「命を救うため」途上国の女性への不妊手術でIC条件緩和を説く、オランダの医師

13日のメモで拾ったオランダの医師による女性の不妊手術へのIC要件緩和提言の論文、
ネット上で全文を読めるようになっていたのでプリントアウトして
読んでみた……というか、読もうとトライしてみた。

FIGO’s ethical recommendations on female sterilization will do more harm than good: a commentary
DAA Verkurl,
The Journal of Medical Ethics, Published Online First 9 July 2014


すっごい忍耐を自分に強いながら半分強まで読み進んだところで
ちょっと耐え切れない感じになったので「結論」に飛んでみたら、
なんと、そこには以下の一節があって、たまげた。

The calculations in this paper are biased and confounded. Moreover, rationalisations might play a part in the low TO regret rates detected, but……

この論文における計算にはバイアスがかかっており、論理の筋道も通っていない。
さらに、卵管結紮を後悔する女性の確率が低いとされる複数のデータにも、
数々の合理化が関わっている可能性もあるが、しかし……


数字に弱い素人頭でその不可解や矛盾と必死に格闘しては、
あれこれと突っ込み所をメモしながら辛苦して読んできたのが
にわかにアホらしくなって、そこで、やめた。

論文全体の趣旨は、概ね以下のような感じ。

国際産婦人科学会の生殖と女性の健康に関する委員会の指針では、
帝王切開時の卵管結紮(CS/TO)であれ膣分娩後のそれ(VD/TO)であれ、
分娩前後の女性は弱い立場に置かれているので、
妊娠早期にカウンセリングを行った場合以外は行うべきではないとしている。

しかし、遅い時期になってTOを提案されるとTOを後悔する率が高いというエビデンスはなく、
むしろその逆のデータもあり、

途上国ではその他の避妊方法が得られないことが多く、
また中絶手術も安全に受けられる環境には無いことなどを考えると、
それらの女性の命を救うためにもFIGOの卵管結紮に関するIC要件は緩和すべきである。


その論理展開は、
小見出しを列挙してみるだけでも、
ある程度は想像できるかもしれない。

Inconsistency with existing medical practice
現行の医療との不整合

What is the evidence?
エビデンスは?

(Box 1 Consequences of not giving women a belated TO choice)
囲み1 妊娠初期を外したらTOの選択肢を女性に与えないことが招く結果

(Box 2 Selected reproductive data)
囲み2 「選択的生殖のデータ」。その内容は
望まない妊娠を避けたり、望まない妊娠をした際の選択肢、
また帝王切開が行われる確率など

Well-timed sterilization counselling is often unavailable
タイミングを十分に図った上での不妊手術のカウンセリングはできないことが多い

Female sterilization is popular
女性の不妊手術は人気が高い

The Committee’s concerns about the potential dangers of belated sterilization counseling are realistic for minority of women, but this does not mean that there should be a blanket ban
妊娠初期以外の不妊手術カウンセリングには危険性があるとするFIGO委員会の懸念は
少数の女性にとっては現実的だが、だからといって、
全面禁止すべきだということにはならない

The risks of not giving women the option of a peripartum sterilization
女性に分娩前後の不妊手術という選択肢を与えないことのリスク

Peripartum sterilization is much more effective and economical than available alternatives including interval TO
分娩前後の不妊手術は、intervalな卵管結紮を含めた実施可能な選択肢よりも
はるかに効果的で経済的である

Other problems with the committee’s report
委員会の報告書のその他の問題点

・ FIGO condemns medically indicated emergency CS/TO
  FIGO委員会は医学的に指示される緊急の帝王切開時の卵管結紮を弾劾している

・ Disasters waiting to happen
  これから起ころうとしている危機的状況

・ Abortion
  中絶


まだ頭の中がきちんと整理できているわけではないのだけれど、

読みながら、この論理展開って、
“アシュリー療法”を含めたエンハンスメントの正当化の論理と
とても似ているなぁ……と感じた。

例えば、いろんなデータを引っ張ってきては、
女性たちがいかに避妊手段として不妊手術を選んでいるか、
また選んだ女性がいかに後悔していないかを説いて、
個々の女性のインフォームド・コンセントの軽視につなげていこうとする論理展開は、

ウィルキンソンとサヴレスキュが臓器確保のための選択的人工呼吸を正当化する際に
英国はじめ多くの国でマジョリティが臓器提供を希望しているではないかと言い、それをもって、
本人の提供意思が不明な場合に本人の同意なく臓器保護のための人工呼吸を始めても良い、
とする正当化の一つとしていたことを髣髴とさせるのだけれど、

でもICの理念そのものがあくまでも個人の選択の保障であり、
そもそも医療サイドの情報隠しやパターナリズム差別意識によって
個人の人権が侵害されてきた歴史の反省から出てきた概念なのだから、
集団にどう考える傾向があるかはIC軽視の正当化にはならないと思う。

ちょっとすごいなと思ったのはBox1で、
この調査に答えた女性の全員にTOの選択肢が提示されていなかったとしたら
一体どういうことが起こると思っているんだ、死者がこんなに出たんだぞ、みたいな。

これを、例えば「アシュリー療法」で
やってみせることだって可能なわけだな、と私はここのところで思った。

アシュリーがあの段階で三つの医療介入を受けていなかったら、
今ごろ彼女はどうなっていたか、わかっているのか、
背が伸びて体重が増えて親が抱えられなくなって施設に入れられて、
全身にじょくそうが出来て側わんが進み、
しょっちゅう感染症を起こして、そのためについに死んだか、
男性職員から性的虐待を受けて、ついに妊娠していたんだぞ、と。

(親と主治医らが論争時に並べていた
”アシュリー療法”のメリットを裏返して並べると、こういうことになる)

やらなかった場合のデメリットだけを羅列し、過剰に悲惨な絵を描いて
それを根拠に「ほら、こうして命を救うのだから」といって自分の主張を正当化してみせることは
他の選択肢の可能性を見えなくして、議論の土俵を一方にのみ都合の良い範囲に狭めてしまうし、
そもそも反対の立場に対する恫喝でしかない。

そういう議論の進め方というのは
本来の問題のありかを捻じ曲げて、
誠実な議論の展開を阻害するものだと思う。

実際の問題は
途上国の女性が適切な医療を受けることができていない事態と、その背景にある
貧困や治安や医療環境の劣悪、女性を差別する文化といった社会的な問題と、
それらによって女性が非常に弱い立場に置かれていることにこそあるし、

だからこそ、FIGOの指針は
その弱みにつけこんで事実上の強制不妊手術が行われる懸念から
慎重を期する立場に立っているのにも関わらず、

それらの社会的な背景は、この論文では
IC要件緩和を正当化する際にのみ言及されて、

結論には以下のようにすら書かれているのだから驚く。

重要なこととして、膣分娩後の不妊手術が女性の適切な理解と協力なしに行われるリスクはほとんどない。女性たちはよほど強い動機がなければ分娩後に医師に自分の腹を開くことなど許さない(看護師たちだって協力を拒むだろう)し、まして金を払うはずもない。それに、分娩後に真っ先にこうした不妊手術の相談が出てきたからといって、後悔する女性が増えるというエビデンスはまったく存在しない。


ここでだけは、途上国の女性が、
果敢に闘って自己主張する人権意識の高い欧米女性みたいだ。


CA州で2010年まで囚人に卵管結紮が行われていた件でも
医師らの言い分は、女性たちの健康上の理由から不妊手術が必要だとか、
それが収監されている貧しい女性たちに対するエンパワメントだというものだった。

そして、分娩前後で女性の意識が朦朧としている時に
ほとんど教唆や誘導によってICがとられていた。

この論文でも「現在実施可能な選択肢よりもはるかに経済的」という箇所からは、
CA州で囚人に不妊手術を受けさせていた医師らと同じ意識が匂っているし、
「経済的」の前にある「効果的」だって、実は「効率的」の意ではないかとすら思えてしまう。
不妊手術の「効果」そのものは、選択肢の提示時期によって変るわけではない)

ウズベキスタンでも本人に無断で子宮摘出や卵管結紮が行われているし、

さらにインドの“不妊手術キャンプ”では、
地方自治体が、車や電化製品などの見返りで誘導している。

こういう情報まであることから推測すれば、

実際のところは、貧しい女性が金なんか払わなくても、
インドみたいに、むしろ「ご褒美」を配れるくらいに
途上国の女性に不妊手術を受けさせるためなら、
いろんなところからカネは集まってくるもののようにも思えるし。

で、この論文の結論に曰く、

Does the prevention of one maternal death justify 10 regretted TOs?
一人の出産死を防げるとしたら、
10人がTOを後悔することは正当化されるだろうか?

Or should the scales tip at one for one , or 10 for one?
それが1人の死と一人の後悔だったとしたら?
あるいは10人の出産死と一人のTOの後悔だったとしたら? 


でも、それは、そういう比較の問題じゃないと思うし、

うまく言えないのだけれど、
ここにもまた、ここで語られていることだけに目を奪われてしまうと、
気づかないうちに議論の焦点を狭められて、
問題のありかを捻じ曲げられていくリスクがあるような気がする。

こういう論法でこられる時に忘れてはならないのは、たぶん、
「そこで語られていないことは何か」に目を向けること。

たとえば、目を向けておきたいこととして、

この話題を取り上げたBioEdgeのエントリーによると、
FIGOのガイドラインには以下のように書かれている。

Even if a future pregnancy may endanger a woman’s life or health, she will not become pregnant immediately, and therefore must be given the time and support she needs to consider her choice.

将来の妊娠が女性の生命または健康を害する可能性があるとしても、すぐに妊娠するわけではないのだから、それならば女性には自分の選択を熟慮するのに必要な時間と支援が与えられなければならない。




それにつけても、
最近、こうしたIC不要論や要件緩和論がやたらと目に付くように思えて、気になっている。

どうも、そこには
2つのベクトルがあるような気がして。

一つのベクトルは
苛烈化する科学とテクノロジー研究の国際競争における生き残りのために、
被験者確保(バイオ資材化も?)に向かうベクトル。



もう一つは、グローバル・ヘルスや人口抑制策としての
優生思想の復活というベクトル。