解説 by 福岡伸一 in アダム・ウィシャート『三人にひとり』

図書館で目に付いたので借りてきて、読もうとしたのだけど、
翻訳文体というのがもともと苦手なこともあって、
どうしても「相性」がしっくり行かずに数ページで諦めた本。

『三人にひとり 生命の謎を説くがんと科学の未来』
アダム・ウィシャート著 北川知子訳 福岡伸一解説


でも、まぁ、図書館で手にとってペラペラめくってみた時に、
惹き付けられて借りて帰ろうという気にさせたのも、実は本文じゃなかった。

福岡先生の解説の最後の下り。

 がんの死は突然訪れることはない。がんの死はゆっくりと訪れる。その時間は、私たちに何がしかの余地と、何がしかの準備をすることを許容してくれる。四年前の春、私は母をがんで亡くした。……(中略)……痛みと不快感はあるものの母にはなお十分な体力と元気さがあった。母は、会うべき人と会い、行くべき場所を訪問し、本を読み、日記をつけ、短歌を詠み、そして祈った。私たちは家族だけで集まった。父と母、私と弟。四人だけの静かな冬の日曜日の午後は、ずっと昔、この家族が家族として始まった頃のことを私たちそれぞれに思い出させた。

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 人は死んだらどこへ行くのか。生命が絶え間のない動的平衡状態にある、という考え方に立てば、私を構成していたすべての分子、すべての情報、すべてのエネルギーは、私が死んだ後、環境中に拡散し、大きな循環の中に戻る、といえる。あるものは他の生命の一部となり、あるものは海や岩石の一部となって、生物と無生物のあいだを際限なくたゆたうだろう。しかしこの流れ自体は、私が生きているあいだからずっと私を貫いていた流れでもある。私が死ねば、その流れは私というよどみ(原文は傍点)を結ばなくなるということにすぎない。 
人は死んだらどこへ行くのか。作家の中井英夫は今際のきわにこう言ったという。

人は死んだら、残されたものの心の中に行く。

(p.323-4)


最後の一行を図書館で見た時、

引用箇所の前半部分に非常に近い個人的体験の中にある私は、
瞬時、泣きそうになった。

だから、本そのものは読んでいないのだけど、
この下りだけは残しておきたかった。

そういうエントリー。