第58回日本小児神経学会のシンポで発言させていただきました

6月4日、第58回日本小児神経学会
シンポ9「重症心身障害児(者)と小児神経科 ― 10年後を見据えての視点」
発言させていただきました。

座長は、
びわこ学園医療福祉センター草津の口分田政夫先生と、
茨城県立医療大学の岩崎信明先生。

私の前に登壇されたシンポジストは、

1) 重度障害児の未来のために
~日本小児連絡協議会重症心身障害児(者)・在宅医療委員会での取り組み~
松葉佐正(熊本大学医学部附属病院)先生

2)重症心身障害児(者)の在宅医療を担う医療人材の養成と地域支援ネットワーク構築
鳥取大学の取り組み ‒
前垣義弘(鳥取大学医学部脳神経小児科)先生

3)小児期から成人期,生涯での医療支援を誰がどのように担うのか
三浦清邦(豊田市こども発達センター小児神経科)先生

4)児童福祉法と障害者総合支援法における重症心身障害児者支援
大西延英(厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部障害福祉課障害児・発達障害者支援室)先生


私は最後の登壇で、抄録に登録したタイトルは
「親が夢見る10年後の重症心身障害児者医療」でした。

準備段階で「重症心身障害児者ケア」と訂正しようかと迷ったのですが、
医師の集まりなので「医療のままでいいかも」と考えて、そこは訂正せず、
その代わりに「~医療と生活の出会いを求めて~」と副題を赤字で追加し、
冒頭でそのことに触れて強調することにしました。

むしろ副題の方が、私が伝えたいメッセージだな、と思ったからです。

限られた時間に言いたいことを盛り込むために
「スライドで読んでもらう箇所を作り、しゃべる時間を節約する」という工夫をしたので、
しゃべった内容だけでは分かり難い箇所は適宜補いつつ、以下に――。

親が夢見る10年後の重症心身障害児者医療 ~医療と生活の出会いを求めて~


よろしくお願いします。ちょっと副題を追加して、「医療と生活の出会いを求めて」としてみました。

ウチの娘は海と言います。もうすぐ29歳です。親はともに還暦ですから、10年後を見据えると、やっぱり不安があります。

大きく言って、2つの不安です。一つは、世界で起こっていること、世の中の動き、いわば「大きな絵」に対する不安。もう一つは、その中で、これから高齢カ重度化していく我が子を含め、重症児者はどうなっていくのか。そういう脚元での不安です。

私が「大きな絵」に目を向けたキッカケは、アシュリー事件でした。QOL維持向上と在宅介護のために、6歳の重症児から健康な子宮と乳房を取って、身長を止めたという事例です。世界中に広げようと、父親が提唱したことから、論争になりました。

同じ親として気持ちは痛いほど分かるんですけど、親だって病んだり老いるわけで、この論理は最終的には抱え込みになるんじゃないか、社会で支えるという視点が欠けているんじゃないか、など疑問もありました。また、知的能力で人をパーソンとノンパーソンに序列化するパーソン論について、この論争で初めて知って衝撃を受けました。

だんだんとそこから興味関心が広がって、ここ10年ほど、「“科学とテクノで簡単解決”バンザイ」文化とか「コントロール“幻想”」とグローバル市場経済とか、「死の自己決定権(死ぬ権利)」議論や「無益な治療」論について考えてきました。最近特に気になっているのが「死ぬ権利」と「無益な治療」です。

この2つは、決定権をそれぞれ患者サイドと医療サイドに認める、本来は対極的な議論ですが、実際にはコインの表裏のように相互作用しています。そして、それによって加速してきている現象として、対象者の拡大、スタンダードの変質、QOLの低い人を生きるに値しないとする価値観や、医療資源にも値しないとする主張などがあるように思います。

同じことは、日本でも起こっているんでは……と懸念していたところ、去年の4月にこんな文書(日本病院会「『尊厳死』-人のやすらかな自然の死についての考察」(2015年4月24日)が出ております。

その一節がこれです。


「延命について以下の例のような場合、現在の医療では根治できないと医療チームが判断したときは、患者に苦痛を与えない最善の選択を家族あるいは関係者に説明し、提案する」


簡単に言えば、一定の状態の人には医療サイドから尊厳死を提案しましょう、ということと思います。赤にしてみたところ、スタンダードは「根治できない」となっております。すなわち、いわゆる「尊厳死法案」から対象はぐんと広がっている。

で、そこに挙げられている事例はこちらです。


ア)高齢で寝たきりで認知症が進み、周囲と意志の疎通がとれないとき
イ)高齢で自力で経口摂取が不能になったとき
ウ)胃瘻造設されたが経口摂取への回復もなく意思の疎通がとれないとき
エ)高齢で誤飲に伴う肺炎で意識もなく回復が難しいとき
オ)癌末期で生命延長を望める有効な治療法がないと判断されるとき
カ)脳血管障害で意識の回復が望めないとき


日本でもスタンダードは「終末期」からQOLにシフトしてきているのではないでしょうか。そして、ここには、さらに追記があります。これです。


下記の事例はさらに難しい問題で、今回は議論されなかった。
     ア)神経難病
     イ)重症心身障害者


今回は議論されなかった……、ということは、今後の10年間には俎上に上がってくるんだろうな、と。

こういうのを見ると、親としては、もう我が子を抱いて崖っぷちに追い詰められていくような気分で、この先ちゃんと十分なケアを受けられるのか、不安なのですが、先ほどからの先生方のお話は、まさにその問題でもあって、ご尽力が本当にありがたく、希望を見せてもらう思いです。

それを勇気にいただいて、私も親としての率直な思いを語らせてもらおうと思います。

まず、アシュリー事件からずっと感じている違和感の一つがこの「QOL」なんですけど、「重症児を肉体改造してQOLを維持向上」とか、「QOLが低ければ生きるに値しない」とか、「QOLが低すぎて治療に値しない」とか「知的能力が低いから尊厳に値しない」とか……。

どこか人が「機能の総和としての個体」としてのみ捉えられているような。でも人はもっと「関係的な存在」ではないのか。「個体としてどういう状態にあるか」ということが本当にその人のQOLを決定付けてしまうんだろうか、という疑問です。

これはカナダの小児科医、アニー・ジャンヴィエらの“The Experience of Families With Children With Trisomy13 and 18 in Social Networks”という論文(Pediatrics, 2012)なんですけど、トリソミーの子の親に調査をしたところ、

87%の親では「その子は生活が成り立たない」、50%の親では「その子は『植物』になる」、57%の親では「その子は生きている間ずっと苦しむ」、23%の親では「夫婦や家族の生活が滅茶苦茶になる」など、病名告知の際に医療職から相当に悲惨なQOLを描かれているんですね。

ところが、実際に子どもと暮らしている親の実感としては、97%が(生きた期間の長さに関わらず)我が子はハッピーベイビーだ(だった)、家族の生活を豊かにしてくれる(してくれた)と回答している。

「医師と親とではQOLの捉え方そのものが違うのではないか」と、著者は書いています。

そして、この指摘は、私にもとても腑に落ちるところがあります。

というのは、日ごろ感じているギャップの一つに「生活」と「医療」の関係性というのがあるんですね。

ここで「生活」というのは、英語のLIFEのように、人生、生きるということまで含めた広いイメージなんですけど、ここではとりあえず「生活」という言葉で代表させてみている、というものです。

本人と家族にとっては「生活の中にあくまでもその一部として医療がある」という感覚なんですけど、医療職の方と話していると、どうも「医療の中に生活がある」、「医療のほうが生活よりも大きい、優先」という感じがします。

施設も、親としては、まず生活の場であってほしい。でも、その親の願いは、往々にして病院の文化や価値観との間で、せめぎ合います。これは、在宅のご家族も、さまざまな形で感じておられるギャップではないかと思います。

実は去年、びわこ学園にお邪魔したんですけど、呼吸器をつけた人たちの外出に積極的に取り組んでおられました。こういう問題について、私たち親はよく「重度化したんだから仕方がないんだ」と言われてしまうんですけど、そこで口分田先生がおっしゃったのが、「できない理由を探すのではなくて、どうすればできるかを考えるために我々専門職がいる」と。

それから、「医療を受けるために生きている人など、いないんだからね」、ともおっしゃって、私はこれはすごい名言だと思うんですけど、あぁ、こんなふうに生活視点のQOLも大切にしてくださっているんだなぁ、と感激しました。

もう一つ、びわこ学園で唸ったのは、親が老いて施設に入ったというケースで、子のほうが定期的に親の面会に行く支援をしておられるんですね。

自分が老いた時に子どもと一緒にケアしてもらえないだろうか、というのは親の夢の一つです。

そうなったら、そりゃ親は残存能力の限りを尽くしてがんばりますが、もし何もできなくなっても、声をかけてやることができます。そばにいてやることができます。それだけでも、互いのウェルビーイングは上がります。

絶対にコスト削減につながりますので、厚労省の大西先生には、今後ぜひともご検討いただければと思うんですが、それが無理だとしても、年に1度でもあいまみえることができるなら、互いに次の1年を生きていく「よすが」とすることができます。

そういうふうに、親子の人生の時間と関係性へと視点を拡げた時に、そこで初めて見えてくるQOLというものもある、と思うんですね。

先ほどの副題の「医療と生活の出会い」という表現で言いたかったのが、こういう視点のことなんですけど、それは、言ってみれば「LIFEを他職種と共に支える医療」。主役である本人と家族を含めたチームみんなで共に悩み、考え、決める……。

「地域包括支援」が、これまで通りの「医療視点のQOL」や「病院視点のQOL」を地域にそのまま広げていくための制度整備になったのでは、結局のところ、アシュリー療法の論理と同じく、医療ごと親に抱え込ませることになるんじゃないかと危惧します。

でも、親も生身なので、病みます。誰もが必ず老います。

先ほどのお話にも出てきましたが、「生活を支える」というところでお願いしたいのが、この「介護者支援」という視点です。日本でも少しずつ言われるようになってはいますが、やはりまだ「介護者として機能させるための支援」に留まっているように思います。例えば、「つぶれたら介護できなくなるから、その前にレスパイト」というふうに。

詳細はケアラー連盟のサイトを見ていただきたいのですが、本来の介護者支援の理念とは、介護者の権利擁護です。「介護者その人が自分自身の生活や人生を、継続性を失わずに生きられるための支援」です。例えば英国では、要介護者とは別途、介護者自身のニーズをアセスメントし、仕事や学業を継続できるよう支援する、ということが行われています。

地域包括支援整備の中に、ぜひ、そうした視点を加えていただくよう、お願いいたします。

医療と生活のギャップは、意思決定の場面にもあります。先生方にとっては、この人の医療をどうするか、というのは、今という「時点」の問題であり「医療」の問題なんだと思うんですけど、親にとっては、それは親子の人生という時間と関係性という「線」の問題であり、人生の決断の問題になります。

たとえば、「口から食べるのを諦める」という選択肢も、親にとっては、我が子がこれまで奪われてきた「あれ」や「これ」の先にさらに追加される喪失。この上まだ奪われていくのか……と、大きく深い嘆きになります。でも一方では、諦めなければ我が子が苦しみ続けるのだとしたら、それもまた親には、何より耐えがたいことです。

結局、親にとっては、どちらも選べない「インポシブルな選択肢」なんですね。だから、引き裂かれて、立ちすくんでしまう。

そうして立ちすくむ親の姿は、先生方の目には「医学的な正解を提案してやっているのに、理不尽な抵抗をする」と映っているのかもしれません。

そこにある「どっちの判断が正しいか」という「判定」の眼差しを、いったん「なぜ?」へと転じてもらうことはできないでしょうか。

なぜ、この親はこんなことをいうのか? 

これまでの傷つきや思いを語る親の声に、まずは否定も批判もせずに耳を傾けてもらうことはできないでしょうか。親が立ちすくみを乗り越えるために助けとなるものがあるとすれば、それは「判定」ではなく「共感」の眼差しです。

もう一つ、ここにある溝を越えるためにお願いしたいこととして、日ごろから親を「無知な素人」と見なすのではなく、「その人の専門家」として尊重していただけないか、ということです。

親には、子どもをケアしてきた年月の中で、医療を含めたケア全般について、体験知(expertise)が蓄積されています。

例えば、私は先生方のように脳波を「読む」ことはできませんが、我が子の脳波の変遷は、脳波の「表情」として記憶されています。また、新任の先生が来られた時に、もともと標準からはズレたところにある「我が子の正常値」が「ここからここまでで推移してきました」とお伝えすることができます。ERに運び込んだら「お母さんは外に出て!」と命じられたけど、あの時に言われたとおりに外に出たら、我が子の命に関わっていた……ということもあります。

そうした「体験知」をリスペクトしていただき、親を「その人に関する専門家」として尊重する文化を、日ごろから医療現場や施設に育んでいただけないでしょうか。

終末期の意思決定をめぐってガイドラインがいろいろできていますが、そういう時にだけ患者の意思を尊重しなさいよ、チームで判断しなさいよ、というのもおかしな話だと思うんですね。

大きな意思決定がいざ必要になった「時点」でそれができるためには、その手前の日常的なケアのところで、小さな意思決定をめぐって、ともに悩み、ともに決める体験が、関係者みんなの中に「線」として積み重ねられていることが必要だと思います。また日ごろから都度都度に丁寧なインフォームドコンセントを重ねてもらえることが、やがて来る「点」に向けて、親に必要な知識と覚悟を準備してくれます。

そうした「親の覚悟」と、先ほど先生方のお話にのあった「医療の連携」とが重なり合う辺りで、最後に2点、お願いがあります。

まず、お願いしたいのは「重症児者に特化した、疾患ごとの検査と治療の標準化」

今後、我が子がたとえば、癌になった時が気がかりです。もちろん、癌に限らず、病気により症状によって単純ではないとは思うのですが、「重症児者ではこういう選択肢があるよ」ということが蓄積され、共有されていくなら、親としても不安が軽減されます。また心の準備もできるように思います。

また、治療以前に「こういう人だから検査は無理だよね」と言われて終わってしまう、という話も聞きます。

様々な病気ごとに、どうすれば検査が可能になるか、治療にどういう選択肢があるか、先ほどのお話にあった多様な領域の先生方のご連携、ご尽力をいただいて、ある程度の標準化をしていただきますよう、お願いいたします。

2つめとしてお願いしたいのは、「重症児者に特化した緩和ケア」の確立です。

医療現場によっては、重症児者は痛みに鈍いという偏見が根強くあります。ずっと前に娘が総合病院で腸ねん転の手術を受けた際、痛みのケアをしていただけなかったことが、私にはトラウマになっています。また、海外の事例ですが、骨折の痛みをケアしてもらえず、食事がとれなくなって感染症で亡くなったという報告もあります。

どうぞ、自分で痛み苦しみを訴えることのできない重症児者のための、特別に慎重で丁寧な緩和ケアの理念と、具体的な技法を確立していただき、どこでもそういうケアを受けられるようにしてやっていただけないでしょうか。

それらがまだ十分に標準化され周知されてないのに、もし万が一にも、先の文書にあったように重症児者が「尊厳死」の対象に含められていくとしたら、それは話の順序というものが逆ではないかと思います。

一昨年、重心学会のシンポにお招きいただいて、私はそこで初めて「お医者さんからは意思決定の問題はどう見えているか」を知りました。もちろん、知ったからと言って「お医者さんの立場がたちどころに理解できた」ということでも「それまでの考えがコロッと変わった」ということでもありません。

でも人は、いったん出会ってしまったら、もう2度と出会わなかったことにはできない。だからやっぱり「出会い」は「始まり」であり、「希望」なんだろうと思うんですね。

重い障害のある人たちへの支援が、本当の意味で統合された「包括支援」として実現するためには、専門職と親も、医療職と支援職も、もっともっと互いに対して自分を開いて「出会う」ということを重ねる必要があるんじゃないでしょうか。

今日も、こんな完全アウェイの場でこんな生意気なことを申し上げるのは、私には肝っ玉が縮み上がるほど、とてもとても恐ろしいことでした。でも、これまでにいただいた多くの先生方との出会いに励まされて、なけなしの勇気をかき集めて出てまいりました。

こうして新たな出会いをいただいたことに、心から感謝申し上げます。

ありがとうございました。