小松茂美編著『後白河法皇日録』

米子での某飲み会の席で話に出た本。

古筆学の大家、小松茂美氏の遺作。
平安貴族の数十の日記から抜き出した記述を並べて、
日ごとに後白河法皇の動静を明らかにしたもの、という。

この時代を描いた小説は血沸き肉踊って大好きなのと、
(その割に読んでも読んでも、詳細は頭に残らないんだけど)
中でも得体の知れない妖怪みたいな後白河法皇には興味が尽きないのと、

それから
資料を当たって情報の断片から現実を手繰り寄せるというのは
規模は違うとはいえ、アシュリー事件で我知らず馴染んだ手法のようでもあって、

果たして自分に読めるものかどうかもわからないまま、
とにかく、やたらと読んでみたくなり、

帰ってからインターネットで調べてみたら、なんと2万8350円。
シロートが個人で買えるような本じゃない。

ふむ。ならば図書館へ。

カウンターにいた旧知の司書さんは「購入希望ね。はいはい」と気軽にPCに向かい、
軽やかにキーボードを叩いてから、絶句した。

「これはいくら何でも高すぎて買えません」。

「えー。なにがなんでも読みたいんじゃが~」
行きがかり上、ついオバサンちっくに騒いでみた。

そしたら数日後に電話がかかってきて、
なんでも中央図書館の副館長さんが奮闘してくださって、
隣県の県立図書館から相互貸借で借りてくださったそうな。

図書館というのはなんとありがたいところなんじゃろーか。

大いに感激しつつ、受け取りに馳せ参じると、

ぷちぷちで大切に包まれて、
分厚く、赤地に金文字の『後白河法皇日録』が
白手袋でもして両手で捧げ持たねばいかんのではないか、という
やんごとない風情で出てきた。

以来、夜な夜な、
机の上に慎重に開き、襟をただし姿勢をただして
汚さぬよう傷つけぬよう、細心の注意を払いつつ、少しずつ読んでいる。

もぉぉぉぉ、面白~い。

全部が理解できるわけじゃないけど、
やっぱり事実というのは、それが断片であっても、というか
断片であるからこそ、それだけ面白いのかもしれない。

例えば、8歳の時。

元服?セレモニーの後で)今宮雅仁親王便意を催す。太皇太后宮権大夫源師時(58)、殿上の篝火を取り誘導、壺中に用便を果たす。爾今、大壺の用意必要あるか、と。
長秋記
(p.14-15)


それから昨日読んだところでは、52歳のクリスマスの日に
強盗を4人御所に召し出して、盗みの秘術をインタビュー。

……件の犯人四人を車に乗せ、御所の廓に引き据え、法皇出御ありて御前に召し据えらる。法皇、彼らに盗犯の秘術等を尋問。…(中略)…各四人の陳状、はなはだ神妙にして、法皇すこぶる興に入らる、と。数刻、強盗四人を引見の後、晩景に及び検非違使が許に返還せしめ給う。盗人を車に乗せるの初例なり。法皇龍顔近くに召寄せ、盗人ら、種々窃盗の秘術を演説すること、まことに奇異というべし。人々、強盗群発の基とならんかと称す。
【顕広王記】
(p.341)



なぜかアマゾンでヒットしないので、朝日の記事を。
奔放な帝王、克明に 小松茂美の遺作『後白河法皇日録』

この記事の一節。

下々を招き入れて博奕(ばくち)に入れあげ(1168・5・11)、捕まった強盗を御所に召して盗みの秘術を聞き出す(1178・12・25)後白河は、摂政の藤原兼実が訪れても「双六(すごろく)に夢中」で待ちぼうけを食わせる(1186・3・28)。兼実は、日記「玉葉」でたびたび後白河を糾弾。「嬰児(えいじ)の如(ごと)き無防備、禽獣(きんじゅう)の如(ごと)き貪慾(どんよく)」と、激越に憤った(1183・8・12)。


どこぞに詣でるのに誰それがついてこなかったとか、
奥さんや自分のおできの治療がうまくいかないとか、
どこぞの僧が思いもよらぬ強訴に及びやがったとか、
ちょっと気に入らないことがあると逆鱗ブイブイ言わして、
重臣でも誰でも解任したり島流しにしたりと、
なんとも理不尽なお振舞。

(まぁ、今の世でも
権力握ったオッサンのお振舞とはそんなもんなのでしょーが)

この日録を読んでいると、
若くて病弱の身で奮闘している常識人、兼実さんのご苦労のほどがしのばれて、
(この人の批判の数々、まっとうで筋が通ってんのよ。時々ちょっと細かいけど)
同情しているうちに、いつのまにやらファンになりそうな……。


これからが手に汗握る後半。

昨日読んだところで、
いよいよ頼朝が挙兵。
そして安徳天皇が即位。

ワクワクです。