療福祉センターの高谷清先生と
島田療育センターはちおうじの小沢浩先生。

私以外のシンポジストは、
愛知県立心身障害者コロニーこばと学園の園長、麻生幸三郎先生。
新潟大宅医学部保健学科・大学院保健学研究科の宮坂道夫先生。

それからコメンテーターとして、弁護士の新谷正敏先生でした。

私は2番目の発表者で、
私の前に麻生先生がシンポの提案者として
意思決定をめぐって医師と家族の思いが一致しなかった事例をいくつか紹介され、
海外の制度や法律の概要を紹介された後で、
日本における施設の対応の困難点を考察、
学会の委員会などで各施設において問題となった事例を集めて
幅広い立場や職種によって討論し、それを公開することの提案がありました。

私はその後で、だいたい以下のようにお話しました。

                       
麻生先生のお話をうかがって、ちょっと胸がいっぱいになっております。先生方のジレンマも分かる。ご家族のジレンマも分かる。そこにある大きなギャップがとても切ないです。麻生先生が施設長の立場で率直なホンネをお話してくださいましたので、私の役割は親の思いをなるべくありのままにお話しすること、それによって、そのギャップを埋められる可能性をさぐることかな、と思います。

まず最初に、私自身がずっと感じてきたギャップのことをお話しすると、先生方にとっては重心施設は第一義的に病院であり、よって「医療の中に生活がある」んだな、という印象なんですけど、本人と親にとっては、生活の中にあくまでその一部として医療がある、重心施設は第一義的に生活の場であってほしい。そこにすでにギャップがある。

それを意思決定でいいますと、先生方にとっては「この人の医療をどうするか」は、今という「点の問題」であり「医療の問題」なんですね。親にとっては、この子が生まれてからあんな目にもあった、こんなことも乗り越えてきた、そういう親子の人生にあった出来事の連なりの先っぽとしてしか「今ここ」はありえない。つまり親にとっては「線の問題」であり、「親子の人生の問題」なんですね。

その線のところで、私たち親にとって、障害というものは常に我が子から奪っていくものでした。それを防いでやりたいと、子どもが小さい頃には必死でリハビリに励みますが、成長と共に我が子は重度化していきます。それをなすすべもなく見ていることしかできなかった親にとっては、やるせない日々のつらなりでした。

たとえば、ここへ来て口からの食事を諦めるという選択肢が出てくることも、親にとっては、これまで奪われてきたあれやこれにさらに追加される喪失なんですね。ここへきて、まだこのうえ、これほど大きなものを奪われなければならないのか、という我が身を切られるような深い嘆きになります。先生方にとっては、医学的リスクと医学的な利益の比較検討なのかもしれませんが、親にとっては「生活上の利益」と「生活あるいは人生における喪失」の相克なんですね。

また障害は我が子に痛み・苦しみをもたらすものでもありました。生まれた直後から、何度も命の危機を体験しては、そのたびに耐えがたいほどの痛み苦しみを強いられて、生き延びてきました。それを共にしてきた親にとっても、それは痛苦の体験であり痛苦の記憶として積み重ねられます。そこにも線の問題があるわけです。

先ほどAさんのご家族の「とにかく手術はこりごり」という言葉が出てきましたけど、私も15年前に娘がイレウスで総合病院の外科に転院した体験は、今でも生々しいトラウマになっています。詳細はこちらの本に書いていますので、ここでは触れませんが、その傷つき体験が余りに生々しいので、去年、娘が体調を崩して転院の打診があった際にも、なかなかいいお返事ができませんでした。先生方は命を救うために転院させるのだというところで目が止まっていますが、私たちにとっては転院することが命のリスクだった、そういう体験だったんです。またあんな目に合わせるリスクを考えると、とうてい承服できないです。もちろん、それで確実に助かる保障があるなら考えようもあるんですけど、こういう人たちは急性期がいつ終末期に転じるかわからないと言う体験も散々してきましたので、万が一となった時には、この子はまたあんなむごい目にあった挙句に、見ず知らずのスタッフに囲まれて死ぬことになる。そのくらいなら、この子のことをよく分かってくださっていて、ずっとケアしてくださっているスタッフに看取ってもらう方が幸せなのではないか、でも、それは一方では、あたら助かる命を親が見捨てることにもなるのだと思えば、そんなこともできない。

結局、親にとっては、どちらも選べない「インポシブルな選択肢」なんですね。だから身動きが取れない。さっきのB君のお母さんの手紙にあったように「決心できない」。途方に暮れて、立ちすくんでしまう。

この立ちすくみを乗り越えるためにはどうしたらいいのか、去年からずっと考えてきました。その後いろいろあった出来事を経ての私の考えを言わせていただくと、まず親にとっては今お話したような「線」の問題だということに、先生方が気づいてくだされば、と思います。そして、その傷を語る親の声に、まずは否定も批判もせずに耳を傾けてくださらないでしょうか。なぜこの親はこんなことを言うのか、その背景にある体験や痛みを知り、理解しようという姿勢を持ってくださったときに、たぶんそこで初めて、本当の意味での話し合いがスタートするのだと思います。

ところが、たいていの場合、親が立ちすくんでいる姿は、先生方には「自分は医学的に正しい提案をしているのに、親がそれに理不尽な抵抗する」と映るんじゃないでしょうか。中には、「親が医療について無知だから」と苛立ちを露わにされる方もあります。確かに親は無知かもしれません。でも、それもまた点ではなく線の問題だと思うんですね。

この点で、私たち親子は早くからドクターに恵まれました。赤ちゃんの頃から検査のたびに生データを示してもらって丁寧な説明をいただきました。家での観察や親の思いも十分に聞いてもらい、常にともに考えともに決めさせてもらった。だから私だけではなく母親仲間もみんな、データの意味から薬の名前まで、無理なく知識を身につけ、判断力も養うことが出来た。それは先生方に親として育ててもらったんだと思っています。その過程で自ずと信頼関係も築かれました。だから、それがデフォルトだと私たちは思いこんでいたんですね。ところが、そうではなかった。

施設の文化もドクターの意識も本当に様々です。そして、それがすべてを決めてしまうから、親としてはとても困っているんです。施設に入れたら、知らないうちにけいれんの薬が変わってた、という人もいます。気がついたら歯が2本も抜かれてて驚いた、という声を聞いたこともあります。でも、たぶん、そこの施設長やドクター個々に聞けば、「十分な説明をしている」とおっしゃると思います。そりゃそうなんです。なにが「十分」かの定義権はご自身が握っておられるわけですから、どなたもみなさん十分に説明しておられる。

では何が「十分な説明」で、「どの医療について同意が必要か」を決めるのは誰なのでしょうか。私の友人に面白いことを言う人がいて、うちではね大事なことはみんなお父さんが決めるの。でね、何が大事なことかはお母さんが決めるの。重心施設の親の決定権というのは、こんなものになってはいないでしょうか。もしも「施設だから説明なし」がデフォルトで、「うるさい親にだけ例外的に説明しておけ」という文化が日常的な医療にあるとしたら、いざ先生方が「この医療にだけは同意が必要だ」とお考えになった時に、その時点で親が無知だから困ると責められても、その無知は本当に親だけの責任なのでしょうか。

子どもの障害を告知する段階から、あるいは入所や支援開始の段階から、「ともに考えともに決められるパートナー」を「育てる」という視点をもっていただけないでしょうか。思春期の子どもと同じで、ある程度まで育ったら扱いにくくはなります。批判がましいことも言い始めるし、思い通りにもならない。でも、本当はそうなってからが対等なパートナーです。そこから先は、専門職と親とが互いを尊重しつつ、ともに信頼関係を築いていく、ということじゃないかと思います。

そうやって日常的に小さな意思決定をめぐって、ともに悩み、ともに考え、ともに決める体験が線として積み重ねられていることが、いざ大きな意思決定という点の場面に必要な信頼関係を築いてくれるんじゃないでしょうか。

親が「選べない」「決心できない」ということについては、子どもとの距離が近すぎるという面が一つあると思うんですけど、逆に医師は距離が遠すぎる、と思います。医師は子どもたちの生活の場に「くる人」であって、そこに「いる人」ではないんですね。だから、その人がどういう人で、どういう生活をしているかは、そこに「いる人」である看護職や支援職、リハ職、学校の先生のほうがはるかにご存知です。

私は自分たち夫婦が死んだ後、娘のことを誰がどのように決めてほしいかを考えると、娘がどういう人として生きてきたかを一番よく分かっている人の声が一番尊重されてほしい。それが誰かを決めるのは職種でもポストでもないですよね。あらかじめ決めておけることでもないです。そこが柔軟に判断できるチームで、みんなで、ともに悩みともに決めてもらいたい。単に医療の問題としてではなく、その人の人生の問題として考えてほしい。それがいざ大きな意思決定が必要になった「点」のところで可能になるためには、「線」のところで何が必要になるのか。

私は2つのことが必要ではないかと思います。まず1点目、多様な職種の人たちの知識や考えが柔軟に尊重されて、意思決定に反映されるチームが日ごろから機能していること。次に、そのチームの中に日ごろから親や家族だけではなく、本人がきちんと位置づけられている、ということもやはり大事ではないかと思います。

なぜ本人がチームに位置づけられていなければならないのか。私はこの8年間、ブログを通じて重症児者と医療の倫理問題について親の立場で考えてきましたが、一番痛感しているのは「本人のため」というのがいかに欺瞞に満ちた恐ろしい言葉であるか、ということです。私たちは、本当は本人のためではないこと、少なくとも本人のため「だけ」ではないことを「本人のため」と言い換えてきたのではなかったでしょうか。施設や専門職は、本当は資源や労働環境の都合であることを「本人のため」と言い換えてこなかったでしょうか。親もまた「これだけ重度だから施設で暮らすのが本人のため」といって、自分の罪悪感から目をそらせてきました。アシュリー事件については抄録に簡単に書きましたので説明は省きますが、アシュリーの親と主治医は「頭の中につりあった体にしてあげるのが本人のため」と言ったんです。重症児の娘を殺したカナダのロバート・ラティマーという人は「こんな状態で生きるより、殺してあげるのが本人のため」と言いました。「本人のため」というのはこんなにも恐ろしい言葉です。

その恐ろしさを、私たち重心児者の代理決定に関わろうとする者は、本当にしっかりわきまえられているでしょうか。日ごろから、私たちはこの子たちこの人たちの意思や思いや尊厳と、どこまで真摯に向き合ってきたでしょうか。それを考えると、専門職も親も「自らを問い返す」視点を忘れてはならないのではないか、と思います。そこにもまた「線」のところで考えるべき問題がある。

そこで提案させていただきたいのが、「重心における本人中心の意思決定とはなにか」という問題です。それをみんなで模索してみませんか、という提案なんですね。例えば「侵襲的医療」とか「緊急時」とその「対応」といった言葉には、その内容が人によってバラついている可能性があります。また個々のドクターの考え方によっては恣意的に使われてしまうリスクもあります。それを防ぐために何ができるのか。もしも「重心における本人中心の意思決定とは何か」を、多くの職種と保護者とがフラットに声を出し合い、それぞれ自らを問い返しながら一緒に模索していくことができれば、そのプロセスが何よりのセーフガードになるのではないかと思うのです。

ささやかな一つの試みとして、我が家では日常的な医療についての説明に本人を同席させていただく、ということをお願いしています。本人がそこにいることで、多くのことが変わります。自分が尊重してもらっていること、みんなが自分のことを一生懸命考えてくれていることを娘は誇らしく感じていますし、専門職の方も自ずと表情を気にしたり、本人に話しかけ質問することが増える。エルカルチンを飲むかどうかの話し合いの際には看護職、支援職のアイディアで本人を含めたみんなで試飲してみる、ということもありました。こういうのは本人がその場にいないと起こらないことです。なによりも本人がそこにいることで、私たちの側の意識が変わるように思います。スタッフの受け止めはまだ様々ですが、粘り強く理解を求めながら、「重心における本人中心の意思決定とは何か」という問題を親なりに考えて、提起し、共有していければ、と思っています。どうぞ、この指に一人でも多くの方が止まっていただければと思います。

最後にお願いしたいことが4点あるんですけど、まず、現在の重心医療での説明と同意にかかわる現状と問題の把握をしていただけないでしょうか。2点目は同じことを多職種協働でお願いしたいということです。定義権のある人だけでなく、多面的な現状把握を試みていただければと思います。というのも、点のところで先生方が困っておられることの問題解決だけが議論されたのでは、それはあくまでも現状追認の議論で、ギャップを埋めることにはならない、むしろ深めてしまうのではないかと危惧します。

次に抄録に書かせてもらった、医療機関間のディスコミュニケーションの問題で、英国のデータがこの一番上のところ(年間1238人以上の知的障害者が適切な医療を受けられずに死んでいる、その37%は命を救うことができたケースだとの推計)です。日本の重心児者とその家族は一般の医療で、どういう体験をしているのでしょうか。この問題を、実はここで訴えるつもりだったんですけど、昨日のシンポですでにこの問題には取り組んでいただけていることを知り、大いに感激しておりますので、これはそのうちに名古屋まで押しかけようと思っております。三浦先生、よろしくお願いいたします。

最後に、これは重心学会にお願いすることでもないんですけど、一緒に考えていただけたらと思うこととして、医療職からも家族からも代理決定者からも独立したウォッチドッグとして、障害者の権利擁護システムが必要ではないでしょうか。私の念頭にあるのは、アシュリー事件で活躍して一定の影響力を持ったアメリカのP&Aです。病院内倫理委員会を含めて、医療システムの内部に作られた検討機関ではこの権利擁護システムのかわりにはならないと思います。

なぜ代りになれないかということは、P&Aの詳細とともに、この3冊の本(『アシュリー事件』『死の自己決定権のゆくえ』『生命倫理学と障害が苦の対話』)に書かれていますので、よかったら読んでいただければ。3番めは来月刊行予定の訳本なんですけど、アシュリー療法を最も痛切に批判した法学者で生命倫理学者のウーレットという人が書いた本で、今日も話題になっている重症者の経管栄養をめぐる訴訟もでてきています。非常に詳細な議論がとても興味深いです。この本は、タイトルをそっくり『医療と生活の対話』と置き換えても良い、日本ではまだ誰もこういうことを言っていない、というメッセージを含んだ本です。ぜひお手にとっていただければ。

言いたいことも言い足りないこともいっぱいあるんですけど、放っとくとこのまま1週間くらい平気でしゃべり続けますので、とりあえずここで黙ります。ありがとうございました。


学会では、
様々な職種の方々がこんなにも心を砕いて重症児者のケアに取り組んでくださっているのだと痛感し、
また医療だけではなく福祉や生活や権利擁護まで幅広い視点で議論が行われていることにも、
改めて重症児者医療は医療そのものの原点だと、
こちらのエントリーで書いたことを確認する思いでした。

多くのすばらしい方々と出会うことができ、
刺激と学びを山のようにいただいて帰ってきました。

それらを、これから時間をかけて
自分自身の血とし肉としていこうと思います。

2日間、場違いなところに身を置いて、とても緊張しましたが、
貴重な体験をさせていただきました。

お世話になった皆さん、声をかけてくださった方々、
本当にありがとうございました。