今度はゲノム読解関連研究でのIC不要論:「統治されることへの同意」で

ヘイスティング・センター・レポートの以下の論文。

Have We Asked Too Much of Consent?
Barbara A. Koenig,
Hastings Center Report, Article first published online:9 JUL 2014



Paul Appelbaum and colleagues propose four models of informed consent to research that deploys whole genome sequencing and may generate incidental findings. They base their analysis on empirical data that suggests that research participants want to be offered incidental findings and on a normative consensus that researchers incur a duty to offer them. Their models will contribute to the heated policy debate about return of incidental findings. But in my view, they do not ask the foundational question, In the context of genome sequencing, how much work can consent be asked to do?

全ゲノム・シーケンシングを伴うために、
偶発的に分かってしまう情報が発生する可能性のある研究への
インフォームド・コンセントについては、
Paul Appelbaumらによって四つのモデルが提案されており、

そこでは
研究の参加者はそれら偶発的に分かったことは知らせてもらいたいと望んでおり、
研究者にはそれを知らせる義務があるとしているとされるが、

ゲノム・シーケンシングの研究でそんなことを言っていたら、
同意したからと求められる仕事量は無限に増えてしまうではないか。


アブストラクトだけではよく分からないのだけど、
以下のBioEdgeの記事を読むと、どうやら
ゲノム・シーケンシングからはその人の病気や障害の可能性をめぐって
一体どういう情報がどれほど出てくるか分かったものではないのだから、
それらをイチイチ本人に知らせてあげるなんてことは現実的には不可能なのであって、

被験者になることに同意したからといって
そんな膨大な作業を研究者がなんで義務付けられねばならんのだ、

そんなことが起こらないように個別のIC規制はやめて、
市民グループに擬似専門家として代理で決定させればよい、という趣旨みたい。

別の言い方をすれば、

そうして「統治されることへの同意」を出させておけば、
形式上は被験者の主体性をそこなわずに、
被験者が個別にあーだこーだと口を出したり
権利を振りかざすことが防げる、と。


この記事からKoenigの論文の引用を拾うと、

My view is that the focus on consent in contemporary biomedical research has become the modern equivalent of a fetish.

私の考えでは、この時代のバイオ医学研究におけるコンセント重視は、現代版の狂信となってしまっている。


そもそも1990年代にヒトゲノムが読解された後に
Koenig自身が遺伝検査プロトコルを作ろうとした段階ですでに、

Even then, we recognized that the ideal of full disclosure of all risks and benefits of a particular genetic test, ideally by a trained genetic counselor, would collapse once the volume of genomic data increased. If it took an hour to counsel a patient about one condition, what would happen if panels of test could simultaneously offer multiple findings?

特定の遺伝子検査のリスクと利益のすべてが漏れなく、
理想的には研修を積んだ遺伝子カウンセラーによって、
ディクスローズされるという理想は、
いったんゲノムデータの量が増えれば崩壊すると、
我々にはわかっていた。

一つの病気や障害について患者に行うカウンセリングが1時間かかるとすると、
一連の検査でいくつもの病気や障害の可能性が一度に明らかになった時には、
一体どうなる?


そこでKoenigが提案するのは、
遺伝子検査の基礎を学んだ「市民の代表のグループ」に
意思決定をアウトソーシングするコンセント・モデル。

こうしたグループが個々の患者に代わって説明を受けて納得した上で決定すれば、
時間も費用も、患者の動揺だって大幅に減らせる。

The focus turns away from a ceremony of individual control and choice. Instead, consent is about giving up control, agreeing to accept a set of procedures and practices created and interpreted by a group of fellow citizens; it is ‘consent to be governed’.

個々人がコントロールし選択する儀式から焦点が離れて、その代わりに、

同意とは、
コントロールを諦め、
市民仲間のグループが作り解釈してくれる手続きと実施方法を
受け入れることへの同意となる。

つまり「統治されることへの同意・コンセント」である。

Personal sovereignty is not violated when research participants who will share in the benefits of genomics knowledge are given the opportunity to consent to be governed.

ゲノム情報の利益に預かる研究参加者個人の主権は、
統治されることに同意する機会を与えられているならば、侵害されない。




それにしても、なんてベタな露骨なんだろう。

consent to be governed……。
統治・支配されることへの同意――。

まさに、もう一つのBioEdgeの記事でスイスの生命倫理学者が指摘している通り。

生命倫理学の専門家という新たな専門職を作ったことは
政策決定を民主的にするというよりも専門職と官僚の権威を強化し、
政策決定での論争をテクノクラート側に有利な誘導の役割を担ってきただけ。

私はむしろ
これから科学研究に手を染めようとする研究者の皆さんに
きちんと十分な説明を受けてもらい、納得してもらった上で
「シビリアン・コントロールによって統治されることへの同意」を文書で出す……
という形のIC規制を、世界中の生命倫理学者の方々には検討してほしいわ。