「なぜ医師―患者関係に信頼が不可欠なのか」by カプラン&ウーレット

27日のエントリーで近日刊行をアナウンスした
ウーレットの『生命倫理学と障害学の対話』の校正作業を、

昨日28日のエントリーで報告した重心学会のシンポで発表した内容とか、
それに対する様々なレスポンスについて、
いまだグルグルしている頭でやっていたら、

なぜ医師―患者関係に信頼関係が不可欠なのかについて
アーサー・カプランからの引用と、その前後のウーレットの解説が
まさにズバリ!と思えたので、

予告トレーラー的に抜き出して紹介したくなった。


……信頼こそが医師―患者関係に不可欠な構成要素であり、とりわけ今日のエビデンスに基づく医療(evidence-based medicine, EBM)の時代にあってはそうである。アーサー・カプランは単刀直入にこう述べている。「信頼関係なしには、アウトカムに基づく医療(outcome-based medicine)に陥るだけだ。……患者が医師の言うことを信用しないとき、そしてそれが予後と[患者が受ける]利益についてのエビデンスが欠如しているためではなく、医師が患者の権利擁護者であるとは患者が信じられないためであったり、医師が[患者に対して]……無神経な行動をとったためであったりするならば、[両者の]信頼関係の予後は思わしくない……。信頼関係の予後が思わしくないときには、データに基づいて導かれる治療への期待も思わしくない」患者や家族が自己防衛的な意思決定をすることで、治療チームの専門家がその治療は続行すべきではないと判断するような場合であってさえ、「[やれることは]すべてやってくれ」という要求がますます増えていくことになってしまうだろう。生命倫理学が過剰治療とそれが及ぼすネガティブな結果(悪い死、苦しみ、医療資源の無駄遣い)を気にかけるのであれば、それだけいっそう生命倫理学には、信頼できる環境を創り出し、障害学コミュニティとの協働作業を行うために果たすべき役割があるし、なすべき作業があるのである。
(p.75-76)

第2章「相反する視点と和解の呼びかけ」の中の
小見出しⅣ 「両者の友好関係を求めて」


『生命倫理学と障害学の対話 障害者を排除しない生命倫理へ』
アリシア・ウーレット著 安藤泰至訳 児玉真美訳 生活書院 近日刊行予定