ファーロウ事件から松永正訓『運命の子 トリソミー』へ: トリソミー13/18を巡る生命倫理 3

前のエントリーからの続きです)

⑤ ジャンヴィエ論文(2013)

11月のシンポから、この問題がずっと気にかかって、
頭の中でぐるぐると考え続けているうちに、

上記②の論文を書いたアニー・ジャンヴィエがもう一人の学者との共著で
新たに13/18トリソミーの子どもの医療判断を巡って論文を書いていることを知った。

ジャンヴィエの12年の論文に興味を持ってくださっている方にお願いすると、
たちどころに手に入れてくださったので、ソッコーで読むことができた。


ジャンヴィエらがこの論文で主張しているのは、

数々の研究データから、
トリソミー13、トリソミー18(T13 /18)の子どもに
救命措置を行った場合のアウトカムも、その後のQOLも実際には多様であること。

(前述のダニエル君の手術を巡る議論の中で、
「データでこういう子どもが短命と出るのは、そもそも治療しないからだ」という疑問が出て
データを調べてみたら治療すれば延命可能なケースもあると思われた、とのこと)

一律に「致死的な病気」と捉えて命を見限ってしまう医療職の姿勢は
親の視点とは大きく異なっており、そのズレが不幸な対立を生んできたこと。

医療職はそのズレを認識して、
親への対応を含め、T13/18という病気へのアプローチを考え直すべきであること。

詳細は上記リンクを読んでもらいたいのだけれど、
特に心に残った箇所として引用したのは以下。

常になにがしか、私たちにできることはある。……(治療が量的には無益だとしても)こうした悲劇的な時にも私たちは常に家族を支えるためにそばにいてあげることができる。子どもの痛みや不快にできる限りの対応をすると約束することができるし、お子さんにとって一番大切なことは愛してくれるご両親がいることなんですよ、と親に伝えることもできる。……(もちろん非現実的な希望を与えてはならないにせよ)私たちには、お子さんが可能な限り最善の生を送ることができるように力を尽くしますと約束することができる。

私たち医療職が真に個別の患者中心のアプローチを取ってこそ、私たちは家族と子どものウェル・ビーングに寄与することができるのである。


⑥  松永医師の『運命の子』との出会い

上記のジャンヴィエ論文のエントリーを書いた際の検索の過程で、
松永医師の『運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』が
近く刊行予定になっていることを知った。

でも、この時には「そのうちに読もう」と
頭で一応チェックしておくに止まった。

ところが、このエントリーをアップした後にも
11月のシンポで拾った問題は頭に引っかかり続けていて、
身近な医療関係者にこの問題について聞いてみたり、
問題の周辺をなんとなく検索してみたりしているうちに、

今度は松永医師のブログに行き当たった。
確か12月11日か12日のこと。

アマゾンに『運命の子』の書影が載ったという記事があり、

「障害新生児の生命倫理」は大学病院在籍中に解決できなかったテーマであり、
「障害児の受容」とは何か、
「生命を選別」することは人に幸福をもたらすのか、
という問いの答えがこの本だ、と書かれている。

やっぱり、この本は絶対読まないと……と考えながら
軽い気持ちで直前エントリーを開いてみて、
ホントーに、ぶったまげた。

なんと、目に飛び込んできたのは
拙著『アシュリー事件』の大きな表紙だった。

「良書と思います」と紹介してくださっていた。

ななななんだなんだなんだ、この奇遇は! 
にわかにコーフンした。

11月の頭からの13/18トリソミーを巡って
身辺にいろんな偶然が重なってきた。

その偶然の連なりに
無理やり意識をこの問題に引き留められているような感じさえあったのだけれど、
こういうことまで起こるなら、この本との出会いは必然だよね。

そのままアマゾンに直行して『運命の子』を予約。

年末に届き、
お正月休みが明けてからすぐ読んだ。

すっごい本だった。

このエントリー・シリーズの冒頭で書いたけれど、

生命倫理の問題を考える」ということって、
多くの「生命倫理学者」さんたちは履き違えたり見失ったりしているんじゃないかと思うけど、
本当はこういうことだよね……ということを、繰り返し強く思った。

この本に書かれている松永医師の行動は
バーバラ・ファーロウさんがジャンヴィエとの共著論文で書いていた願いを
まるで一人の日本の医師が受け取り、それに応えたかのような行動であり、

またジャンヴィエの去年の論文が
「(治療が量的には無益だとしても)私たち医師には
常に何がしかできることがあります」と訴えた、
その「できること」を模索し、実行した過程でもあり

まさにジャンヴィエが訴え続けてきた
「重い障害のある子どもと暮らす親の視点は医師とは違う」という事実を
(そして、それは私自身がずっと訴えてきたことでもある)
身をもって発見していった著者の体験と深く繊細な思索の軌跡でもある。

あとがきで著者自身が書いている以下の言葉がなによりも印象的。

……朝陽君(spitzibara注:著者が関わることになった13トリソミーの男の子)の周辺にいる人間の中で、
13トリソミーという障害に対して最も偏見を抱いているのは、医師たる自分自身なのではないかと疑い始めた……


著者は、総合病院の小児外科医として長年活躍した後に地域で開業し、
朝陽君の在宅生活を支える地元の主治医となったことによって、
勤務医時代に解決できなかった「重症障害新生児の救命・延命」という生命倫理の問題と
改めて向き合いながら、驚くべき繊細さと誠実さでその答えを探っていく。

その内容については
これまた言いたいことが山のようにあるので、
エントリーを改めてから。