広がる“ゼロ時間契約”労働(英国)

広がる“ゼロ時間契約”労働(英国)

 先日、ある福祉施設の幹部との会話で話が介護職の非正規化に及んだので、「英国で問題になっているらしいのですが、“ゼロ時間契約”という雇用形態をご存知でしたか」と聞いてみた。この夏、英国で“zero-hours contracts”という非正規労働者の雇用形態が大きな問題となったのが頭に引っかかっていたのだ。「聞いたこともない」という返答に概要を説明すると、相手は「ありえないことを聞く」というほどの驚きを見せた。それは私が夏に初めてこの問題を知った際の反応と同じだ。でも、それはもちろん、この雇用形態が日本とまったく無縁であることを意味するわけではないだろう。夏から秋にかけてzero-hours contracts問題を取り上げていたガーディアン紙の報道を改めてたどってみた。

“ゼロ時間契約”とは、就労時間の保証がなく、したがって賃金保証もないまま、その時々に求められた時間だけ働く雇用契約のこと。休日も病欠も認められず、他の仕事に就くには許可を求められることも多いが、待機時間に対して賃金は支払われない。

論争のきっかけは、7月末、チェーン展開のスポーツ用品店が2万3000人の従業員のうち2万人を“ゼロ時間契約”で雇用していると判明したことだった。8月5日には英国人事協会(CIPD)が1000人以上の労働者に行った調査結果を発表し、こうした雇用形態が民間セクターの17%、ボランティア・セクターの34%、公共セクターの24%に広がり、大学を含めた教育機関医療機関、バッキンガム宮殿にまで利用されていることが明らかになった。CIPDはこの結果から、これまでの政府データによる推計よりもはるかに多い百万人以上に及んでいると指摘。さらに英国最大の労働者組合ユナイト(UNITE)は5000人の組合員への調査から、550万人に及んでいる可能性がある、と発表。政府に実態解明と、こうした非人道的な雇用契約の全面禁止を求めた。

産業界は、柔軟な雇用調整に不可欠で、こうした契約なしに長引く不況に生き延びることはできない、また労働者も柔軟な働き方を望んでいると反発。それに対して公共部門の労働組合ユニソン(UNISON)の事務局長は「確かに少数の労働者には柔軟な働き方を可能にするかもしれないが、力のバランスは雇用者側に傾いており、労働者が異を唱えることは難しくなる」。相次ぐ批判にミリバンド財務相が対応策を表明し、今年中を目処に実態解明の調査に乗り出した。

一連の報道には当初、介護業界は登場しなかったが、9月に入ってガーディアンの記者がヘルパーとして働く女性へのインタビュー記事を書いた。女性は18歳から20年間ずっとヘルパーをやってきて、最低賃金よりも5ペンスだけ高い時給は一度も上がったことがなく、労働条件は悪化している。交通費の補償は不十分で、頻繁に職場にかけなければならない電話代も自前。利用者宅への訪問と次の訪問の間の待機時間はカウントされない。それらを換算すると、実質的には最低賃金をはるかに下回る。何時間働けるかは前の週までわからないし、時には利用者の希望する支援内容が変るなどの事情で当日になって時間数が半分に削られることもある。

「すごく気をつけておかないと、何度も仕事を断っていたりマズい相手を怒らせたりすると、週60時間を6時間に減らされたりするんです。自分の責任じゃないことでも、例えば緩和ケア関係の仕事で患者さんが亡くなると、もう仕事がもらえません。それでも会社には仕事を見つけてくれる責任はないですから、自分で気をつけておかないと」。女性は昼間働き、夜は夫がレストランで最低賃金で働く。3人の子どもの子育てを交代するためだ。すれ違い生活に、夫婦それぞれが片親で子育てをする重圧を感じている。

それでも女性は言う。「今の生活から逃げ出したいとは思いません。この仕事が好きなんです」「利用者さんが話をしたがっていたり不安定になっている時に、その人は明日また自分が来るまで誰にも会えないんだと思うと気の毒で、15分で帰るなんてできません」。だから彼女は次の利用者宅へ行くまでの待機時間をそこに留まり、無報酬でケアを続ける。

日本の介護職の間でも、この仕事が好きで続けたいと望みながら生活が成り立たないために離職を選ばざるをえない人たちがいると聞く。心ある人たちの思いが労働者を無残に使い捨てる“ゼロ時間契約”で踏みにじられることがないよう祈りたい。「用語よりも先に実態はとっくに輸入(?)されている」ということなど、どうぞありませんように――。

「世界の介護と医療の情報を読む」第90回
介護保険情報』2013年12月号