A・オーウェン『生存する意識 植物状態の患者と対話する』

10月14日のエントリーで紹介した
A・Owenの訳書『生存する意識 植物状態の患者と対話する』を図書館で借りて読んだ。

Owenについては、10年前に興味を引かれて以来
ずっと目についた記事を拾い読みしてきたのだけれど、
その仕事の大筋については正しく追えていたなと安堵。

ただ、その背景に
彼自身の少年期のホジキン病との闘病体験や、
植物状態に陥ったかつての恋人モーリーン(神経心理学者)の存在があったことは
初めて知って興味深かった。

また二人が別れてしまう原因の一つとなった口論の種が
医療的ケアによって個別の患者を救うか、純粋科学研究による根本の問題解決か、という
論争だったことも、とても興味深かった。

テリ・シャイボ、トニー・ブランド、カレン・クインラン、ハッサン・ラスーリ事件への言及もあり、
これら「死ぬ権利」をめぐる論争と並行して著者の研究が進められていったプロセスも興味深い。

1997年に初めて友人や家族の写真を(同時に焦点の合わない写真も)見せ、
外見的には何の反応もなく植物状態と診断されたケイトに
身近な人の顔が認識できることを発見した。

そうして植物状態の人に語り掛けて手ごたえを得ることが
「ファースト・コンタクト」と称される。

ケイトはその後、身体障害は重いままだが話ができるところまで回復。
植物状態と診断されていた間のことをOwenに話した。

「どうしても覚えておいてほしいことがあります。それは、私が先生と全く同じ人間で、一人の人間であること。そして、先生と同じで感情を持っているということです」

……グレイ・ゾーンは暗い場所だが、そこから戻ってくるのが可能であることを彼女は示してくれた。人間の脳は、自らを癒す驚異的な力を持っている。一人の人間の本質、私の中の「私」が最悪の時期さえも乗り切る可能性があることも、ケイトは教えてくれた。
(p.47)


fMRIスキャナーで植物状態の患者と対話する方法の基本は、
テニスをしているところを思い浮かべてもらうと運動前野の活動が活発になり、
自宅で部屋から部屋へと歩いているところを想像してもらうと海馬傍回が活性化する、
というもの。それにより前者だとYES、後者だとNO、などのやりとりが成立する。

その後、Owenらはこうした意識的な「報告」ができない患者のために、
自動的に意識を検知できる方法としてヒッチコックの映画を見てもらう方法を考え出す ↓
16年間「植物状態」とされた男性がヒッチコック映画に反応:オウェン教授チームの新論文(2014/9/23)

また、わざわざスキャンのあるところまでやってくることができない患者のために
ベッドサイドでの簡易な方法も模索している ↓
Owen教授らの植物状態患者の意識検知に、ベッドサイド簡易法も(2013/3/29)


この本の中で最も面白い箇所の一つが、
5年間植物状態とされてきたベルギーのジョンとのコミュニケーションが成立した場面。
兄弟がいるかなど用意の質問をした後で、チームが聞いたのは「死にたいか」だった。
その結果は「決定的ではなかった」。

これに対する著者の考察。

……それまでの5つの質問には明確かつ正確に答えたにもかかわらず、死にたいと思うかと訊かれたときには読解不能だった。応答がなかったわけではないが、テニスをしているところを想像しているのか、それとも自宅で部屋から部屋へと歩きまわっているところを想像しているのか、判断がつかなかったのだ。そのどちらもしていないようだった。……どうしてこうなったのかはわからないが、ほとんどの人にとって、「あなたは死にたいですか」という質問は、「ピザは好きですか?」という質問と同じで、イエスかノーかという明確な答えがないのではないかと思う。ジョンの反応は、「いや、それは死なないとどうなるかしだいです!」だったのかもしれない。あるいは、「このあとさらに5年たつうちに、私をこの状況から救い出してくれる方法が見つかる可能性はどのくらいありますか?」や、「少し考える時間をくれますか?」だったのかもしれない。
(p. 154)


著者も科学者らしく、これらの患者の家族が「この人は分かっている」と繰り返すことを
「確証バイアス」と捉えている。要するに、家族は自分が見たいものを見ている、と。


スコットとのファーストコンタクトをはじめ、
多くの植物状態の人とのコミュニケーションの試みを映像に収めたBBCの番組がこちら。
ぜひ、一人でも多くの人に見てほしい番組。
 ↓
http://intothegrayzone.com/mindreader/
(コミュニケーションであって読心ではないのに「マインドリーダー」はどうかと思うけど。)

この番組は今回初めて見た。
見ごたえがあって、あっという間の1時間だった。

番組の中で心を打たれたのは、
スコットの反応が確認された後、
彼に「死にたいか」と質問したいかとジャーナリストに問われた両親が
事故前にあんなに活動的だった彼に今の生はあまりに苦しいのではと惑い、
本人が決めるのであればどちらであれ受け入れたいとの思いを語りつつも、しかし、
それが真に本人の決定であるためには自分たちの側からその問題を持ち出すことはできない、
自分たちはいずれにしても本人のためにここに居続けるのだから、と
その質問をしないことを選択する場面。

そして彼に質問されたのは「痛みはありますか」。

本書でも「そのときのことを考えると、今でも身震いする」(p.176)と書かれ、
緊迫した部屋の状態、画像の変化が詳細に描写されていく。

彼がNOと答えた時のOwenは映像でも涙ぐんでいるように見える。
本書でも「涙がこぼれそうだった」と書かれている。
「That’s a relief ほっとした」という彼の表情に、胸が熱くなった。

そして、その結果を伝えられた母親は「痛みがないことは分かっていました。
もし痛みがあったら、言ってくれてたでしょうから!」と答えた(p.177)

 スキャナーの中でのスコットの応答は、アンがすでに知っていたことを裏付けたにすぎなかった。彼女は、スコットには認識能力があることを知っていた。どうして知っていたのか、私にはけっしてわからないだろう。だが、彼女は知っていた。
(p.178)


これらの研究を重ねたOwenは、本書の後半「生命維持装置をめぐる煩悶」の章で
以下のように書く。

 生命を絶つ気持になれるかどうかは、生命とは何を意味し、深刻な脳損傷のあとに容体が落ち着いた時点でどれだけその人らしさが残っていると想定しているかと、分かちがたく結びついている。だが、今やわかっているように、そのように考えるのは愚かしい。人格を持った人間がどれだけ残っているかは、目の前に横たわっている姿から私たちが見て取るものとはほとんど無関係なことが多いからだ。
(p.193)


また、スティーヴン・ローリーズらの以下の研究にも言及 ↓


 この研究は、深刻な脳損傷を負ったあとに自分がどうなりたいかを判断できる立場にいる人など、はたしているのか、という疑問を突きつけてくる。だとすれば、事前指示書を用意するのは危険なのか? 「蘇生措置拒否」指示を残したために、意識ある状態でそれが「現時点での」自分の意志に反して実行されるという悪夢の筋書きを想像してほしい。
(p.205)


グレイ・ゾーンは私たちに、意識はあるかないかのどちらという問題ではないことを教えてくれる。オンかオフか、黒か白かで決着をつけるような問題ではない。グレイにはさまざまな色合いがある。
(p.258)


……グレイ・ゾーンの科学とは、あらゆる人生の価値を肯定することだ。……意識の普遍的本質を明らかにしようとして探求していくと、誰もが唯一無二の存在であり、しかも一人ひとり違ったかたちでそうなのだという事実に必然的に戻りつくことになる。
(p.262)



もう一つ、興味深い内容として、
以下のエントリーで拾って拙著『死の自己決定権のゆくえ』でも書いている
ゾルピデムによる回復事例の報告について、再現性はなかったと指摘されている。



ハッサン・ラスーリも12年のエントリーで拾った通り、
Owenはスキャンしており、最小意識状態が確認されたことを簡単に報告している(p.198)
そこで医療制度への「大きな金銭的負担」に触れられていること、
「あまりに新しい分野なので、世界のさまざまな場所で逐次的に法律が作られている」(p.198)
との言及が印象深い。


それにしても、BBCの番組を見て一番痛切に感じたのは、
多くの患者の目と顔の表情や動きには、明らかに「反応」が見えるのに、
どうしてこれが「反応がない」ことになってしまうのだろう、という科学の不思議だった。

ある医師は、手指の固まった患者に問いかけた後で、顔も手も見ず
固まった手だけを見ながら「分かったら指を動かして」と指示していた。んな、アホな……。