夫介護者から精神的・性的虐待を受け続けていた女性の告白(豪)

障害があり、夫に介護を頼っているオーストラリアの女性が、
10年間にわたって夫からレイプされ続けていたことなどを、
Family Violence Royal Commissionで証言した。

逃れるすべが他にないと考えて薬で自殺未遂までしながら、

子どもたちに会えなくなることや
必要な介護を得られなくなることを案じて
未遂時に接した医療職に助けを求めることができなかった。

児童保護の関係者が訪ねて来た時には
夫は妻を虐待していることを悪びれもせずに認め、
「ああ。やったよ。だから何だというんだ? 夫ならみんなやることだろ。
だからもうやらないなんて約束はできないね」

警察が女性に代わってDVの介入の手続きをする際には
女性はやめてくれと頼んだが、後で考えると感謝している。

精神障害に付け込み、
すべて自分が悪いのだと思い込ませての支配・虐待があったようで、

「自分が死ぬか、夫に殺されるか以外には
この状況から逃れる方法はないと思っていたし、
自分で思っている以上に自分は強いのだということがわからなかった」

一方、精神科医師や支援職は虐待を知っていたのに、通報せず、

「私は裏切られた気分でした。あの人たちに通報の義務があって
もっと早くに手が打たれていたら、夫の虐待からもう5年早く逃れられたのに」

女性は、被害者の年齢を問わず、
性的虐待の通報を義務付けるべきだ、と。

一方、夫が家を出されてから8週間も介護者なしだったので、
女性はその間シャワーを浴びることもできなかった。

「シャワーも浴びれない生活はみじめで
そのために夫に戻ってきてほしいと思いました」

また女性は裁判所の事情聴取に何度も出かけなければならないことや
夫が何度も介入による命令や仮釈放の条件に違反して
ネットで嫌がらせを続けてくるのも辛かった、と証言。

法的手続きのミスで、
女性には本来認められるべき弁護士がつかず、
夫側の弁護士に女性本人が対応しなければならない事態もあった模様。

夫は現在、服役中。






私は以前より、
自殺幇助や安楽死を希望するのは女性が多いというデータの背景に、
こうした事例も隠されているのではないか、と懸念してきました。

それについては、例えば以下のエントリーなどで書いていますが、



2011年の「“身勝手な豚”の介護ガイド」6のエントリーで紹介した、
社会学者、春日キスヨ氏の以下の発言を思えば、

豪のこの事件は
日本の介護問題とも、決して無縁ではない。

男性介護者の会に出てくるような夫は少なくとも妻を愛している。
妻を愛し、自覚的に介護を担おうとしている。
でも世の中には、愛しあっている夫婦だけではない。
本当に深刻な問題は、愛のない夫婦の介護生活で起きている.


上のリンクでも何度か書いていますが、
現に私は、取材先で、支援者から以下のような話を聞いたことがあります。

妻が若年性認知症となり夫の方に介護能力がないために虐待が起こりそうだったので、
支援者が介入してグループホームへの入所を検討するよう話を切り出したところ、
「女房を施設に入れるだと? じゃぁ、オレの性的欲求はどうしてくれるんだ?」


で、この問題について、私が言いたいことの一つは、やっぱり、
2011年の「女のエクスタシーと…」のエントリーで書いた以下かな。

エクスタシーなんて夢物語だ、セックスは妻としての退屈で苦痛なだけの義務だと
信じ込まされている女が1人もいなくなるまでは、

どうか、お願いだから、

「家族に(夫に)介護負担をかけたくないから」死にたいという望みに
「分かったよ。じゃぁ君の望みのままに」と思いやり深く応じて妻を死なせる夫を
免罪するような社会を作らないでください。