山口三重子論文「重症障害新生児の治療決定過程における手続き的配慮の類型化の試み」(前)

山口三重子論文「重症障害新生児の治療決定過程における手続き的配慮の類型化の試み」
岡山大学大学院文化科学研究科紀要第13号(2002.3)

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http://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/metadata/1232


Ⅰ.はじめに

 自己決定権の法理によれば、治療は患者の同意によって開始される。乳幼児のような自己の意思を表示できない子どもの場合は、医学的侵襲を子どもに与えても良いという親による代理の意思表示により開始されることになる。


が、わが国では、
親による治療拒否の事例が多く報告されている一方で、
新生児医療における選択的非治療について、
その是非を議論する機会も少なく、明確な基準もないままに、
多くはその場その場の決断で治療中止を行っているという現状がある。
著者は問題点を指摘。


Ⅱ.米国での重症障害新生児の治療を差控えた訴訟の概観

多義的で曖昧な「重症」概念を明確化していく必要から、
米国の訴訟を丸山英二氏の論文によって概観。

1. フール事件(1974)

 左目と左耳の欠損、左親指の奇形、気管食道廔のある新生児。
 主治医が廔の手術を勧めるも父親が拒否。経静脈栄養も中止を申し入れた。

 主治医、小児外科医、医療センター管理者らは「親の義務違反」を根拠に裁判所に提訴。

 裁判所の判断は、

維持される生命の価値についての医師の質的評価は、法律上、彼の専門領域の範囲内にはない。(丸山1986:213頁)

つまり医師が命の質に対する評価を行うことを越権行為とし、また
「両親にはそのような治療を差控える権利を持っておらず、そのように差控えることは
法的意味における放置を構成するもの」として、訴訟後見人に矯正手術への同意権限。

児は手術の翌日に死亡。

著者は

医学的見地からフール夫妻の子どもの治療可能性を見たとき、法論理上の生存権のみで治療行為に同意を与えるということは一面的に過ぎるのではないかとの疑問が残る。


2. シセロ事件

髄膜脊髄瘤を伴う二分脊椎症。
両親が治療を拒否。

ここで著者が紹介しているのは
英国のジョン・ローバーが1971年に発表した「臨床診断基準」。

以下の6のうち一つ以上が生後数時間以内に出た場合は
治療は勧められない、とする。

・下肢の麻痺の程度
・頭囲の拡大
・胸脊椎または腰仙椎のついたいレベルに関連する病変
・亀背または側彎症
・出生時脳損傷
・他の明らかな先天奇形の合併

ここの箇所を読んだ時に spitzibara頭に浮かんだのは、
出生前・着床前遺伝子スクリーニングで障害の可能性がある児を排除することが
当たり前になっていけば、それは選択的非治療をも当然視することへと
繋がっていき、こうしたスタンダードも意味がなくなるんでは?

裁判所の判断は、
「該児の身体的状態が損なわれる切迫した危険状態にあること、両親の財産にかかわらず、適格な外科医によって手術をしてもらう機会が存すること、そして該児の両親は、正当な理由なく該手術に同意することを拒否していること」を認定し、
「このような場合には親は治療を拒否することは許されない」とした。


3. ミュラー事件(1981 イリノイ州

約4.4キロのシャム双生児
産科医の「蘇生不要」の方針に父親も同意し、新生児室に放置。

匿名の通報を受け、家庭児童サービス局が調査。
裁判所が暫定的監護権を同局に与えた。

検察当局は、両親と主治医を殺人共謀罪で起訴。

著者は
「米国で最初の、障害新生児の治療差控えに関する刑事事件となった。
医師が、子どもに経口栄養も経静脈栄養も共に全く与えない方針を採った
という点においても、ミュラー事件は前例と異なっている」


4.ベビィ・ドウ事件 (1982 インディアナ州)

ダウン症候群と食道閉鎖症を併発する新生児。

小児科医が勧める手術よりも産科医の勧める非治療を選択した親に対して、
病院が治療方針の適法性について裁判所に判断を求めた。

裁判所は両親を代理決定者と認め、親の決定を肯定。

この事件については、ウーレットの『生命倫理学と障害学の対話』に詳しいので
これ以上は省略。


5.ジェイン・ドウ事件(1983 ニューヨーク州

重症の二分脊椎。水頭症、小頭症。脳幹奇形。両上肢の痙攣。直腸脱。

診断は、手術により20年生きられる可能性はあるが、転換の発作を伴う
重度の精神薄弱で麻痺、寝たきりになるだろう、と。

両親は医師、看護師、カウンセラーなどと相談のうえ、保存的治療を選択。

部外者の弁護士から裁判所に提訴があり、
訴訟後見人に任命されたその弁護士が手術に同意。病院は上訴。
上訴裁は裁判所の介入の根拠そのものがない、とした。最高裁も同意。

判決後、両親はシャント手術に同意。脊髄は自然に閉じ、寝たきりにはならなかった。

10歳当時、
「今や自意識を持った少女で、両親から愛情を受け、そして愛情を返している。
発達障害を持った子供たちの学校に通っている」


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