海老原宏美・海老原けえ子『まぁ、空気でも吸って 人と社会:人工呼吸器の風がつなぐもの』



著者の一人、海老原宏美さんは、
以下の映画の、いわば「主役」の人工呼吸器ユーザー ↓



私は、2年前にJILの研修会に呼ネットの企画で招んでいただいた時に、
初めてお目にかかりました。

アテンダント(ヘルパー)を使って自立生活を送りつつ、海外にも何度も出かけておられて、
飛行機会社の理解の程度によっては機内で人口呼吸器の電源が得られないこともあるなど、
聞いてる側がハラハラするような、命に関わる苦労話(本書にも書かれています)を、
なんでもないことのようにケラケラと笑い飛ばしながら披露してくださったのが
とっても印象的でした。

その企画でも、頭の回転が速く、おしゃべりが軽妙で、
魅力的な人だなぁ、と、その時も心底、感服したのですが、
上記の映画に映し出される平素の海老原さんが、また自然体で、本当に素敵なのです。

本書の著者紹介によると、以下の役職もこなしておられるとのこと。

自立生活センター東大和の理事長、「呼ネット」の副代表、
東大和市地域自立支援協議会の会長、DPI日本会議の理事、
今年は、東京都自立支援協議会の副会長にも就任。

やっぱ、スゴイ人だなぁ、と思うのですが、

1度お会いした時の印象や、映画で拝見した海老原さんが日々を生きる姿から、
もちろん、こなしておられるお仕事も行動力もスゴイんだけど、
この人の一番スゴイところは何よりも「生きることに対する腹のくくり方」なんじゃないか、
という気がしていました。

映画を初めて見た時、新入りのヘルパーの女性に
海老原さんが連絡先一覧について教えながら、
「朝きたときに、もし私が息していなかったら、そこへ電話して
『海老原さん死んでるみたいなんですけど』って言ってくれたらいいから」と
こともなげにサラッと言ってのける場面がある。

言っている中身と口調の落差に、
海老原さんらしいなぁ、と思わず笑ってしまったのだけれど、

その後、私自身が
ガンがいよいよ終末期に突入した兄を見守り、見送るという体験を経て、
次にその映画を見た時、今度はその場面で笑えなかった。

「『海老原さん死んでるみたいなんですけど』って言ってくれたらいいから」と
言っている海老原さんの顔は生真面目で、ちっとも笑っていなかった。

自分のそういう死のリアリティを、この人は真正面から見据えたまま、
これから自分をゆだねるヘルパーに自分のケアを引き受けることへの覚悟を求め、
同時に、彼女をそれによって、ひるませないために、
それをスパンと言ってのける、ということをやっていた。

その時、生きることの根っこのところで腹がくくれている人のすごさを
目の当たりにした気がした。

その海老原さんが、先ごろ、
おかあさんのけえ子さんとの共著を出版。それが、この本。

海老原宏美という人は、いかにして、
あれだけの「腹のくくり方」に至ったのか、という
かねてからの謎に、あちこちで答えてくれる本でした。

メモしておきたい箇所がいっぱいあるけど、なんといっても、ここ。

 人生は短く、すべての人に、一度きりしかありません。どんなに生きたくても生きられない人がこの世にたくさんいるなかで、せめて自分は、自分の人生をほんの少しも無駄にすることなく、公開のない生き方をしたいのです。人生は短い。動ける時間も限られている。でも、自分が動けば必ず周りも動く。本気で声を上げれば手を貸してくれる人が入る。そういうことを、健常な人よりも、障害者である私は実感として知っているので、人生に対し、より真摯に向き合えるのだろうなぁ、という幸せを感じています。
(p.109)


「どんなに生きたくても生きられな」かった仲間を、
この人はいっぱい見送ってきたのだということの重みが、
ここを読んで、ずしんときた。

「人生は短い。動ける時間も限られている」と、この人が書くとき、
この人は、あの映画で「海老原さん死んでるんですけど」とスパンと言ってのけた時と同じ、
目の前にある、そのことの紛れもないリアリティをじっと正面から見据えて
そのことの痛みに耐え、それを引き受ける覚悟をその都度、自分の中で更新しながら
それを言い、書いているんだ、と。

正直なところ、
自立生活をしている人たちにだってヘルパーへの不満はないはずないだろう、というのが
ずっと私には疑問だったんだけれど、以下の箇所で氷解し、
また後ろの方で上の箇所を読んで、こういう腹のくくり方だからこそ、
6割でOKという思い切りがつくんだなぁ、と、すごく納得できた。

生きることに腹がくくれているから、
生きることにおける大事なことの優先順位がはっきりしてくる。

ここのところは、個人的にものすごく勉強になったところ。

 完璧なアテンダントはいません。完璧なアテンダントを求めていたら、しんどすぎて自立生活は続けられません。他人が、自分の思い通りの動作ができるわけがないのです。私は、「自分が理想とする介助レベルの60%できていれば合格」としています。「妥協」というかもしれませんが、介助のレベルにばかり意識がいってしまっていては、自分の精神が疲労するだけで、何のために自立生活を送っているのか、わからなくなってしまいます。60%で合格、それ以上できたらラッキー! いいアテンダント見つけちゃった!と思っておくと、楽になります(笑)
(p.58)


その他、私自身が今、医療と生活の関係ということを考えているところなので、
以下のあたりも印象的。

 呼吸器ユーザーなどの医療的ケアが必要な人は、どうしても医療従事者による管理が強くなってしまいますが、呼吸器ユーザーの地域生活の可能性と実績を知り、その支援をしてくれる医師は、まだ多いとは言えません。……気管切開をしたら二度と声が出せなくなる、という誤解をしている医師も多くいます。
(p.80)

(中略)

……医療を使っていかざるを得ない身体をもってしまった以上、医療従事者に任せるのではなく、地域の中で、主体性をもち、医療を自分の生活の一部としてうまく取り込んでいきたいですね。
(p.83)


海老原宏美さんが書いている第Ⅰ部の最後、
ネルソン・マンデラの言葉で始まる2ページが、ぐっと心に迫りました。

中でも以下の下り。

……さらに、今、このような生活ができるのは、障害者の権利を取り戻すために闘ってきた障害者の先輩方の、血のにじむような努力の恩恵なわけです。
 なのに、自分のためだけに生きていていいのか? というほとんど焦りのようなものが常にあります。私というのは、ほんとうに小さな、地球規模で見れば塵のような存在だけれども、それでも、自分が受けている奇跡の恩恵をもっと広げ、次につなげていかなければ、何か発信し続けなければ、と思います。
……
(p.126-7)


11月18日のメモのコメント欄でも引用させてもらいましたが、
今回の茨城県の教育委員の優生思想発言事件に際して、
DPI日本会議から即座にあれだけの抗議文が出てきました。

そのことに、
やりきれない怒りと悲しみと不安を抱えて何もできずにいる親の一人として
胸を熱くし、深く感謝しながら、海老原さんのこの下りを思い返しました。
そして、私も自分にできることを、発信し続けなければ、と心に銘じました。


お母さんのけえ子さんが書かれた部分は、
また別の意味で、障害のある子どもを持つ母親としての腹のくくり方が
やっぱり並じゃない、スゴイ人だなぁ、と頭が下がりっぱなし。

恨みがましい表現はいっさい排除されていますが、
同じ立場で読めば、腹が煮えくり返っただろうと想像は容易につく、
どんなに悔しく悲しかっただろうと、似たような体験が頭によみがえる。

中でも、胸が痛くて耐え難かったのは、
宏美さんが小学校5年生の林間学校でのお風呂。

あと何分、とトレーナー姿の先生たちが居並んで急かす中で、
裸体で子ども達に混じり、宏美さんを決められた15分間で
先生の指示のとおりにお風呂に入れたお母さん。

なんて残酷な時代だったんだろう。
その先生たちは、その母子の姿を、いったいどういう目で見ていたというんだろう。

私は、母子2人分の衣類の着脱から入浴に至るまで、
すべて短時間でやり通した。
スゴイ早技だったのだと思い返している。
五年生の女の子全員と、裸の付き合いができたことは、
私でしか得られなかった、貴重な体験。
悲しんでなんかいられない、それで幸せ感の私。
(p.204)


「親」については、ヒリヒリして、
もうどうにもこうにも言葉にならない。