認知症の人の介護者は、あまりの介護負担の大きさから、相手を殺したいとか、いっそ死んでくれたらと考える

オーストラリア、クイーンズランドのグリフィス大学の研究者、Siobhan O’Dwyer氏らの調査で、
21人のオーストラリア人の介護者にインタビューを行ったところ、

認知症の人の介護者の中にはストレスと孤立感から、
介護している相手を自分の手で殺すことを考える人たちがいることが分かった。

21人のうち、2人が自分の介護している相手を殺すことを考えたという。

一人は認知症の配偶者の自分に対する暴力がひどくなった時に、
身を守るためには相手を殺すしかないかと考えたとのこと。

また、ある日目が覚めたら介護している相手が病気になっていて
そのまま死んでくれないかと夢想した人が4人。

認知症の人の反応が必ずしも予測できないため、
介護者は気を抜くことができず、毎日24時間の緊張を強いられる。

そういうことを考える理由としては、
自分が厳しい介護状況から抜け出すことができないと感じ、
あまりにも大きな負担に疲れ果てて、
もう対応する智恵も工夫も尽きて絶望しているのだ、と
介護者支援の専門家は解説する。

24時間気を抜くことのできない介護生活になれば、
ましてその生活が何年も続けば
誰でもありとあらゆる感情に襲われるのが当たり前、とも。

だからこそ、相手を殺したくなったり
自分が死んでしまいたくなる気持ちを
体験してきて理解できる人に対して
介護者がありのままに語れる場所が必要となる。



直前エントリーもそうなんだけれど、

安楽死や自殺幇助の容認に向かう議論には、
ありとあらゆる弱者に対する差別を隠蔽したまま
その弱者の死によって問題解決する方向に社会を
押し流していくリスクがあるんじゃないかと私は感じていて、

たとえば、認知症の人の介護者への支援の問題を放置したまま、
認知症の人のVSED(自発的飲食停止)を認めようという議論にも
同じリスクがあるんじゃないだろうか。