新城拓也『患者から「早く死なせてほしい」と言われたらどうしますか?』



著者の新城拓也医師については、エントリーこちらに↓
新城拓也医師「現時点では医師による終末期の判定は占いの域」(2013/5/23)


アマゾンの内容紹介

「麻薬ってどう使い分けるの?」「腹水は本当に抜いて大丈夫?」「薬のせいでせん妄になったと言われたら?」「鎮静をどう説明する?」「患者から早く死なせてほしいと言われたら?」――。本書は“3学期”構成となっており、さながら1年間の講義を受けているような流れになっています。23ある講義はすべて生徒の疑問から始まっていて、新城先生がその問いに一つひとつ丁寧に答えます。マニュアルだけでは解決しない、緩和ケアの悩みに答える一冊です。


アマゾンのレビューの以下の下りに、笑ってしまった。

基本のみを知っていて教科書通りの内容しか実践しない人には非常に不愉快な内容が多いかもしれません。実臨床で酸いも甘いもかみ分けた人にはスッと入ってくる内容が多いのではないでしょうか。


実際、いろんな医療職の人と話をしてみると、
ホスピスが制度として定着し、在宅医も制度誘導があるから増えてはいるけど、
ホスピス医にしろ在宅医にしろ、本当に緩和の知識と技術がきちんと身についている医師は
案外に少ないという話をあちこちで聞くし、



私は、尊厳死や平穏死やその他「○○死」を巡る議論が
「終末期に過剰な医療で苦しめられるくらいなら
余計なことをせずにさっさと死なせてもらいましょう」という話として進められて
「何が何でも延命」か「何もせずにさっさと死なせるか」という
二者択一の構図で議論されていくことにずっと疑問があった。

患者や家族の本当の願いとは、そのいずれでもなく、
むしろその両者の間のところで、
固有の判断をきめ細やかに粘り強く繰り返してほしい、
なかなか白黒つかない悩ましさを引き受けつつ、
「どうせ」と関心を失ったり見捨てるのではなく
「せめて」と寄り添い続けてほしい、ということのはずだ、と
ずっと考えてきた。

この本では、
患者や家族のそうした願いを引き受けるとは医師にとってどういうことかが
実際の治療の判断と患者との向かい合い方の両面から、十分に掘り下げつつ説かれている。

また、私は尊厳死法制化の周辺で、終末期医療の問題が
「いかに死ぬか(死なせるか)」という問題に切り詰められていくことに
もともと疑問があって、

それは、
日本でも医学教育で終末期や緩和ケアを十分に学ばないのであればなおのこと、
「終末期医療はいかにあるべきか」という具体的な問題解決の議論に
向かうべき問題なんじゃないかと考えてきたけれど、

まさしく「待ってました!」というのが、この本。

「終末期医療はいかにあるべきか」という問題に
一人の緩和ケア医が全身全霊で真正面から取り組んだのが、この本。

といって、妙に力んではいないし、だけど十分に温かく深い。
それは著者の人柄なのだろう。

だから、まず、これは、
終末期医療をめぐる議論に関心のある人には、
「これを読まずに○○死なんぞ、軽々に論じないでください」と言いたいくらいの必読書です。

構成としては、
緩和ケアに意欲的に取り組もうとしている医師に向けて
がん患者の終末期を前提にした緩和ケアの講座の形態になっている。

オリエンテーションから始まって、
1学期の「痛みの治療と症状緩和」では
第1講の「痛みの治療①」から第11講の「せん妄」まで。

実際の臨床の場面でそれぞれの問題を巡って、
どのような時にどのように治療するか、
その具体と、考え方や注意点が解説されて、
講義ごとに最後には「処方のコツ」がわかりやすく一覧にまとめてある。

このあたり、医療職向け臨床実践の「教科書」なんだけど、

昨年から胃がんの兄の闘病を見てきて、
この2月からは終末期の看取りにも多少ながら関わった体験からすると、

これ、患者と家族にとっても、
とても分かりやすく病状やクスリの知識が身につくだけでなく、
患者の身に起こること一つ一つをどのように捉えたらいいのか、
それぞれの段階の病状とどういう“構え”で付き合えばよいのか、
さらに医療職の気持ちにも目を向けさせてくれそうな、
実に有り難い「コーチング」に満ちた講義になっていると思う。

さらに2学期の「鎮静と看取りの前」、
3学期の「コミュニケーション」へと、

講義の内容は、緩和ケアの真髄へ、
より奥深い本質論へと迫っていく。

各講義の最後にある「コラム」の内容も、幅があり奥行きがある。



私はこの本から、細谷亮太先生の
「最後まで痛くなく苦しくなくするという約束だけは絶対に守るからね。
怖いことのないように頑張るから、よろしくね」という「約束」を
拙著『死の自己決定権のゆくえ』で引用し、こういう約束をしてもらえるなら、
患者は「もう医療は要らない」とも「さっさと死なせて」とも言わずに済むんじゃないかと
書いたけれど、

新城先生もこの本のあちこちで
医師が患者にこうした「約束」をすることの大切さを説いている。

治療だけでなく患者の行く末を引き受けるという医師の覚悟を感じたときにだけ、患者は心の窓を開きます。
(p.229)


きちんと説明すること、
本人とも家族ともそれぞれ十分に話し合うこと、
必要な知識や対処方法を指導しコーチングすること、
決して見捨てない、問題や困ったことには対応すると具体的に約束すること、
患者がどのような体験をしているのかに目を向け、重んじること、
目の前の事態にどのように対応するべきかの判断の中に、
医療職と患者と家族との信頼関係を重視しつつカウントすること、
すぐに対応しかねるようなことを言われたら、
どうしてそう言うのか、言葉ではなく、
その背景にある患者の思いを真摯に聞いてみること……。

緩和ケアは、死の準備を促すための医療ではありません。亡くなるまで生きていくことを支援するための医療です。もっと実践的に言うなら、患者の持っている力を最大限引き出すための医療だと思っています。
(p.237)


兄の3ヵ月半の終末期、
兄が死を意識し受け入れつつも「これからを生きる」ことを考え続け、
その「これから」に続く「今日」や「今」を生き続けていられたことを
兄のためにも家族のためにも幸福だったと感じている。

だけど、新城先生の説く医療職の役割は、
きっと緩和ケアに限らない。

病んだ人、障害のある人、死にゆく人を前に、
その人たちが生きていくことを支援するために
医療には何ができて何ができないのかを冷静に正確にわきまえていて、
だからこそ、できることを真摯に模索し、今の自分の精一杯を提供し、
そうした経験の一つ一つを通じて自分にできることを磨き広げ続けることこそが、
医療職としての患者や家族に対する礼節であり、また誠実なのだなぁ……と
この本のどこを読んでも、感じさせられる。

つまり、この本が正面から取り組んでいるのは
「緩和ケアとは何か」という問いのさらに土台のところにある
「そもそも医療とは何か」という極めて本質的な問題なのだと思う。

唸ったのは、
最後の「終業式のことば」の中にある、以下。

「患者の病気は患者のもの。医者や病院が取り上げてはいけない」


これ、すごい言葉だと思う。

これをもうちょっと噛み砕いた表現が、
まさにタイトルになっている「患者から死なせてほしいと言われたら?」の
第14講のコラムにある。

 健康で、力のある医療者は、ときに大きな力で患者の苦悩を解決しようとしてしまいます。しかし、最近の私は考えています。生老病死が人間の避けられない苦悩であるとしたら、その苦悩の対処は患者自身の大切な人生の課題です。…… 彼らがじっくりと苦悩できる環境をさりげなく整えることが、医療者のできることなのです。患者、家族がしっかり苦悩できるように痛みをとり、きれいで清潔な環境と身なりを整え、そして静かな時間を用意します。決して、医療者自身が何か妙案で彼らの苦悩を解決しようとしてはいけません。
(p.187)

こんな箇所も。

……その一言で明日から患者の生活が変わると思わないことです。……自分の言葉で相手の生活を変えようと思えば、患者を支配していくことになるのです。患者の睡眠を支配し、さらには、心と生活を支配するようになります。そのような管理的な心構えは、かえって、患者の力を弱めます。
(p.140)


これは、まさに上記の『シリーズ生命倫理学4 終末期医療』の第13章で
高橋都先生が「介入行為が医師の中に呼び起こす愉悦」と書いたものへの警告だと思う。

私はずっと、重い障害のある子どもの親として
「医療は患者と家族にとって生活・人生の中の一部に過ぎない」ということが分かっていない、
「医療の中に患者の生活・人生があるとカン違いしている」という不満を
医療職に対してずっと感じてきたのだけれど、

何千人という人を看取りながら、無感動にも陥らず、無関心にも流れず、
それぞれの人と誠実に向かい合う中で医師としての姿勢を洗練させてきた新城先生の、
人間が生きるということに対する洞察の明晰に唸る。

『シリーズ生命倫理学4 終末期医療』の第1章で安藤泰至先生が
「医療にとって『死』とは何か」「人間にとって医療とは何か」「人間にとって『死』とは何か」を
三位一体に掘り下げながら以下のように説いているけど、

医療が既存の医療の専門知の枠組みで人間の生(死)を切り取ってそこに自足するのではなく、その限界を自覚しながら、そのなかで医療に何ができるのかを模索していくことができるような新しい医療の文化(原文は傍点)が必要

新城拓也先生が緩和ケア医としての臨床実践を通じて醸成し、広げていこうとしているのは、
まさにその「新しい医療の文化」なのだと思う。

医療職という医療職にはもちろん、広く一般の人にも,
ぜひぜひ読んでもらいたい本。

だって、この本を読んで、改めてつくづく思うのだけれど、

安藤先生の言う「新しい医療の文化」を形作っていく仕事は、
決して医療職だけのものじゃない。

そこには私たち患者や家族も
これまで医療によってどのような体験をしてきたのか、
そのうえで私たちは医療や医療職に何を望んでいるのかを、
冷静に見つめ、きちんと考え、ていねいに表現することによって
参加できるはずだし、参加すべきだと思うから。

それに、やっぱり私は、
その「新しい医療の文化」の原点は、緩和ケアにあると同時に、
重心医療を始めとする重い障害のある人や難病の人の医療にある、とも思うから。


【6月26日追記】

著者の新城拓也先生がその後、ブログに
なぜ緩和ケア医になったのか、個人的な体験を書いておられますので、
その記事を紹介したエントリーをTB。