スイスで医師幇助自殺遂げた夫に、妻の慙愧(英)

科学とテクノロジーの進歩と相まって広がっていくパーソン論的な思考や優生思想、
安楽死や自殺幇助、無益な治療論の議論を追いかけてくる中で、
最も気になっていたことの一つが、
人が「能力の総和」であるバラバラの個体と捉えられていくこと。

人はもっと関係的な存在なのではないか、ということ。

そういうことを考えさせられる家族の声が、英国から出てきた。



2016年にBBCのクルーを連れてスイスにわたり、医師幇助自殺を遂げた
Simon Binner氏の妻のDeborahさん(夫婦はともにジャーナリスト)が手記を出版。


デボラさんには、夫の死の3年前に、
18歳の娘をがんで亡くした経験がある。

その娘の死と夫の死とは歴然と異なっている、と彼女は書く。

懸命に病気と闘い、あらゆる努力を尽くして、
自宅で亡くなる時には腕に抱き、穏やかな死だった。
娘も自分も、それは幸福な瞬間でもあった。
最も深いところの愛に触れた。

それに対して、夫の死は unresolved(決着がついていない?)と感じられる。
怒りを含み、拒絶的で唐突な死、自殺のようだったと感じられる。

I know that his intentions were entirely pure. But surely it is equally brave to live with an illness, a disability, to embrace vulnerability and to accept that none of us really has that much control.


‘’While Simon’s turmoil had ended, in some ways mine was just beginning. I didn’t want Simon to suffer, but I didn’t want him to die, either. Watching him plan his own death, while I still wanted more time, was overwhelmingly traumatic.’’

“My head understands the intellectual arguments and I find it hard to disagree with them. But my heart still says no. Should we not be kinder, more patient, more respectful of human life?

“Isn’t how we support the dying so central to who we are as human beings? And there’s a part of me that believes it’s better, if a person has the best possible care, to let nature take its course. Personally, I am absolutely fuming that my husband left me to fend in this world alone. That was not the deal.”


夫の動機の純粋を疑うわけではない。
頭では議論として理解はできる。反論も難しい。
でも心はなおもNOと言う、と。

ものすごく分かる。

それは、関係性の中でかけがえのなさを生きることにつきまとう、
割り切れなさなのだと思う。

そこを無理やりに論理の力で割り切れることが、強く勇気あることなのだろうか。

苦しんでほしくはなかった。でも同時に死んでほしくなかった、とも。

それも、ものすごく分かる。
この家族の思いは、本人の「自己決定」の前には何の意味もないんだろうか。

3年後の見直しで子どもにも対象が拡大されると予想されているカナダで、
トロント子ども病院が子どもの安楽死プロトコルと用意している。
「本人の意思」だから死後まで親にすら安楽死希望を伏せておくこともあるという。

家族は、バラバラの個の単なる共同生活でしかないんだろうか。

本人か家族か、という二者択一で人権問題として問われれば、
それは「本人の自己決定の尊重」ということになるけれど、
それもデボラさんの言う「頭の中で議論としては理解できる」ということでしかないような気がする。

子どもの意思を知らされることなく、安楽死の後になって初めて知らされる親が
どれだけ深い傷を心に負ったまま生き続けるかを考えると、

裁判所の命令により、目の前で我が子から呼吸器が取り外された体験を抱えて生きていく
英国の「無益な治療」訴訟で敗れた親たちのことが、そこに重なって思われる。

デボラさんは、こういう形で自殺できる道があることによって
家族のお荷物にならないために死のうと考える人が出てくることを案じている。



死を挟んで親密な者同士が向かい合う日々の満ち足りた静謐さと、その時空間の独特の質量感、
「最も深いレベルの愛に触れた」という実感は、私にも経験がある。


兄との間で、
新幹線(2014/9/19)
悪魔(2015/5/17)


【11月22日追記】
続報
https://www.bbc.com/news/uk-46281929


【2019年3月29日】
デボラさんの手記を読んだので、以下にメモのみ ↓