勝村久司 『僕の「星の王子さま」へ』 1


「医療情報の公開・開示を求める市民の会」世話人で、
現在も医療事故調査制度の問題点を鋭く指摘するなど、
医療事故や安全の問題を中心に
患者の立場から医療の壁に挑み続けておられる勝村久司さんの本。

勝村さんの妻の理栄さんは、1990年の第一子の出産の際に、
全く知らされることなく、病院側の都合で、
極めて不注意で乱暴なやり方で陣痛促進剤を投与され、
赤ちゃん(星子さん)は9日後に死亡、お母さんのほうも命の危険に晒された。

夫婦は裁判を起こし、一審の敗訴を乗り越えて、ついに勝訴。
その10年間の壮絶な闘いが、抑えた筆致で記録されている。

つくづく、すごいご夫婦だなぁ、と感じ入る。
その感性の豊かさ、賢さ、しなやかな強さ、知性、直観力、自制……。
この苦しい裁判を闘いながら、一方で市民運動を広げていく、その人間力の高さ。

それを支えているものが、単なる私怨ではなく
個を突き抜けた普遍なるものへと向かう眼差しなのだということが、
天文学に詳しい著者が亡くした娘を「星子」と名づけ、
大きな局面に来ると空を見上げ、星を語り宇宙を語る、
その美しい文章から伝わってくる。

圧巻は、控訴後の高等裁での参考人尋問の最後、
原告である勝村氏自身が10分間に渡って尋問した場面。
242ページからの、約4ページに渡る、そのやりとり。

事件があるまでは医療について何も知らなかった一市民が、
産科医と対等にやりあえるだけの医学知識を身につけ、
事件に関する資料を徹底的に読み込んで状況を正確に分析・把握したうえで、
相手の論点の揺らぎに引きずられることなく、むしろ、その揺らぎを冷静に修正しながら、
専門家から自分が求める答えを引き出していく。

そして、妻の理栄さんへの陣痛促進剤投与後の監視がいかにずさんだったか、
そのために胎児の状態が悪くなっているのに気づかず、
帝王切開の決断が遅れた事実を、あぶりだして行くのだ。

その弁護士にも劣らない論理的な思考と、練りあげられた質問の技に、
この人がこの10分間にどれだけのものを込め、かつ賭けたのかを考えると、
胸元がぎゅっと締め付けられるような気持ちになる。

なぜなら、私たちもまた海の重い障害は、
出産時に帝王切開の決断が遅れたからだと確信があるから。

私たち夫婦は我が子を喪ったわけではない。
(勝村夫妻は、星子ちゃんの後にも、
医師の不注意による子宮破裂で重症障害を負った次男も失くしている)
この夫婦ほどに壮絶な裁判の経験があるわけでもない。
市民活動で社会を変えてきたわけでもなく、
この人たちほどの人間力もない。

そこには大人と子どもほどの差があるとは思いながらも、

「あと1時間くらいで生まれるよ」と助産師に言われた直後
いきなり私が原因不明のけいれんを起こして救急搬送され、
その時には夫は「たぶん帝王切開になるから、すぐに生まれる」と聞かされたのに、
実際にはそれから9時間もかかって、娘はやっと重症仮死で生まれ、
低酸素脳症による重症心身障害を負った、

あの日から私たち夫婦が体験してきたものには
勝村夫妻の体験に相通じるものが、とても多い、とやっぱり思う。


私たちも、裁判を考えた。

友人の弁護士に相談し、担当してもいいという弁護士に紹介してもらい、
経緯をお話しした。

でも、私たちは結局、踏み切ることができなかった。

当時の海は、その段階では発見できていなかったけいれん発作のために
連日、夕方から明け方まで尋常ではない号泣を続け、私たちは2人でかかりきり、
ろくに眠らないまま、それぞれに仕事に出かけていく、という、
それだけでも肉体と精神の限界をはるかに超えた生活で、

やっとけいれん発作を起こしていると分かると、今度は
自宅から電車とバスを乗り継いで1時間半もかかる病院に入院。
海には付き添いの人を頼み、私は病院からフルタイムの仕事に通う生活になった。

訴訟の準備の第一歩である事実関係の書き出し作業のための時間と集中を、
その隙間のどこにも見つけることが、できなかった。

無念だった。

どうしても気がすまなかったから、
裁判を諦める前に、海が生まれた総合病院の産科医との面談を求め、
けいれん治療で入院している病院まで来てもらったことがある。

娘には付き添いさんについてもらって、夜中まで4時間に渡って、
その病院の小部屋を借りて、医師と婦長に質問をした。

向こうは裁判の可能性を意識して言質を取られまいと慎重だったし、
私が出産への恐怖でパニックして過呼吸になったのが原因だと言いたげな回答に終始した。

それでも、勝村さんとは比べ物にならないけど、
その4時間の中で、真実に迫れたと思った瞬間はあった。

安全なお産への努力は常に怠っていないという主張の流れで、
「通常通りに行かなかったお産の後には、病院ではカンファレンスを開いて
症例検討をしている」という話が出たので、
「ウチの娘の出産についても、症例検討はされたのですね」
「もちろんです」
「そのカンファで、もっと早くに帝王切開を決断すべきだったという
意見は出なかったんですか」

傲慢な上から目線で対応し続けていた医師の表情が変わり、
ぐっと言葉に詰まった。

「出たんですか。出なかったんですか」
「……厳しい質問をされますね」
医師はそういったきり、答えなかった。


それから、「妊婦の精神的な弱さのせいにする」というのも、
医療職が妊婦を見下して、「馬鹿にし」たり「叱りつけ」たというのも
私の体験も、理栄さんとまったく同じだ。

理栄さんは陣痛室で陣痛促進剤で誘発された喘息に苦しんでいる時に
「呼吸をしっかりせい」「母親がしっかりと深い呼吸しなあかん」「我慢しなさい」と
上から目線で叱り付けられた。

 そしてベッドの横にキャスターが置かれ、「こっちに移りなさい」と言われた。しかし私は身体が痛みと苦しみでけいれんしていて転がることもできず、自力ではまったく動けなかった。助産師があきれた様子で、「しっかりしなさい」と怒ったが、動けず、私は皆に担がれて、キャスターに乗せられた。みんなに馬鹿にされてとても惨めだったが、身体は縮こまり、身震いが起こり、どうしようもなかった。それなのにみんなはとても冷ややかで、おおげさな妊婦だ、と言わんばかりに余裕しゃくしゃくだった。
(p.68-9)


私も救急搬送された後、
気がついたら総合病院の分娩室に長いこと一人で寝かされていて、
意識は戻ったりなくなったりを繰り返したのだけど、時々様子を見にやってくる医師から
「あなたが母親なんだからね。自分で生むんだと強い気持ちを持たないとダメだ」などと、
まるで私の精神的な弱さがこの事態を引き起こしたのだというように
何度か諭されたり、叱り付けられた。

でも、その後の海の治療から、
妊娠中に私がある病気を発症していて、
それが見過ごされたまま出産に突入していたことが判明したので、
原因はそちらにあったわけなのだけど、

「自分には分からないこと」「自分がやったことがうまく行かない場合」に
医療職はその原因や責を患者に求めたがる。

その時に一番便利に使われるのは患者のメンタルの問題というのも、
一般的傾向のようでもある。

例えば、こういう話、けっこうある ⇒ http://dsj.hatenablog.com/entry/2015/09/08/054431


特に産婦人科と小児科では、
少なくとも私や理栄さんが出産した頃には、
患者や親をハナから見下して、冷笑的に扱う医療職がとても多かった。

理恵さんの体験に書かれているように「○○しなさい」など
当時はまるで学校の先生が子どもに指示するような態度と口調が横行していた。

私の経験則からの推論としては
産婦人科の患者は女ばっかり、小児科も若い母親が大半だろうから、
もともと男中心の差別的パターナリズム社会である医師の集合的意識が、
より露骨に女性差別的なところで胡坐をかき、
それを看護職が敏感に受け止めて同様の振る舞いに及んでいた……んじゃないだろうか。

私は最近、「患者中心の医療」に対する医療職の姿勢とか、
医療をめぐる意思決定という問題を考えるにおいても、

医療職と患者とが見ているもののあまりの違い、そのかけ離れ方に、
医療職が患者や家族に向ける眼差しの根底に「どうせ」と見下してかかる意識、
勝村さんの本に何度も出てくる「馬鹿にして」かかる気持ちがあるのではないか、
という気がし始めている。


次のエントリーに続きます。