薬物依存症の人にも「迷惑な患者」問題

生活書院から出ている雑誌『支援 Vol.4』の中の、
ダルク女性ハウス代表の上岡陽江さんのエッセイ
「あたしたちは社会のゴミ」を読んでいたら、

こんな1節があった。

 ダルクを始めてからずーっと、私たちは社会のゴミと言われてきた。一番差別が激しいのは精神科かもしれない。わたしたちは今でも親切な医師、親切な病院しか利用できない。開所当時など、「犯罪者は診ません」といって断られることは毎日だった。そんなことを言われていると、本当にゴミだと思いはじめていた。

 今でも薬物依存勝者は診察を断られている。残念ながら、日本の依存症治療はいまだに根性主義が幅を利かせている。止められた人、社会に出られた人が勝ち、という色が濃い。医療にのった依存症の回復率は概ね30パーセントと言われている。その他の多くの人たちは「面倒な人たち」と片付けられてきたのだ。
(p.159-160)


「面倒な人たち」という表現が
私自身が重心児者や知的障害者が一般医療から受ける扱いを表現するのに使っている
「迷惑な患者」と重なって、

これまで
認知症精神障害のある人々が身体の病気にかかった時には
同じ問題が指摘されていることは
知っていたけれど、

あ、ここにも
適切な医療を十分に受けられないまま放置されている人たちがいる……と気づかされた。

これまで書いてきた「迷惑な患者」問題のエントリーは
こちらにリンク一覧。


それから、こんな下りもあった。

 女性として依存症の施設を運営するには、いろんな難しさがある。これはダルクに限らず精神医療全体にいえるのだが、男性モデルが支配的な世界なのだ。悲しいことに、女性の専門家さえあまりそのことに気づいていない。二十代前半の女性ホルモンの変動が大きい時期や、毎月の生理、出産や子育て、更年期等々、女性であることが問題になることは多い。そんななかで、オトコたち中心の考え方には本当に疲れた。
(p.163-164)

医学そのものが男性モデルであることの問題は、
英語圏の研究や報道で指摘されているのを見たことがある。