「ケアラーズ・ウィーク(介護者週間):豪州」

ケアラーズ・ウィーク(介護者週間):豪州

4月に千葉県で高次脳機能障害がある同居の義兄(当時38)を殴り、死亡させた男性(35)に対して、10月20日千葉地裁から懲役3年、執行猶予4年の判決が言い渡された。もちろん事件の詳細が分からないまま記事を読むだけで、その判決について軽々に云々することは差し控えるべきだろうけれど、猶予刑の理由を説明する裁判官の言葉には考え込んでしまった。「献身的かつ熱心に世話をしており、被告を強く非難することはできない」。しかし、「献身的」に介護していたことが直線的に免罪につながっていいのだろうか。「被告以外の人でも、思わず手が出てしまった可能性が十分にある」というのは、介護者の1人として、介護とは事実そういうものなのだと頷く。しかし、そうであればこそ、「(殴っても)非難することは出来ない」と免罪する前に、せめて「介護者が殴らなくても済むように、社会は介護者を支援する必要がある」という指摘がほしかった。

10月はオーストラリアではケアラーズ・ウィーク(介護者週間)の季節だ。今年は10月12日~18日だった。この季節には多くのイベントが行われ、メディアが介護者支援をテーマにとりあげる他、介護者の実態調査など研究結果が次々に報告される。オーストラリアでは週平均40時間を越える無償の介護をしている家族が全国で270万人いると推計されているが、ケアラーズ・クイーンズランドの今年の「生活の質」調査によると、無償の家族介護者の4分の3は公的なレスパイト・サービスがないと回答している。また、自分の時間が週に8時間に満たない人が69%、3時間に満たないという人も43%もいる。ケアラーズ・クイーンズランドは多くの介護者は限界点にきていると警告する。

ヤングケアラーの問題についても、多くの報道があったが、中でもABCニュースが24日に流した「ティーガンの物語:ティーンが母親のケアラーになるとき」という記事には胸を揺さぶられた。ティーガン・ヘグブラムさん(21)は15歳の時に母親の介護のために高校を中退し、以来6年間、母親のフルタイムのケアラーだ。10年前に夫を亡くしてから急速に健康状態が悪化した母親は、繊維筋痛症骨粗しょう症うつ病など多くの疾患を抱える。最初は兄が家事と介護を担ったが、兄が大学進学に伴って町を出ると自ずとその役割はティーガンさんに回ってきた。学校と介護の両立は困難となり、2年生で高校を中退する決心をした。

その時の気持ちをティーガンさんは次のように語る。「ケアラーになってからは私の生活はまず母親が優先で、自分のことは二の次でした」「みんな『この子はあんまり学校に来ないし、この子は授業を聞く気がないし、学ぼうという気もない』みたいに見るんだけど、そうじゃなかった。私はものすごく学びたかったのに、できなかったんです」。ティーガンさんの母親の言葉もまた痛切だ。「子どもがこんな生活を送っちゃいけないのに」「私は母親なんだから、私がこの子たちの世話をすべき立場なのに」。しかし病状や年齢の点で、母親はまだ施設入所の対象にも在宅介護支援の対象にもならない。

ケアラーズ・サウス・オーストラリアのデータによると、南オーストラリア州だけでも15歳未満で介護役割を担っている人が1万200人、18歳未満では1万4800人、25歳未満では2万5000人にのぼる。15歳~24歳の若者の10人に1人が介護責任を負っている計算だ。9歳未満のヤングケアラーが600人もいるというのは衝撃の数字である。15歳~25歳のヤングケアラーのうち、専門学校を含め学校教育を続けられる人は、わずか4%しかいない。

これらのデータから日本のヤングケアラーに思いを馳せていたら、たまたま読んだ『現代思想』9月号に掲載の大谷いずみ氏の論考に、以下の一節があった。「終末期医療をめぐる議論の場でしばしば言及されるのは『患者の年金を当てにして延命を望む家族』である。……だが、非正規雇用増大の現実と照らし合わせば、思い至るのは、高齢の親や祖父母の介護のために離職し、非介護者のわずかな年金で生活せざるをえなくなった子や孫たちの生活苦である。リストラ後、非正規の低賃金で働く両親に代わって祖父母の介護のために授業に出られぬまま、家族の生活費に充てた奨学金を受給し続けなければならない(そしてそれはそのまま膨大な借金となる)単位取得些少学生を何人も面談してきた私自身の経験のリアリティである」(p.193)

日本でも、若者の苦境に、貧困の世代間連鎖と若年層が担わざるを得ない介護負担とが互いに拍車をかけ合っている。ヤングケアラーを最優先に、介護者への支援が急がれる。
連載「世界の介護と医療の情報を読む」第102回
介護保険情報』2014年12月号