斎藤茂男『生命かがやく日のために』(講談社+α文庫)
私が読んだのはこちらの1996年の文庫ですが、
その連載には命を救ってほしいという声だけではなく、
「障害児は幸せになれるとは思えないから、今のうちに死なせてやるべき」
「親以外の第三者がとやかく言うべきじゃない」
「自分がそのダウン症の赤ちゃんを育てる覚悟がないのに、口出しすべきではない」などの
反響も全体の2割程度混じっていた。
「障害児は幸せになれるとは思えないから、今のうちに死なせてやるべき」
「親以外の第三者がとやかく言うべきじゃない」
「自分がそのダウン症の赤ちゃんを育てる覚悟がないのに、口出しすべきではない」などの
反響も全体の2割程度混じっていた。
その連載を担当した記者が
連載前や連載中の取材や反響、連載終了後も問題と向かい合うために続けた取材について
取りまとめたのが本書。
連載前や連載中の取材や反響、連載終了後も問題と向かい合うために続けた取材について
取りまとめたのが本書。
赤ちゃんが息を引き取り、連載が終了した後に担当記者だった著者は
「こうした多くの声に促されて、私はまた歩き出したのだった。
あのダウン症の赤ちゃんがこの世に置いていった人間への問いかけの意味を求めて……」(p.218)
「こうした多くの声に促されて、私はまた歩き出したのだった。
あのダウン症の赤ちゃんがこの世に置いていった人間への問いかけの意味を求めて……」(p.218)
T先生は記者を案内して、子どもたちの居室に入っていく
「こんばんわァ。遅くにごめんねえ」
「こんばんわァ。遅くにごめんねえ」
こりゃ、もう間違いなく高谷先生だわ……。
T先生は一人ひとりの子どもに
「○○ちゃん、どおや?」と声をかけながら、
それぞれの悲しい生い立ちも家族の苦しい事情もとても詳しく知っていて、
本人にも家族にも温かい眼差しの言葉でそれを記者に説明していく。
「○○ちゃん、どおや?」と声をかけながら、
それぞれの悲しい生い立ちも家族の苦しい事情もとても詳しく知っていて、
本人にも家族にも温かい眼差しの言葉でそれを記者に説明していく。
部屋には保母さんたちがある子どもの誕生日に送った言葉が貼ってある。
「××ちゃん、おめでとう。
まだまだあなたの気持ちが理解できない私たちを叱ってください。
少しずつでいいから教えてください……」
まだまだあなたの気持ちが理解できない私たちを叱ってください。
少しずつでいいから教えてください……」
こうしてさまざまな試行錯誤を繰り返しながら生物は進化していくのですが、その過程で発生した「障害」は、進化の代償と考えることができます。それがなければ進化がなかった、そのようなものです。人間もまた生物であるという側面からは同じです。人間の中にある障害もまた進化の代償です。
(p. 229 びわこ学園発行『障害を持つ人々のしあわせを』からの引用)
(ゴチックは以下の引用もすべてspitzibara)(p. 229 びわこ学園発行『障害を持つ人々のしあわせを』からの引用)
そしてT先生は言う。
……もし障害児が存在しなかったら人類は存在しなかったという意味で、彼らは進化の最先端で戦った人類戦士だ、といえるわけですよ。これは生物学的事実です。
(p. 229)
(p. 229)
ついで安倍公房の『砂の女』について、
あれは女があの砂の家にとどまって砂をかいだしつづけることによって、村全体が砂に埋まってしまうのを食い止めているわけで、だからこそ村人は女に食料や水を運んでくるという関係なんですね。あの関係と同じように、人類のために闘った障害児を生かすことによって、人類全体を支えていく――そういう関係にあるのだと思うんです。こう考えてくると、障害者と健常者の関係は逆転して見えてきますよ。普通、われわれは、“健常者が働いて余剰産物ができたから障害児も生きていけるんだ“と考えているわけですが、じつは反対で、障害者がいるからこそ健常者も存在できるんですね。
(p.230)
(p.230)
このあたり、私は福岡伸一さんの「動的平衡」の考え方に通じるものがあるような気がする ↓
福岡伸一の“動的平衡”生命観と“科学とテクノで簡単解決文化”批判 1(2011/5/6)
福岡伸一の“動的平衡”生命観と“科学とテクノで簡単解決文化”批判 2(2011/5/6)
福岡伸一の“動的平衡”生命観と“科学とテクノで簡単解決文化”批判 1(2011/5/6)
福岡伸一の“動的平衡”生命観と“科学とテクノで簡単解決文化”批判 2(2011/5/6)
自分の子が障害児だとわかってショックを受けない親はいませんね。そのときにその親の人生観・価値観のすべてがはっきり現れるわけですが、その子を育てたくないと言ったからといって、責めたり非難したりはできないと思いますね。その人の人生観・価値観はそれらを形成してきた環境によるわけで、その環境はその人が自分で選んだわけではありませんものね。そういう時にこそ専門家や社会保障の援助が必要ですし、ごく身近な人からの、“いっしょにがんばろうなあ、しんどいなあ、つらいねえ、だけど……”という励ましが必要なんですね。
(p.231)
(p.231)
そういう援助に支えられて、まずお母さんが変わっていくんです。障害を持つ我が子とともに生きるという価値観へと転換をはじめていく。もう一つの人生を生きるというか、より深く人生を生きるようになると言ったらいいか、まったく新しい、それまで見えなかったものが見えてくるんですね。母親に引きずられて父親が変わる。そしておじいちゃん、おばあちゃんが変わる……。本来、親の愛には限りがないけれども、体力や資力には限りがありますからね。人間の無限の愛を生かすためにこそ、社会的な援助が必要なんですよ。そうすることによって親の人生、生き方が変わり、そしてさらには世の中全体のあり方、人間の生き方が変わることを、障害児たちが無言のうちに訴えかけているのだ、と私は思うのです。
(p.233)
(p.233)
この取材は今から30年前。
ちょうど、以下の本で高谷先生が書かれていた
最初の親への聞き取りをされていた頃ではないかと思う。
ちょうど、以下の本で高谷先生が書かれていた
最初の親への聞き取りをされていた頃ではないかと思う。
高谷清『支子―障害児と家族の生』(2014/10/17)
【高谷清氏関連エントリー】
高谷清著「重い障害を生きるということ」メモ 1(2011/11/22)
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『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ6:「新しい医療の文化」とは「重心医療の文化」だった!!(2013/2/5)
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