「ナースの昔語り」シリーズ 6: けんちゃんの冒険

ずううっと昔のあるお休みの日、
忘れ物をとりに息子さんをつれて療育園に行った看護師のMさんは、
師長さんから詰め所に呼ばれました。

けんちゃんが、その数十分前に亡くなっていたのです。

奥さんに電話をして息子さんを迎えに来てもらい、
Mさんは療育園に残りました。

Mさんは、この日のことを
けんちゃんから「仕事せーや」と呼ばれたのかも、と言います。

その「仕事」とは、
大学病院に剖検にいくために、Yナースと2人で、
けんちゃんの身体をきれいにして着替えさせることでした。


Y 「せっかくのお出かけが、大学病院へ剖検にいくことだなんて……」
M 「え、冒険ですか? 外はだいぶ冷えてきましたよねぇ」

(私も『海のいる風景』に書いているのですが、こういう時、
大きなショックを受けている人は、なぜか不謹慎なほどに笑ったり、
やたらと冗談を飛ばしたり、することがある。なんででしょうね、あれは)

阿吽の呼吸が成立するような場面としては
たいへん、ふさわしくないのですが、

(YさんとMさんというのが、また、お2人を知っている人なら分かるのですが、
いかにも「阿吽の呼吸」で会話できる、なんとも「絶妙」のコンビなのです)

けんちゃんの手箱から一番かっこつけたような服を出して、ピシッと着せて、
手袋をして帽子をかぶせて、いちばん厚手の上着も着せて。

「これでいいかな」と更衣が済んだところで、
Dr.「なんて格好をさせてるんだね。剖検に行くんだよ」

YとMの2人「だから先生。冒険でしょ」

答えたところで2人のナースはしぶしぶ、すみやかに、よりていねいに、
けんちゃんにパジャマを着せるのでした。

最後に続けて2回の更衣をする。
何かに対してのちっぽけな抵抗心のようなものがあったのは確かですが、

2回目の更衣の時に、温かかったけんちゃんの背中まで冷たくなっていたことは、
自分の手でそれを感じて、受け入れるしかなかった記憶があります。


これもまた、
いつか我が子を置いて先に逝くかもしれない親にとって、
「水晶玉」のようにも感じられるお話――。