勝村久司 『僕の「星の王子さま」へ』 3

前のエントリーからの続きです。


この本を読みながら、勝村夫妻の体験と
私たち夫婦の体験が重なっていると感じることは他にもたくさんあるのだけれど、

私がこの本をどうしても読んでみたかったのは、なによりもまず、

入所施設で保護者が異議申し立ての声を上げた時に体験することの数々が、
医療過誤の被害者の体験に実は似通っているのではないかと、
最近、少しずつ考え始めているからだ。

そして、読めば読むほど、
そうだ、やっぱり同じだ……と、再認識した。

もちろん、私の体験してきたことは、
勝村さんやほかの医療過誤の被害者の方々に比べれば
ほんの玩具のようなことに過ぎないというのは分かっている。

でも、ダイナミズムやことの大小は違っても、
医療機関や医療職が外部から脅かされた時の反応のパターンは、
全く同じような気がする。

過ちを認めない。
姑息なウソをつく。
事実を隠し、情報操作をする。
「対応しない」という対応に逃げこむ。
被害者や批判者を「モンスター」に仕立て上げる。
「何を言っているか」にではなく「文句を言っている」ことに反応する。
問題の解決を目指すのではなく、黙らせるための策を打つ。
信頼関係を築こうとするよりも権威でねじ伏せようとする。
加害しておきながら、勝手に被害者になりすます。

要するに「誠意のない対応に終始する」のだ。

そのため、

 被害の辛さ以上に、被害が「被害」であったことを認めてもらえないつらさに、皆苦しんでいる。
 被害者は、どうすれば人間としての尊厳を回復できるのか。医療裁判に人々が取り組む理由の本質が分かりかけたような気がした。
(p. 103)

または、学校でのいじめを比喩にした下りで

 被害者本人は「人間としての尊厳を傷つけられた」と認識しているのに、加害者のみならず周囲も、そして学校までも「いじめはなかった」と言ってしまうことが子どもの精神を不安定にさせるのではないか。「過強陣痛はなかった」という言葉も同じだ。これでは被害者は、人間としての尊厳を回復できない。
(p. 218


本書の最後のあたりに、
「全国薬害被害者団体連絡協議会」と厚労省との交渉の場面がいくつも描かれているが、
そこでも、やりきれないほどの不誠実がこれでもかというほど繰り返されている。

そのうちの一つ、
母子手帳への陣痛促進剤のリスクの記載を厚生省が審議会に提案すると約束した後、
審議会の委員が必要ないと言ったとの一言で、約束が反故にされてしまう。

被害者の一人が立ち上がり、叫んだのは
「おまえら、いつまで、何人子どもを殺すつもりやー!」

この人の悔しさ、もって行き場のない苛立ちが、ひりひりと伝わってくる。

あまりの不誠実と鉄面皮に晒され続けると、
人はやり場のない思いにさいなまれ、いらだちと絶望を深める。

事態を自分にはどうすることもできないという無力感が
もとより抱え込まれた怒りに風を送り、ほむらを煽って、
激しい言葉がほとばしるのだ。

でも、被害者のそんな姿は、「ほら、やっぱり」と
権威の影に身を隠して上品、優位を装う専門家たちから見下され、
さらにモンスターに仕立て上げる材料に使われてしまう。

それによって、
「どういう言い方をしているか」だけが問題視されて、
「何を言っているか」からさらに目をそらせる口実が追加されていくのだ。


アリシア・ウーレットは『生命倫理学と障害学の対話』
専門性の高みから見下して聞く耳を持とうとしない生命倫理学に対して、
障害当事者や障害者運動が異議申し立てを行う言葉の激しさを
「怒りの話法」と呼んでいる。

私はそれについて同書を訳した際に書いた補論で、
2012年のNY法科大学の終末期医療シンポめぐる論争での
生命倫理学者ポウプとNot Dead Yetのドレイクのやりとりに触れて、
以下のように書いた。

私が特に印象的だったのは、ポウプの「シンポに来るなら翌日の朝食をご馳走するから、スピーカーの発言のどこが間違っていたか聞かせてくれないか」というコメントと、そこに滲む無邪気な傲慢だった。批判者である相手に対して、あくまでも高みからの態度で「聞いてあげる」「認めてあげる」自らの姿勢を顧みることのない生命倫理学と、対等の議論の機会を得られないことに苛立つ障害者アドボケイト――。その苛立ちに炙られたドレイクの言葉は、まさしく「怒りの話法」だった。
(p. 361)


厚生省や審議会の不誠実の繰り返しに対して、ついに
「何人子どもを殺すつもりや」と叫んだ被害者の言葉こそ、
まさに「怒りの話法」だ。

障害者運動の活動家らが
生命倫理学者たちから「あんな礼儀知らずの攻撃的な連中なんか」とバカにされ、
「相手にするのは時間の無駄」と切り捨てられるように、
医療事故や薬害の被害者もまた、主張していることの内容以前に、
追いつめられてとる行動や言葉の激しさだけに目を向けられ、
それにのみ反応されるんじゃないだろうか。

勝村さん夫婦が講演した後で個々のスタッフから話を聞くと、
枚方市民病院のスタッフのほぼ全員が、
病院を訴えている人がいることは知っていても、
それがどういう出来事で、どういう裁判で、
勝村さんたちがどういう人かということは、知らなかった。

何が起こり、何が主張されているかについては知らないまま、
たぶん「病院を訴えている理不尽なモンスターがいる」と
漠然と被害者意識で事態を捉えていたんじゃないだろうか。

そうして「何を言っているか」には全く頓着せず、
「モンクを言っていること」だけを見、言葉の激しさだけを聞いて
「理不尽なモンスター」と指差される理不尽が
被害者をまた「怒りの話法」へと追い詰めていく。

たぶん、あらゆる差別の根っこに、
これと同じ循環がぐるぐると回っているのだと思う。

ウーレットは、障害者運動の活動家の「怒りの話法」について、
以下のように書いている。

障害者運動に染み込んでいる懐疑主義と恐怖の根は深く、がっしりと大地に根づいている。長年にわたって孤立感と疎外感を味わいながら生きてきた障害学者や障害者運動の活動家たちは、その声を聞いてもらうためには大声で叫んでこざるを得なかったのだし、そういうときでさえ彼らが受けるのはけっして歓迎ではなかったのだ
(p. 75 ゴチックは spitzibara)


それに対して、ウーレットは、生命倫理学に対して、
障害者の「怒りの話法」の裏にある訴えを聞き、そこから学べと説く。

彼女自身が、検察官として、生命倫理学者として、
彼らの痛烈な批判を浴び、「怒りの話法」にさらされてなお、
彼らが「何を言っているか」に耳を傾け、「対話」を繰り返し、
理解しようと真摯な努力を続け、この本を書いた。

その姿勢こそが、医療事故の問題においては、
勝村さんがこの本で書いている「事故から学ぶ」ということ、
「事故を起こした病院が、被害者の声を直接聞く」ということだ。

勝村さん夫婦は、枚方市民病院に対して、
星子さんの命日の頃に事故防止をテーマにした研修会を開くことを約束させ、
最終的には、その研修会のシンポで勝村さん夫婦が話をした。

それまでにも様々な紆余曲折があるのだけれど、
同病院の労組は別途、勝村さん夫婦の話を聞く場を設けた。

私も『海のいる風景』で書いた16年も前のバトルで、
「この保護者が言っていることは単なる文句ではなく本質的な問題だ」
と捉えたリハセンター上層部の判断で、職員研修の講師に招かれた。

「何を言ってもらっても、一切かまわない」ということだった。
あの時のリハセンターは、この上なく賢明な対応をしたのだと思う。

けれど、どこの病院、どこの施設にせよ、
そんな賢明な判断ができる体制を維持することは至難のわざだ。

そこに社会の構造的な問題が修正されずに残っている以上、
本質的に同じ問題が、いつでもどこでも繰り返され続けるのだと思う。

だからこそ、声は
上げられる人、上げないでいられない人が、
それぞれに可能な場所と可能な形で、上げ続けるしかない。

だからこそ、私はこの本をどうしても読みたかった。

強い者の不誠実に何度も踏みつけにされ、
はらわたが煮えくり返って、ちぎれるほどの痛切な思いをし、
どんなに必死の声を振り絞っても、その届かなさに歯ぎしりをしながら、
それでも粘り強く、闘いに挑み続けてきた人たちのことを知りたかった。

そういう人たちには到底及ばないけど、
私も拙いなりに自分がいる場所で自分にできる形で声をあげ続けることを
諦めないために。


最後に、枚方市民病院が開いたシンポで
講師の森功医師が語った言葉と、勝村さんが語った言葉を
それぞれ一つずつメモっておきたい。

森功医師の発言

 特に、すべての原点は情報公開、それから、公開する情報を十二分に説明して納得していただくという努力をですね、われわれの方からしなければならない。それが、「医療という行為の目的のために、投薬やメスを入れるなどの傷害行為をしても良いと医師免許で許されておるわれわれの、どうしてもやらなきゃいけない責任であり、義務でもあるはずです。医師の裁量権というのは、医師会がおっしゃるような、「自分たちがやりたいことをするからそれに任せて、一切批判はするな」というようなことではないのです。
(p.283)


勝村さんの発言

 もし、ぼくたちの事故直後に「これがカルテと看護記録です。こういう結果になってしまい、原因を分析した。陣痛促進剤は本当に怖い薬だ、と厚生省にも報告をした。謝罪をしたい。そして病院としては今後こうやっていきたい」と言われれば、ぼくたちは裁判なんてできません。求めるものが何もないからです。

 ぼくたちは「裁判で事実を明らかにしてほしい」ということと、事実を認めてもらうことによって、「こういうことを繰り返さないように」ということがようやく言える。それをしたかったのです。直後にそれらがなされていれば、ぼくたちは何もする必要はなかったのです。
(p.287)