終末期の人工的栄養の拒否と自殺であるVSEDとは区別を、と看護師の論文

Annals of Family Medicineの2015年9-10月号に掲載の論文。
「自発的飲食停止(VSED)、医師幇助自殺(PAS)、それとも人生の最終段階でどちらもなしで? PASはNO。VESDは状況次第」

著者はオレゴン州ポートランドの 医療倫理センターの看護師。



冒頭、著者はまずタイトルにある
「人生の最終段階ではVESDそれともPAS?」という問いへの自分の立場は、
「PASにためらいがあるなら、VSEDにも同様であるべき」というものだと明言。

PASが倫理的に許されるという議論に基づいて
VSEDの倫理性が主張されており

そうした議論においてVSEDを推進する立場は
PASの場合には死が突然に訪れるのに対して、VSEDだと
時間をかけて死ねるので考えなおしたり、家族と関わったり、悼んだりできるという
利点がある、と主張し、

VSEDならPASへの批判や反対論のすべてが当てはまるわけではないとも説いて、
あたかもPASと違ってVSEDには道徳上の問題が少ないかのように言うが、

 これらの主張はミスリーディングである。なぜミスリーディングであるかを理解するためには、誰かを死なせる意図を持ったVSEDと、臨床医療あるいは治療の一選択肢としてのVSEDとを区別する必要がある。


自己決定能力のある患者には治療を拒否する権利がある、という文脈のみで捉えると、
意思決定能力がある患者が終末期の苦しみを軽減するために
人工的な栄養と水分の補給を拒否するケースと同じく、
医療職はVSEDを希望する患者の自己決定を尊重すべきであるかのように思えてしまうが、

そもそも苦痛への軽減策としてのVSEDは標準治療なのかどうか、

VSED推進派の文献では、あたかも標準治療であるかのように書かれ、
医療職は終末期の苦痛軽減のためのVSEDを緩和ケアを含めてサポートすべきだと
書かれているが、

現在の米国その他多くの国でVSEDは標準治療には含まれておらず、
そうだとすれば医療職にも患者のVSED希望を尊重しなければならない義務もない。

何より、
負担と治療の利益の比較考量により終末期の人工栄養を拒否することは自殺ではないが、苦痛を終わらせるためのVSEDは自殺行為である。

もとより、これらのケースは常にくっきり区別できるものではないが、
そこの繋がりがあるからこそPASとVSEDが繋げられてしまってもいる。

PASのアドボケイトたちはしばしばVSEDのことを道徳的な論議を回避できる終末期の苦痛対策の治療の選択肢だという。しかし現実には、VSEDからは、苦痛を終わらせる手段として自分の命を終わらせる患者の意思決定に医師が協力することは認められるかどうかという、難しい道徳的な疑問が起こってくるのである。


この論文のほかにも2本、VSEDに関する論文が掲載されており、
その1本はオランダのプライマリ・ケアで既に一般的に行われているVSEDの実態に関するもの。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/299533.php