リバプール・ケア・パスウェイに関する調査報告書(英) 1

【12月19日追記・訂正】
前のブログからこれまでずっとLCPについては
「終末期ケアのプロトコル」としてきましたが、そこには2つの誤りがあり、

①「終末期」というと通常は余命6ヶ月とされているのですが、
LCPは「余命数日ないし数時間の臨死期」の患者さんを対象とするもの。

②「プロトコル」とすると、すでに確立された手順という感じになりますが、
LCPはホスピスでの臨死期のケアを病院ケアにも平準化する目的で作られたケアパスです。
むしろ、それが一定の手順書プロトコルであるかのように
機械的に運用されていることが英国で問題になっているもの。

以上、訂正してお詫びします。

以下、当初のエントリー内容です。

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英国で臨死期ケアのクリティカル・パスであるリバプール・ケア・パスウェイ(LCP)が
機械的に高齢者に適用されているとの告発が相次ぎ、

保健相が独立の委員会を設置して今年中の報告を目処に調査を依頼した、
というところまでは以下のように情報を拾っており、



この問題については
拙著『死の自己決定権のゆくえ - 尊厳死・「無益な治療」論・臓器移植』においても、
85ページから88ページで問題の概要を取りまとめて紹介していますが、

その委員会の報告書が8月に出ていたので、
エグゼクティブ・サマリー部分(p.6-11)を読んでみました。


報告書フルテキストは以下。

MORE CARE, LESS PATHWAY - A REVIEW OF THE LIVERPOOL CARE PATHWAY
INDEPENDNT REVIEW OF THE LIVERPOOL CARE PATHWAY


委員会は政府からもNHSからも独立して
LCPの適用実態を調査するもの。

専門機関その他組織、一般国民と医療職双方から書面で寄せられたLCP体験、
学術文献、当該の病院不服申し立てのレビューと、
医療専門職への調査が行われた他、

4回に渡って、
一般国民から直接LCP体験を聞く機会が4回設けられた。

結論としては
LCPの適用は多くのケースで不適切であり、
このように包括的なアプローチで臨もうとする姿勢そのものが
患者の個別性に配慮すべき終末期ケアのアプローチとしては間違っていると判断。

(この報告の結果を受け、
英国ではLCPを使わない医療職が増えている、と
無益な治療ブログのサッデウス・ポウプは書いている


以下、概要の項目別にポイントのみを簡単に。

文言
「パスウェイ」という文言には、医療職が広く捉えすぎる、患者や家族は「死への道」と受け止めるなど問題があり、「終末期ケアプラン」に変えるべき。

エビデンス
使われ始めて10年間でLCPのエビデンスがきちんと検証されていない。英国の終末期医療について、死の質とともにアウトカム、患者や家族の経験を重視した、十分な中立のアセスメントが必要。

記録文書
LCPの様式にも不備がある。親族や介護者によれば行われていない観察が記載されているというケースが多数あった。医師や看護師が意図的に偽りの記載をしたエビデンスがある場合は、監督責任者は厳しく対処すべきである。

死期の判断
患者があと何日で死ぬかを正確に予測することは不可能であり、LCP文書もそれを認めている。この曖昧さが医師と看護師から正直に説明されていないと、LCP対応となった患者が数時間や数日で死に至らない場合に家族に大きな心労となる。エビデンスに基づいた予後診断のツールや研修が必要。

ただし適切な患者に適切に用いられた場合には、LCPは患者の穏やかな尊厳ある死に繋がるエビデンスも調査からは見られた。この報告書が終末期ケアの困難点を重視しているからと言って、批判を恐れて、かつてのように死にゆく患者が常に治療可能であるかのように扱うべきではない。

意思決定
委員会は家族や介護者から、患者の元へいってみたら何の説明もなく治療が劇的に変えられて、治療も緩和ケアもなく、患者は不必要にまたは過度に鎮静されていた、という話を繰り返し聴いた。死に瀕していると患者を診断した場合、責任を負う担当医療職が明示されていなければならない。延命治療の引き上げや差し控えは医療チームで日中の勤務時間に行うべき判断。夜や週末や休暇に経験も技能も未熟なスタッフがそうした判断を行うようなことは今後はなくすべきである。(ハイライトはspitzibara)

同意
ここは非常に重要だと思うので、全文を。

One of the central issues causing difficulty in the use of the LCP seems to be misunderstanding and uncertainty over whether deciding to implement the LCP is a treatment decision, requiring the patient’s consent or requiring the decision to be taken in the patient’s best interests if they lack capacity. In some cases, relatives and carers incorrectly consider they are entitled to decide whatever treatment their relatives receive, and in others clinicians fail to seek consent from a patient or consult the relatives and carers in a ‘best interests’ assessment when treatment is being changed.

LCP運用において困難を生じる中心的な問題の一つは、LCP実施の決定について、患者の同意を必要とする、あるいは患者が同意能力を欠いている場合には最善の利益判断を必要とする、治療をめぐる意思決定であるかどうか、という点が誤解されたり曖昧になっていることと思われる。親族や介護者が治療については自分たちが決めることだと誤って思い込んでいるケースもあれば、医療職が治療内容を変更しようとする際に「最善の利益」アセスメントに親族や介護者の同意を取ろうとしないケースもある。

The LCP is not a single, simple medical procedure, and so there is no legal requirement for consent to be sought before it is used. Some aspects of the LCP do not concern treatment, but others, such as medication changes, do. Patients, relatives and carers are always entitled to explanations of how decisions have been made and a chance to understand them, but all too often they have not been afforded that opportunity. The LCP documentation is deficient in making distinct and clear where the need for consent and explanation exist.

LCPは単一の単純な治療ではないので、実施前に同意を求める法的必要はない。LCPの中には治療に関係しない項目もあるが、投薬内容が変るにつれて、治療に関係してくるものもある。患者、親族と介護者には常に意思決定がどのように行われたのかが説明され、それらを理解できる機会が与えられるべきでありながら、あまりに多くの場合にそうした機会が与えられていない。どういう場合に同意と説明の必要があるかを明示していない点でLCP文書には欠陥がある。(ゴチックはspitzibara)


次のエントリーに続きます)