夫の家族の介護は「夫婦の問題」 でも妻の家族の介護は「妻の問題」?

以下の記事を読んで、
だいぶ前に書きかけて放置していたエントリーを
どうしても書かずにいられなくなったもんだから。

夜泣きする赤ちゃんの面倒を見た僕は、褒めてもらえると思ってた。
クリント・エドワーズ 父親ブロガー
HUFF POST JAPAN, 2015年6月27日


育児期だったずっと昔、
周りの女たちが、夫の「やってほしいことがあるなら言えばいいじゃないか」発言に
激怒するのを何度も聞いた。

もちろん、私にも覚えがあるから
そこでは「そうだ、そうだ」と大いに盛り上がった。

なぜ女たちが激怒するのかといえば、
その言葉には家事や育児を「妻の責任事項」と捉えたまま、
お気楽に「協力者」、「お手伝い」の位置に留まって、
「問題/責任を共有していない」意識がモロにさらけ出されているからだ。

「自分の問題」として引き受けていないからだ。

その「他人事」意識と、それに気づかない鈍感に、
アンタだって、この子の親ではないのか?
アンタだって、この家で生活しているのではないのか? と
女たちは腹が立つんである。

そうすると、
「ふんっ。どうせ私がやることなんでしょっ。
私がやりゃ、いいんでしょっ」と、女の気持ちは自虐へと捻くれていく。

だって、なんでそんなヤツに「手助け」を求めたり、
「これこれをしてほしい」と私が「頼みごと」をしなければならないのだ?

……と、怒りが腹の中にどんどん渦巻いて、気持ちは荒み、
家事全般の手つきだって乱暴になるのだけれど、
皿の1枚や2枚割ったくらいでは収まりがつかないくらいに怒りが蓄積していくと、
吐き出されることなく抑圧された怒りは、閉鎖閉塞の挙句、
自分自身に向けられて過食や抑うつ状態を招く。

そうして精神科のお世話になる人もいる。

それでも男は気がつかない。

「よくやっていると思うよ」
「ちょっと頑張りすぎなんじゃないかな」などと
相変わらず他人事の上から目線で見当違いの「励まし」を口にして、
女の絶望をさらに深める。

そして、最近つくづく思うのだけれど、
あの頃に育児負担を抱えて男を呪っていた女たちは今きっと
老親の介護負担を抱えて、やっぱり男を呪っている。

夫の家族の介護は「夫婦の問題」。
でも、妻の家族の介護は「妻の問題」。

夫の家族の入所先候補の施設を見学に行くのは、あたりまえのように夫婦。
でも、妻の家族の入所先候補の施設を見学に行くのは妻。

夫の家族の入所・入院先に通っていくのは妻。または夫婦。
妻の家族の入所・入院先に通っていくのは妻。

もちろん妻の家族の場合にでも
「言ってくれれば行く」と夫は言うのだろう。

あの育児期の「やってほしいことがあるなら言えばいいじゃないか」と
まったく同じように。

でも、夫の家族の病気だったら、
問題の始まりのところから「夫婦の問題」として
最初から何もかもイチイチを夫婦で相談することになるのではないのか。

どうかすれば、妻の主導で物事が動いていくのに
当の血縁である夫は平気でついて歩きさえするのではないのか。

「仕事があるから行けないだけ。休んでまで行けというのか」と夫はいうのだろう。

そんなこと言ってない。

「行くか行かないか」とか「何をやるか、やらないか」ではなく、
そういう事態で次々に出現する細かい問題解決を
自分のこととして引き受けるかどうか、という姿勢の問題。

問題解決を我が身の問題とせず、
部外者のまま「がんばってね」と言えること、
問題を共有せず「あなたの問題」にして終わられることに腹が立つのだ。

つまり「あなたの非常事態」であって「私たちの非常事態」ではないことに。

そして男は、またもそんな自分に鈍感なまま
思いやりと信じて平然と言うのだ。

「何でもするから、できることがあったら言って」

「あなたの問題だけど、手伝ってあげる用意はあるから」と。

そして、それを優しさだとカン違いしてほざく。

「掃除ができなかったら、しなくてもいいよ」
「ご飯が作れなかったら、食べにいけばいいから無理しないで」

「あなたの非常事態」なんだから、寛容な自分はそれくらいは許すから……てか?

なんで女が「許して」もらわねばならんのだ?
アンタもこの家の一員なら「我が家の非常事態」を
自分の問題として引き受けたらどうか。

介護負担が追加されて、非常事態モードの生活の中でも
自分だけはいつもと変わらない生活が送れて当たり前と思い込んでいられるのは、
追加の介護負担分は「妻の問題」であって「妻の非常事態」であって、
「夫婦の問題」「夫婦(我が家)の非常事態」にはなっていないからだ。

女たちの腹が煮えるのは、
夫の家族の介護なら当たり前のように
「夫婦の問題」「夫婦の非常事態」にされてしまうことを、ちゃんと知っているからだ。

そこにかつて感じた「育児は女の仕事」と同じ、
「介護は女の仕事」という無意識の思い込みを感じるからだ。

夫婦2人の子どもの育児期よりも、
それぞれの老親介護の問題では問題の共有がさらに難しい、
つまり無意識の差別が、そこではより色濃いことを肌身に感じるからだ。

自分は妻の家族の介護問題にそこそこ「協力的な」いい夫だと思っている男たちは、
おのれの差別意識を問い直してみるべきだと思う。

なんで
夫の家族の介護は「夫婦の問題」(どうかすると未だに「妻の問題」)
でも妻の家族の介護は「妻の問題」なんだよ、おい?